セレスティーナが領地から出られるようになって一家にも変化が起きていた。
ヴァレリア家の時が動き出したのだ。
その日は盛大な晩餐が振舞われ、紗希とバルトはヴァレリア邸に泊まった。
そして翌日、名残惜しむ彼らと別れて魔王城に帰ることとなったのだが……紗希は魔王領に繋がる転移魔法陣まで歩いて帰るつもりでいたものの、バルトはエギルを呼び出し影を通って魔王城に帰還した。
セレスティーナ達の結婚式の日取りについては決まったら教えてもらう事になっている。
そして、面食らうほどあっさりと戻ってきた魔王城の執務室で紗希は神妙に尋ねた。
「行きもこの方法があったんじゃ……」
「聖女様、魔王様は……」
エギルが言いかけたところでバルトが回答権を奪うように言葉を遮った。
「これは主人の俺か、エギル本人が来た場所でないと不可能なことなんですよ」と。
それはどこか言い訳じみていて、バルトは有無を言わさぬ固い視線でエギルに「だろ?」と目配せしている。
「その通りでございます」
エギルは恭しく頭を下げると、それから魔女の様子を見てくると告げ消えてしまった。
執務室には二人。
紗希はあることを尋ねようとバルトを見上げた。
「聞きそびれていたことがあるんですけど、いいですか?」
「なんでしょう」
実は引っかかっていたものの、その場の勢いに呑まれ確かめられずいた事がある。
今となっては過ぎた事だが、しかし分からないままでいると先々に影響を与えそうな気がしたのだ。
あまりバルトが嫌う名を出したくないが、紗希はひと呼吸置いたあと心を引き締めて尋ねた。
「……今さらですが、今回神殿にした仕打ちが原因でミレーヌさんが出てきたりしませんか?」
精霊最高位の加護を受ける花雫の乙女は特別な存在で、神殿と密接な関わりがあったはずだ。
バルトは神殿に手を出すことに戸惑いはなかったものの、ミレーヌのことだけは迂闊に手が出せないという意味なのか警戒している。
するとバルトは何食わぬ顔で、むしろ不思議そうに言う。
「あぁ……ーー大丈夫ですよ。あの女は王家に仕えているので殆ど問題ありませんよ?」
「王家?神殿に仕えているんじゃ……」
「いえ、王家側の人間です。立場の違いはもちろんですが、精霊王も神殿もふしだらな人間を好まないため、単純に言うとあの女自身が嫌われてます」
「え……」
紗希は不意を突いて撃ち抜かれたように言葉を失った。
ーー神殿とミレーヌには溝がある?
そんなはずはない。
精霊の好む花を宿して生まれる乙女、加護を持つミレーヌは神殿にとって尊い存在のはずで、小説ではミレーヌもまた自分の後ろ盾として神殿の存在をちらつかせていた。
しかしバルトは愉快そうに説明する。
「とはいえ仮にクソ女の生死に関わることとなれば流石に助けようとはするでしょうが、内心ざまあみろといった感じにはなるでしょうね。そういうレベルで嫌われています」
「そうなんですね……」
「しかし逆はないと断言します。神殿は王家にとってみれば目の上のたんこぶ。精霊王に直接仕える神殿と、建国の女王アデルの子となる王家は微妙な関係なんですよ。つまりあの女と神殿は……どうされました?聖女様」
ふと、言葉を止めてバルトが固まっていた紗希を見た。
ハッとして、それから俯き気味に粛々と零す。
「いえ、少し反省しなければと思いまして……」
いつの間にか全て知っているつもりになっていた。
そもそも更新停止でエタっている小説だというのに、読んだ部分と魔王城に残る文献の一致から紗希は慢心していたのだ。
「聖女様が?なぜです?」
バルトは整然と問う。
「わたしの知る小説の設定と、この世界が若干違うようなので……勝手に知った気になってたな、と……」
実は根底を覆す内容が足元に転がっていた。
他にも決めつけていたことが、いろいろあったかもしれない。
そう思うと、途端にこの世界が重くのしかかってきた気がした。
これが現実に存在する世界だと頭で理解しながらも、どこか片隅で『とはいえ知っている物語』なのだと、一歩引いた目で見ていたのかもしれない。
それに気づくと思い知らされたのだ。
「では、聖女様が知っている物語と実際のこの世界は違うと……?」
バルトは確認するように紗希に訊ねてきた。
「はい……そうですね」
ぎこちなく頷き、無意識に肩を落とした。
実際の世界と小説の世界にはズレがある。
加えて、マリアンヌがバンシーの遺物と呼んだロマンス小説か分からないプロットらしきものと紗希の知っている小説は共通している箇所があるとはいえセレスティーナの名がなかったりと謎が多い。
すると今度はバルトが黙り込んだ。
それから歪な笑みを隠すように口元を抑え肩を震わせた。
「バルトさん?」
不安になって尋ねると、今まで殆ど向けられることのなかった冷えた視線が紗希に向けられた。
「面白いことを言うなと……いや、だって……当然じゃないですか?ここは現実ですよ。俺たちは生きてる。やはり分かってないのは聖女様の方ですよね……」
