スタートラインの一歩手前に足を置いた。
膝を曲げてしゃがんで、ラインぎりぎりに両手を並べる。
スターティングブロックはないけれど。靴もスパイクじゃないし、地面もゴムじゃないけれど。
少し、あのときの感覚が体全部に蘇る。
「よーいどんはおれが言うよ。ハンデね」
真夏くんがあたしの隣に並んだ。
あたしとは違う、立ったまんまのスタートの姿勢になんだかちょっと笑えてきた。あんまりにもたどたどしくって、陸上やったことないんだろうなって感じで。
「何笑ってんの?」
「んーん、別に。いいよ、合図は真夏くんで」
あんまり納得してないような顔だったけど、真夏くんは「じゃあ行くよ」と呟いた。
風が、やんで。
しんと、耳が、痛くなるほどに静かだった。
指先に、力を入れる。暗闇に浮かぶ直線を見る。
『On your marks──』
ここにはないはずの声が、頭に響く。
「よーい」
『──Set』
あの夏の音が重なった。
匂い。風。何もかもが蘇るようで、でも感じているのは、まったく違うもので。