バーベキューの時にした話。
あれ以来触れていないから、てっきり信じてないのかと思ってたのに。
私の問いに、藍君は私を見ないまま唇を動かす。
「まあ……俺も変なの経験してるから、否定はしにくいだけ」
それはきっと、藍君だけが見た、お姉さんかもしれない人の話し。
「ありがと、藍君」
藍君の横顔にお礼を言うと、その瞳がチラリと私を捉えて。
礼なんて必要ないだろと呟くように言ってから、また視線を正面へと戻した。
線路沿いの道を歩き、やがて駅に到着する。
どうにか雨が降り出す前には家につけるかなと思いながら、私たちはバス停に並んだ。
──その時。
鞄の中に入っている私のスマホが振動していることに気付いて。
もしかしたら、水樹先輩かもしれないと思い、慌てて鞄からスマホを取り出した。
けれど、ディスプレイに浮かんでいる名前は待ち人のものではなく……
『あ、真奈ちゃん!』
会長だった。
その声はどこか焦っているように聞こえて、私はスマホを耳に当てながら眉を少し寄せる。
「どうかしました?」
『いるよ!』
「え?」
何を指しているのか、一瞬理解できなくて瞬きをした。
だけど、ふと、頭にその人のことが過ぎると同時。
『水樹がいる。声をかけて逃げられると真奈ちゃんが話すチャンスがなくなると思ったから、とりあえず隠れて電話したけど』
「どこですかっ?」
『黄水(きすい)神社。多分、境内の方に上がっていったと思う』
そこは、生徒会のみんなで行った夏祭りが開催された神社だ。
『来れる? 来れないなら、俺が──』
「いえ、すぐ行きます。教えてくれてありがとうございます!」
頑張れ。
優しい会長の声に頷いた私は、スマホを鞄に戻すと藍君に向き直る。
「ごめん。私、今から」
「影沢先輩だろ? いいから急げ」
藍君の口元が、僅かに弓なりになって。
「うん!」
私は首を強く立てに振ると、踵を返して走り出し、バス停を離れた。
水樹先輩。
水樹先輩。
お願いだから
どこにもいかないで。
うまく呼吸ができない。
走り続けて、息がこれ以上ない程に乱れている。
足ももつれて、今にも転びそうになりながら、それでも私は必死に足を前へと進めていた。
ただ、水樹先輩に会う為に。
「はぁっ……はっ……」
ようやく辿り着いた黄水神社。
鳥居をくぐると、走りすぎて痛くなった胸を手で押さえながら辺りを見回した。
今にも雨が降り出しそうな天候のせいか、人の気配がない。
会長もすでに帰ってしまったようだ。
「み…ずきっ……せんぱ、いは……?」
水樹先輩の姿もどこにも見当たらなくて一瞬焦る。
でも、さっき会長が、境内の方に上がって行ったような事を電話越しに教えてくれたのを思い出して。
私は、前方に見える長い階段めがけ、脇にじゃりの敷き詰められた参道を走った。
階段を駆け上がると、まだ落ち着いていない心臓が悲鳴をあげる。
足も力を無くしているのがわかったけど、私は気力を振り絞って階段を上った。
そして、少しフラフラしながらも最後の階段に足を乗せ、俯いてしまっていた顔を正面に戻すと──
境内、本殿脇の石段にうずくまる……
水樹先輩の姿を見つけた。
先輩が座っている場所は、夏祭りに皆でカキ氷を食べながら座っていた場所。
あの日は賑やかだったその場所に、ぼんやりと1人うずくまる水樹先輩は……とても寂しそうに見えて。
何て、声をかけようか。
戸惑いながら一歩を踏み出した時。
足音に気付いたのか、水樹先輩がゆっくりと頭をもたげた。
私の姿をその瞳に捉えた直後、水樹先輩は驚き目を丸くする。
「あ……あの……」
まだ、かける言葉が見つかっていなかった私は、それだけ発し、もう一歩先輩の方へと近づいた。
水樹先輩は口を閉ざしたまま。
瞳には驚きの色はすでになく……
ただ、私を悲しそうに見ている。
プール清掃の日と
『良かった……』
子猫たちが亡くなった直後にも私に向けられていた
『……このままだと、また俺は……』
泣き出しそうな瞳で。
私は、水樹先輩の前まで歩み寄る。
けれど、そこで初めて視線を逸らされて……
ああ……やっぱりまた拒絶されてしまったと、胸が痛むのを感じた。
こんなに近くにいるのに、心は別の方を向いている。
挫けそうになったその時、会長の言葉を思い出した。
私なら、きっと変えられると言ってくれたのを。
私は、拳を強く握り締め、勇気を振り絞り唇を開いた。
「理解……したいんです」
触れられたくないなら、触れないでおこうと思ったりもした。
無理に触れて、踏み込んで、嫌われるのも怖かったから。
だけどもう、このままじゃ嫌で。
このままじゃ、いけない気もしてて。
「全部わかりたいなんて、ワガママなことは言わない。だから、聞かせてくれませんか? 先輩が私と関わりたくない理由を」
懇願するも、水樹先輩は黙ったまま。
やがて、遠くの空で雷鳴が轟くのが聞こえてきた。
頭上の空は暗く、奮い立たせた気持ちまでも暗闇で覆われてしまいそうで。
このまま、会話もできないで時間が過ぎるのか。
不安に思った刹那、ついにパラパラと雨が降り始めた。
少し粒の大きい雨が私の頭と肩を濡らした時──
私の手が、グイッと強く水樹先輩の手に引かれた。
「……濡れるよ」
驚く私に、水樹先輩はそれだけ言ってからそっと手を離す。
気付けば私は、先輩のおかげで本殿の屋根の下に入り、雨に当たらなくなっていた。
嫌いになれだなんて言って、こんな風に優しくするなんて。
「……私は、水樹先輩を嫌いになんてなれないです。何があっても」
本音を零すと、ようやく水樹先輩の視線が私に戻ってくれた。
その瞳には、戸惑いが見て取れる。
そして……小さく溜め息が吐かれると──
「ダメなんだよ……」
とつとつと話し始めた。
「真奈ちゃんと俺は、これ以上一緒にいたらいけないんだ」
「え……?」
どうしてなのか。
問いかけると、水樹先輩は再びうずくまって。
「どうするのが正しいのか、わからないんだ。もう、疲れたんだよ……」
先輩が物憂げに吐き出すと、空に閃光が走った。
続いて、耳を裂くような音が鳴ると、水樹先輩が顔を上げて。
降りしきる雨を力の無い瞳で眺めながら口を開く。
「神隠しはね、本当にあるんだ。そして俺もきっと……隠される」
予想していなかった言葉に、私の心臓が大きく跳ねた。
「真奈ちゃんは、それを知ってるんだろ?」
知って……いる?
「でも……あれは夢みたいな……」
そう、夢みたいなものだ。
予知夢、デジャヴ、そんな類のもの。
だけど、自分の置かれている状況がそれとは少し異なるような……普通じゃないことは感じていた。
覚えのある光景には何か意味があるんじゃないかと、何かが変われば水樹先輩を救えるんじゃないかと、勝手に思っていたけど。