「え……?」
そしてバルトのつま先が紗希に向かう。
いつになく不穏な空気を背負う姿がゆっくりと距離を詰めてきて、反射的に後退ったが直ぐに背中が固い扉に触れた。
逃げ場を失った紗希の前でバルトは眉間に皺を刻んだ。
そして白く長い骨ばった指が頬に伸びてきて包み込む。
「愛しています」
薄っぺらいと指摘した言葉は痛々しいほどに切実に、そして怒りを孕んで響いた。
「俺はあなたを手放したくない。地獄だった七年の唯一の光だった……もっと俺を見てください。俺は物語のキャラクターじゃない。生きてる。あなたが好きだ」
戸惑い、唇が震える。
「バルトさんには、この世界に相応しい相手がきっといるはず……」
「俺を男として見られない?」
「それは……」
今まで考えようとはしなかった。
紗希の口からは上擦った声が漏れた。
縫い止めるような視線が責めるようでとても耐えられない。
「理屈で分かった気になっているが、俺とあなたの間には明確な壁がある。キャラクターでなく男として俺を見て欲しい。どうすればいい?教えてくれ、紗希」
不意に名を呼ばれ肩が竦む。
どくどくと心臓の音が身体の奥で響き、紗希は顔を歪めた。
「すっ……ステルダムで言いましたよね?こんなこと、ミレーヌさんと同じだって……」
とてもバルトを直視して告げることが出来ず、視線は足元へ落ち言葉尻が窄まる。
「頑固だな……」
バルトが呟いた。
呆れを孕んだ声だったが、しかし急にふっと笑みを零し顎先に指を滑らせる。
何をされるのかと反射的に戻した視線の先には何故か緩慢とした微笑みがあった。
「まぁ……それぐらい意思の強い人間でなきゃ何年も同じ物語を追いかけたりしないか」
それから唇が迫り、バルトが耳元で囁く。
「いつでも襲える相手に手出ししないのは、俺からの慈悲だと思ってください」
脅しをかけるような威圧的な低い声に紗希は息をのみ、胸の奥を何かが這うような感覚に言葉を失っていた。
しかし直後に張り詰めた空気を破るような音が背中の向こう側で聞こえた。
そしてエギルの声が響いた。
「よろしいでしょうか?魔女が報告をしたいと言っております」
扉越しにエギルが立っていると分かり妙な安堵を感じる紗希だったが、今までのバルトならこういった場合「後にしろ」と言う。
なんと返答するのか、束の間の時間がとんでもなく長く感じた。しかしバルトは眉を顰めるだけでエギルに対しぶっきらぼうに答えた。
「あぁ、通せ」
ヴァレリア家の時が動き出したのだ。
その日は盛大な晩餐が振舞われ、紗希とバルトはヴァレリア邸に泊まった。
そして翌日、名残惜しむ彼らと別れて魔王城に帰ることとなったのだが……紗希は魔王領に繋がる転移魔法陣まで歩いて帰るつもりでいたものの、バルトはエギルを呼び出し影を通って魔王城に帰還した。
セレスティーナ達の結婚式の日取りについては決まったら教えてもらう事になっている。
そして、面食らうほどあっさりと戻ってきた魔王城の執務室で紗希は神妙に尋ねた。
「行きもこの方法があったんじゃ……」
「聖女様、魔王様は……」
エギルが言いかけたところでバルトが回答権を奪うように言葉を遮った。
「これは主人の俺か、エギル本人が来た場所でないと不可能なことなんですよ」と。
それはどこか言い訳じみていて、バルトは有無を言わさぬ固い視線でエギルに「だろ?」と目配せしている。
「その通りでございます」
エギルは恭しく頭を下げると、それから魔女の様子を見てくると告げ消えてしまった。
執務室には二人。
紗希はあることを尋ねようとバルトを見上げた。
「聞きそびれていたことがあるんですけど、いいですか?」
「なんでしょう」
実は引っかかっていたものの、その場の勢いに呑まれ確かめられずいた事がある。
今となっては過ぎた事だが、しかし分からないままでいると先々に影響を与えそうな気がしたのだ。
あまりバルトが嫌う名を出したくないが、紗希はひと呼吸置いたあと心を引き締めて尋ねた。
「……今さらですが、今回神殿にした仕打ちが原因でミレーヌさんが出てきたりしませんか?」
精霊最高位の加護を受ける花雫の乙女は特別な存在で、神殿と密接な関わりがあったはずだ。
バルトは神殿に手を出すことに戸惑いはなかったものの、ミレーヌのことだけは迂闊に手が出せないという意味なのか警戒している。
するとバルトは何食わぬ顔で、むしろ不思議そうに言う。
「あぁ……ーー大丈夫ですよ。あの女は王家に仕えているので殆ど問題ありませんよ?」
「王家?神殿に仕えているんじゃ……」
「いえ、王家側の人間です。立場の違いはもちろんですが、精霊王も神殿もふしだらな人間を好まないため、単純に言うとあの女自身が嫌われてます」
「え……」
紗希は不意を突いて撃ち抜かれたように言葉を失った。
ーー神殿とミレーヌには溝がある?
