もうすぐ駅に着いてしまう。
先輩と私の家は逆方向。
私はバス。
水樹先輩は電車。
時刻表では私のバスの方が先に出発するんだけど……
もう少し、一緒にいたいなぁ。
ここは田舎町だから、バスも電車も本数が少ない。
一本逃すと長く待たないといけないのはわかってる。
それでも、先輩と少しでも長く一緒にいられるなら。
迷惑かけたから見送りますとか、変かな?
そんな風に、一緒にいられる口実を一生懸命考えていると。
「明日はプール清掃か。涼めるかな?」
水樹先輩に話しかけられた。
もしかして、私の失敗から話題を変えてくれたんだろうか。
気を使わせて申し訳ないと思いつつ、私は先輩の優しさに合わせる。
「そうですね。涼めそうだし、楽しみです」
「掃除なのに?」
少しだけ首を傾げた水樹先輩。
私は笑みを浮かべて話す。
「普段できないことをするのって、ワクワクしません?」
例えばそれが苦手なことなら遠慮したいかもしれないけど、そうでないなら楽しい。
今回のプール掃除なんて、水泳部でも入らない限り経験できないだろうし。
「それに、生徒会のみんなとならきっと楽しいですよ」
伝えると、水樹先輩は柔らかい笑みを浮かべ頷いた。
「うん。明日のプール清掃頑張ろう」
赤い夕焼けが先輩を照らして、夏の熱を含んだ風が通り抜けていく。
結局、私は先輩と一緒にいられる口実を見つけられないままに、「また明日」と挨拶をして別れた。
また明日。
どうか、明日も無事に
先輩に会えますように。
「さあ! やるぞー!」
プールサイドに立ち、抜けるような青空に向かって私は拳を突き上げた。
今日はいよいよプール清掃の日。
生徒会メンバーは皆ジャージに着替えて準備万端だ。
もちろん、水樹先輩もちゃんといる。
昨日は別れ際の『また明日』という言葉に、来なかった明日を思い出して不安になってしまったけど……
「真奈ちゃん、やる気満々だね」
こうして、私に向かって笑いかけてくれている。
そうだよね。
他のはデジャヴとかそういったものだとしても、人が突然消えるなんて、そんなのが現実に起こるわけがない。
「楽しみにしてましたから。頑張りましょうね」
水樹先輩がにこやかに頷くと、会長が楽しそうに笑った。
「いい気合だね。さすが俺のハニー」
「会長のじゃないですアハハ」
「うっ、胸に刺さるよその言葉。だけどやっぱり嫌じゃない感覚」
会長が恍惚の表情でよろよろしていると、デッキブラシを手にした藍君がクールに一言。
「ドМっスね」
会長のマゾっ気を指摘する。
けれど会長は人差し指を左右に振って。
「ノンノン。俺はド真奈だよ」
予想してなかった冗談を口にする。
私の隣に立ってる水樹先輩が「うまいこと言うね」とか褒めてるけど、正直私は素直に褒められそうにないので苦笑いのみしていると。
「なんスかその新しい系統」
藍君が若干引き気味でと言った。
本当、なんなんだその系統は。
そんな感じで、ワイワイしながらスタートしたプール清掃。
日差しはきついけど、素足に触れる水が気持ちいい。
プール自体は5月に水泳部員によって一度掃除されたようで、そこまで汚れてはいなかった。
少しぬるぬるしているプールの底部分をブラシで一生懸命磨いていたら。
「うわ、うわわわわっ」
焦る様な赤名君の声が聞こえて、何事かと顔を上げた直後。
「いったたたたたたた……」
滑ってしまったのか、赤名君は膝をついてお尻をさすっていた。
床には勢いよく水の出ているホースが投げ出されていて。
「赤名君、大丈夫?」
声をかけ、ホースを手にした時だった。
「あーかーなー」
藍君の恨みがましい低い声が聞こえて、彼の方を見れば。
「なにやってくれてんだお前」
ホースの水がかかったんだろう。
びしょ濡れの藍君が、赤名君を睨んでいた。
「ごごごご、ごめんっ! でもほら、これは不可抗力で……」
謝る赤名君だったけど、藍君は気がすまないのか「うるさい」と言い放ってから、私が手にしたホースを奪い取る。
そして、仕返しと言わんばかりに。
「ぎゃあああ、つめっ、冷たいっ!」
ホースの先を潰し、勢い付いた水を赤名君にぶっかけた。
藍君の比じゃないくらいにずぶ濡れになった赤名君。
けれど──
「冷たいけど、これはこれで気持ちいいや」
どうやら楽しんでいるらしい。
赤名君のポジティブさに藍君の怒りも消えてしまったらしく。
「アホらし」
そう言うと、ホースを私の手に戻し掃除へと戻った。
全身びしょ濡れの赤名君が会長に声をかける。
「会長も水浴びどうですかー?」
その誘いに、プールの壁を磨いていた会長が首を横に振った。
「そんなことをしたら水も滴るなんとやらになって、真奈ちゃんと副会長で俺の取り合いになるだろう」
至って真面目な顔で言ってのける。
会長の言葉に三重野先輩が眉を吊り上げた。
「バッカじゃないの? 絶対ないから安心してちょうだい」
そして、三重野先輩は続けて、遊んでないでしっかり掃除してと私たちに渇を入れる。
と、とりあえずホースは私が使っていいのかな?
そう思って移動しようとした瞬間。
──ツルッ。
私の足が床を滑る。
グラリと見える景色が方向を変え……
どこかで、この感覚を味わったことがあると感じた。
いつ?
どこで──
「危ないっ」
水樹先輩の声に、私の意識がハッと我に返る。
直後、私の体は水樹先輩に抱き止められていた。
ほとんど倒れている体。
座りながら私を抱き止めている水樹先輩の姿に、滑って転んでしまったんだと理解した。
そして、この体勢からして、もう少し助けてもらうのが遅かったら、私は頭を強打していたかもしれないと悟る。
「あ……ありがとうございます、せんぱ──」
先輩。
続けるはずの言葉は、最後まで発せられなかった。
だって。
「良かった……」
水樹先輩が
泣きそうだったから。