きみと繰り返す、あの夏の世界



──ああ、癒される。


日陰が多く、少し涼しい体育館裏。

そこに、しゃがみ込む私と水樹先輩の足元には3匹の子猫。

ミルクをたらふく飲んで満たされた子猫たちは、現在、私のスマホについているストラップと絶賛戯れ中だ。

といっても、まだ人に慣れていないので、興味津々な様子で揺れるストラップを眺めているだけなんだけど。

でも、手を出したそうにウズウズしているのがまた愛らしい。


「可愛いですね、この子達」


自然と頬を綻ばせながら隣でしゃがんでる水樹先輩に話しかけた……のだけど。


「…………」


なぜか、水樹先輩は、目を細めて私を見つめていた。


「あ、あの、先輩?」


私の顔に何かついてるんだろうか。

目の前の猫ちゃんたちよりも興味が沸くような何かが。

だとしたら恥ずかしい。

というか、水樹先輩に見つめられること自体、恥ずかしいというか照れてしまう。

だから、当然私の頬が熱を帯びるわけで。




先輩の瞳に翻弄されている私を知らないであろう水樹先輩は、やがて笑みを深めて。


「うん、可愛い」


そう言った。


けれど、先輩の視線は私にきたまま。


ね、猫の事ですよね先輩。

私を見ながら返事とか、勘違いしそうになっちゃいますから!

心臓に悪いですから!


あっ! もしかしたら、からかわれてる?

