「去年のインハイ。忘れもしねえだろ。おまえがぶっちぎりのトップで優勝した最後のレース」

「……え?」


一瞬、息を止めた。

高良先生の声はとても静かだ。ゆっくり響いて、言葉の中の景色をあたしに思い出させる。


去年のインハイ。陸上のインターハイ。

あたしが出た、最後の大会。


忘れもしない? あたりまえだよ。

あの日のレースはあたしの人生でなにより輝いた瞬間だったんだから。


……でも、それが、どうしたって?


「おれな、おまえが出たあのインハイに真夏も誘ってたんだ。あのときのあいつちょっといろいろ疲れてたみたいだから、気晴らしになるかと思ってさ。真夏は嫌々だったけどな。陸上なんて興味なさそうだったし、そもそもあいつスポーツ自体に興味ないんだよな。インドアなのかアウトドアなのかよくわかんねえけど」

「…………」

「まあ、その、おまえのレースをさ、あいつは見てたんだよ。あの場所で、直接な」


高良先生は少しだけ、懐かしそうに目を細めて笑う。あのときの光景を思い出しているみたいに。

あのとき。そう、あのとき。

真夏の、濃い青色をした晴れた空の下で、あたしが100を、誰より速く、駆け抜けたあのとき。


「あいつな、本当におまえしか見てなかったんだ。おまえが走り終わってしばらく中身抜けたみたいにぼうっとしててさ、暑さにやられたのかと思ったら突然トラックにいたおまえのこと指差して、あの人誰って訊くんだ。うちのエースだぜって教えてやったけどな、そんなもんロクに聞いちゃいなかったよ。

じっと、トラックの上のおまえだけ見て、目、きらきらさせてたんだ」