きみと繰り返す、あの夏の世界



「まーなちゃん。まだ帰らないの?」


会長の声が耳に届いて、私は落としていた視線を机の上から会長へと移す。


「あ……はい。これ、まとめてから帰ります」


私の手元には今月末に行われる体育祭の資料。

書記の私は、これを元に生徒会から発行される新聞を作らなければならない。


……いつもなら、水樹先輩と一緒に作っていたもの。

だけど、先輩はなぜか、みんなから忘れられてしまっている。

生徒会のメンバーだけじゃなく、学校中のみんなからも。

名簿に載っていた名前も消えていた。

まるで最初から『影沢水樹』という人物などいなかったかように。





「そっか。じゃ、鍵だけよろしく」

「はい」


夕日の差し込む生徒会室には、もう私と会長の2人しか残ってない。

会長は扉を引いて開けると、私を振り返る。


「あのさ」


斜めに流した会長の前髪が、少しだけ彼の目にかかる。

けれど、会長はそれを気に留めた様子もなく、瞳を細めて。


「真奈ちゃんがいるっていうなら、俺は信じるよ」

「……え?」

「その、水樹って男のコト」

「会長……」

「この俺のコトよりも気にかけてるなんてちょっと妬けるけど」


探すなら、俺も協力するよ。

ウインクと共に言葉を残して、会長は生徒会室の扉の向こうに消えた。




会長の優しさに、鼻の奥がツンとする。


探すなら協力するという言葉が、とても嬉しくて。


「……そうだよ」


探そう。

みんなが忘れてしまっても、私はこうして覚えている。

覚えいてるからこそ、できること。


私は立ち上がると、手早く資料を片付けてカバンを手にした。

そして、生徒会室を飛び出す。


水樹先輩を


見つける為に。






















夕暮れに染まる校舎の中を、私は足早に歩いていた。

始業式の日は部活もなく、その為に私以外の生徒の気配はない。

やがてたどり着いた目的地は、水樹先輩が在籍しているはずの3年2組の教室だ。

扉は閉まっている。

私はそっと扉の上部についている窓から中の様子を伺った。

生徒の姿はない。

けれど、上級生の教室というのは無人でも緊張するもので。

私は一応「失礼しまーす」と小さく声にしてから中へと侵入した。


先輩の席は、窓際の後ろから2番目だと記憶している。

なぜ後輩の私が覚えているのかというと、夏休みの初め頃、忘れ物をしたという先輩に付き添って訪れたことがあったからだ。

その時に見た先輩の机のいたずら描きは衝撃的だった。




『水樹先輩、なんですかコレ。先輩が描いたの?』

『うん。有名なキャラだけど、映画観たことない?』

『うーん……全然覚えがないです』

『へー。珍しいね。トトロを観たことないなんて』


……トトロは知ってますけど。

むしろ好きですがコレはないです。

とは言えず、ただただ先輩の画力に戦慄を覚えたんだっけ。


私は窓際の先輩の席の前に立つ。

けれど、油性マジックで描かれている潰れたトトロらしきキャラクターは、そこにはいなかった。

念のため、全部の机を見てみたけど、潰れたトトロらしき……いや、トトロだと先輩は言っていたからトトロと言おう。

先輩の描いたトトロはどこにも見当たらない。

教室の前、廊下の壁際に設置されているロッカーに先輩の名前を探してみけど、やっぱり彼の名前はなかった。




「どうして……」


先輩の存在が、こんなにも綺麗に消えてしまうなんて。

だけど、確かに私は覚えている。

わけのわからない現状に、私の心は朝からずっと不安でいっぱいなままだ。


カバンを持つ手にキュッと力をこめた時、ふと思い出す。


スマフォに登録されているはずの、水樹先輩の番号やアドレスを。


私は急いでカバンを開けると、中からスマートフォンを取り出した。

画面をスライドしてロックを外し、連絡帳から水樹先輩の名前を探す。


──けれど。


「……ない……」


昨日まであったはずの先輩の名前は、いつの間にか消えていた。

それはLINEも同様で……


「何が、起こってるの?」





もちろん消した覚えはない。

水樹先輩からの連絡を心待ちにしていたし、うっかり消すなんてこともないはずだ。

だとしたら、なぜ消えてしまったの?

このまま、わたしの中に残っている先輩との記憶も、思い出も、消えてしまうの?


そんなの……


「絶対に嫌だよ」


そう思った刹那。


キュッ……と、誰かが廊下を歩く音が聞こえて、私はその方向へ視線をやった。

視界に入ったのは、廊下の奥を歩く、男子生徒の後ろ姿。


その姿に、私は目を見開いた。


毛先にゆるくかかったパーマをワックスで遊ばせた、フンワリ感のあるレイヤーショートヘア。

そして、ビターチョコレートのような色の髪。


階段を登るのか下るのか。

廊下を曲がった時に見えた夕日に染まるその横顔は……


「み、ずき……先輩……?」


探していた


大好きな人の姿。




「ま、待って……待ってくださいっ」


私は急ぎ、水樹先輩の姿を追った。

廊下を駆け、階段を見る。

一瞬、踊り場を曲がった先輩の姿が見えて。


「水樹先輩!」


声をかけたけど、先輩からの反応はない。

前は、廊下で見かけて声をかけると足を止めてくれたのに。

柔らかい笑みを浮かべて「真奈ちゃん」と、私の名前を呼んでくれたのに。


私は階段を駆け上がり、先輩の後ろ姿を追いかける。

3階から4階へ。

先輩を追いかけ、気づけば目の前には屋上への扉。

灰色の扉に取り付けられている小窓からは、夕焼けに染まる屋上が見える。




屋上は、先輩のお気に入りの場所だ。

この時期は太陽からの容赦ない熱で溶けるからとあまり足を運んではいないようだったけど……


ふと、風が私の体を撫でるように通り過ぎて、いつもはしっかりと閉まっている扉が僅かに開いている事に気が付く。

私はドアノブに手をかけて、屋上に出てみる。


「……水樹先輩?」


声をかけてみるけれど、先輩からの返事はない。

それどころか、屋上には先輩の姿はなかった。

私以外は誰もいない。


でも、そんなのはありえない。

階段を上がっていく水樹先輩を確かに見たんだ。

そして、その先はこの屋上しかない。

だけど先輩の姿はないなんて……


と、そこまで考えて、嫌な可能性を脳内に浮かべてしまう。


まさか、落ちてしまった……とか?