風が大きく吹いたような気がした。

耳のすぐ横を裂いて、どこかへ流れて。おれの体の真ん中まで、その震えを伝えて。


……息が止まった。世界も止まった。

なのにその人だけはあまりにも鮮やかに遠くどこまでも駆け抜けていく。


ピストルの音が響いた瞬間から、ラインを越えて、地面を蹴り、真っ直ぐに他の誰もいない場所へ。


まるで羽が生えているみたいだった。背中に大きな。それをはばたかせて、青い空の向こうまで、どこまでも行けるんじゃないかって。

その人が世界の中心で、一歩足を踏み出すたびにそこから世界が大きく広がっているようで。


その人は、それを体の全部で表現していた。

見えやしないのに心の奥まで全部がそこに映っていた。


──ああ、そっか。あの人。

大好きなんだ。この瞬間が。


こんなにも真っ直ぐに伝わってくる。あの人は走ることが息をするのと同じように特別で。

走っている自分が、大好きなんだって。


……その人がゴールする瞬間まで。どうしてだろう、ほんの一瞬なのに。長く長く、おれはその人のことを見ていた。


いつまでだって鼓動が治まらなかった。胸に手を当てたら、手のひらに直接、その動きが伝わった。

やっと取り戻した呼吸は苦しいけど不快じゃなかった。涙が出そうなのは、そのせいじゃない。


知らなかった。でも本当は知っていた。そう、ようやく気づいたんだ。

その姿を見て。


真っ直ぐに自分の思う大切なほうへ向かうこと。

それって、こんなにも眩しくて、鮮やかで、素敵なことだったんだって。


おれはあなたを見つけて、気づいたんだ。