ありえなくはない。

先輩は時々意地悪だったりするから……


「ところでさ」

「は、はいっ」


一人であれこれ考えながらドギマギしていたら、水樹先輩が猫と遊んでいるストラップを指差した。


「それ、なに?」

「ストラップですけど」

「うん。それはわかるけど、何かのキャラ?」


問われて、私は小さく笑った。




先輩が不思議に思うのも無理はない。

私も最初、これを貰った時は首を傾げたんだよね。


私は、スマホからぶら下がっている満面の笑みを浮かべた陽気なおじさんに視線をやった。


「このおじさんは、幸運のおじさんらしいですよ」

「らしいって、真奈ちゃんも良く知らないんだ」

「お父さんからのプレゼントなんですけど、そうとしか聞いてなくて」


毎年、私の誕生日に、どこかの国から帰国するお父さんは、いつも誕生日プレゼントと言ってお土産をくれる。

そのほとんどが頭にハテナマークが浮かんじゃう物が多いんだけど……


『真奈ー。今年はさらにパワーが強いお守りだぞー』


それらは全部、お守りだ。

どうしてお守りばかりなのか。

それをお父さんから直接聞いたことはないけど……


多分、お母さんとの死別が原因なんだと思う。


『これで真奈の幸せは約束されたようなもんだな! ハハハ!』


私を悲しい出来事から遠ざけたい。

そんな気持ちが、お父さんにはあるように見えるんだ。





「幸運をプレゼントか……」


水樹先輩がストラップを見ながら呟いた。


「プレゼントは嬉しいんですけど、世界を放浪するのはそろそろやめて欲しいんですよね」

「そういえば、真奈ちゃんはおじいさんと2人暮らしだったね」

「はい。ホント、困った父親で」


苦笑して話す私に、水樹先輩は優しく笑いかける。


「でも、こうやってプレゼントをちゃんと使ってる。お父さんの事、大切に思ってる証拠だろ?」


からかうようでもなく、穏やかな声色でそう言われて。

私は、小さく頷いた。


「私の、たった一人の父親だから」


いつも傍にいてくれないのは寂しいし、危ない場所へ行ってないかとか心配になる。

文句だって話したいことだっていっぱいあるけど。


たまに届く手紙に書かれた最後の一文で……


『いつ、どこにいても、真奈の幸せを祈っているよ』


許してしまう私がいる。




「甘いかな?」


眉を下げながら笑う私に、先輩は首を横に振って。


「俺は好きだよ。家族を大切に思う君も、君らしくて」


【好き】


その言葉に、きっと深い意味なんてない。

だけど、変に意識してしまって心臓が騒ぎ出す。

このままじゃぎこちない空気になりそうな気がして、私はふと思った事を口にした。


「先輩のお父さんは穏やかそうなイメージがありますね」


水樹先輩に似てて、笑うとフワッとした印象のある人を想像する。

けれど、先輩は頭を振って否定した。

そして──


「俺、父親の性格どころか、顔も覚えてなんだ」


どんな声だったのかも。

どんな話し方だったのかも。

どんな癖があって、どんな風に笑うのか。


何も覚えてないんだと、水樹先輩は少し寂しそうに話した。





ザッ……と、木々が風に吹かれ枝をしならせる。


「そうだったんですね……」


聞いてはいけなかった事に触れてしまった罪悪感。

私が「ごめんなさい」と謝ると、水樹先輩は微笑み「大丈夫」と言って話を続ける。


「別に死んだとかじゃないから気にしないで」


そして先輩は、子猫たちを見つめながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「うちは、俺が小さい時に親が離婚しててさ。俺は母親に引き取られたんだ」

「じゃあ、今はお母さんと2人で暮らしてるんですか?」

「ううん。再婚したから3人暮らし。まあ……あんまり顔合わせないから、3人で暮らしてる感じはしてないけどね」

「ご両親、忙しいんですか?」


顔を合わせないなんて、共働きなんだろうか。

そう思って、軽い気持ちで聞いた私だったけど。


「そうじゃないんだけど……俺はほら、お邪魔虫だから」


先輩が苦笑いを漏らしたのを見て、後悔した。





何も考えずに尋ねた私が悪いのに。


「ごめん。あんまり楽しい話じゃないね」


水樹先輩が謝るから、私は大きく首を横に振った。

すると、先輩は「でも」と小さな声で言って。


「……家のこと話したのなんて、初めてだ」


子猫に視線を落としたままに零した。

それから、ツ……と、視線を私に移すと。


「君、だからかな」


"君"という部分を強調して、微笑む先輩。

そんな風に言われたら、期待……しちゃうじゃないですか。

可愛い、とか。

好き、だとか。

私だから、とか。

水樹先輩は本当に、私を翻弄するのが上手だと思う。




「ごめんね。暗い話して」


再度謝られて、私は慌ててブンブンと頭を振った。


「そんなっ。私こそ……。だけど、嬉しかったです」

「え……?」


僅かに目を見開いた水樹先輩に、私は少し恥ずかしく思いながらも偽りない心を告げる。


「話してくれたことが、何だか心を開いてくれてるような気がしたというか……」


先輩に、今までよりも近づけた。

そんな感じがして、正直に告げたのだけど。


「……ぷっ」


水樹先輩は、吹き出した。


「なっ、なんで笑うんですかっ」


や、確かにちょっと恥ずかしいこと言った自覚はありますけど!

笑われると恥ずかしさが倍増じゃないですか!


なんて心の中で抗議してる間も、先輩はクスクスと肩を揺らす。

そして、ひとしきり笑うと。


「俺はとっくに、君には心を開いてるんだけどな」


冗談とも本気ともつかないような笑顔で言って、立ち上がった。




水樹先輩の瞳が、頭上に広がる作り物のように綺麗な青空を見つめる。

それから、空に両腕を突き出すように大きく伸びをすれば、明るさを取り戻した声で「真奈ちゃん」と私の名を呼んで。


「ありがとう」


感謝を述べられた。

何に対してかがわからなくて、首をそっと傾げると。


「俺の話を聞いてくれたことと、この子たちの悲しい運命を変えてくれた事」


生徒会として動くアイデアは自分じゃ浮かばなかった。

先輩は言いながら、嬉しそうに目を細める。


「ずっと……諦めてたから、今、すごく嬉しいんだ」


ずっと、という言葉がひっかかったけど、水樹先輩が幸せそうに子猫を眺めているのが、私も嬉しくて。


「あとはいい人に貰われればいいですね」

「うん。そうだね」


今はただ、喜びを分かち合った