そんなはずはない。
精霊の好む花を宿して生まれる乙女、加護を持つミレーヌは神殿にとって尊い存在のはずで、小説ではミレーヌもまた自分の後ろ盾として神殿の存在をちらつかせていた。
しかしバルトは愉快そうに説明する。
「とはいえ仮にクソ女の生死に関わることとなれば流石に助けようとはするでしょうが、内心ざまあみろといった感じにはなるでしょうね。そういうレベルで嫌われています」
「そうなんですね……」
「しかし逆はないと断言します。神殿は王家にとってみれば目の上のたんこぶ。精霊王に直接仕える神殿と、建国の女王アデルの子となる王家は微妙な関係なんですよ。つまりあの女と神殿は……どうされました?聖女様」
ふと、言葉を止めてバルトが固まっていた紗希を見た。
ハッとして、それから俯き気味に粛々と零す。
「いえ、少し反省しなければと思いまして……」
いつの間にか全て知っているつもりになっていた。
そもそも更新停止でエタっている小説だというのに、読んだ部分と魔王城に残る文献の一致から紗希は慢心していたのだ。
「聖女様が?なぜです?」
バルトは整然と問う。
「わたしの知る小説の設定と、この世界が若干違うようなので……勝手に知った気になってたな、と……」
実は根底を覆す内容が足元に転がっていた。
他にも決めつけていたことが、いろいろあったかもしれない。
そう思うと、途端にこの世界が重くのしかかってきた気がした。
これが現実に存在する世界だと頭で理解しながらも、どこか片隅で『とはいえ知っている物語』なのだと、一歩引いた目で見ていたのかもしれない。
それに気づくと思い知らされたのだ。
「では、聖女様が知っている物語と実際のこの世界は違うと……?」
バルトは確認するように紗希に訊ねてきた。
「はい……そうですね」
ぎこちなく頷き、無意識に肩を落とした。
実際の世界と小説の世界にはズレがある。
加えて、マリアンヌがバンシーの遺物と呼んだロマンス小説か分からないプロットらしきものと紗希の知っている小説は共通している箇所があるとはいえセレスティーナの名がなかったりと謎が多い。
すると今度はバルトが黙り込んだ。
それから歪な笑みを隠すように口元を抑え肩を震わせた。
「バルトさん?」
不安になって尋ねると、今まで殆ど向けられることのなかった冷えた視線が紗希に向けられた。
「面白いことを言うなと……いや、だって……当然じゃないですか?ここは現実ですよ。俺たちは生きてる。やはり分かってないのは聖女様の方ですよね……」
「え……?」
そしてバルトのつま先が紗希に向かう。
いつになく不穏な空気を背負う姿がゆっくりと距離を詰めてきて、反射的に後退ったが直ぐに背中が固い扉に触れた。
逃げ場を失った紗希の前でバルトは眉間に皺を刻んだ。
そして白く長い骨ばった指が頬に伸びてきて包み込む。
「愛しています」
薄っぺらいと指摘した言葉は痛々しいほどに切実に、そして怒りを孕んで響いた。
「俺はあなたを手放したくない。地獄だった七年の唯一の光だった……もっと俺を見てください。俺は物語のキャラクターじゃない。生きてる。あなたが好きだ」
戸惑い、唇が震える。
「バルトさんには、この世界に相応しい相手がきっといるはず……」
「俺を男として見られない?」
「それは……」
今まで考えようとはしなかった。
紗希の口からは上擦った声が漏れた。
縫い止めるような視線が責めるようでとても耐えられない。
「理屈で分かった気になっているが、俺とあなたの間には明確な壁がある。キャラクターでなく男として俺を見て欲しい。どうすればいい?教えてくれ、紗希」
不意に名を呼ばれ肩が竦む。
どくどくと心臓の音が身体の奥で響き、紗希は顔を歪めた。
「すっ……ステルダムで言いましたよね?こんなこと、ミレーヌさんと同じだって……」
とてもバルトを直視して告げることが出来ず、視線は足元へ落ち言葉尻が窄まる。
「頑固だな……」
バルトが呟いた。
呆れを孕んだ声だったが、しかし急にふっと笑みを零し顎先に指を滑らせる。
何をされるのかと反射的に戻した視線の先には何故か緩慢とした微笑みがあった。
「まぁ……それぐらい意思の強い人間でなきゃ何年も同じ物語を追いかけたりしないか」
それから唇が迫り、バルトが耳元で囁く。
「いつでも襲える相手に手出ししないのは、俺からの慈悲だと思ってください」
脅しをかけるような威圧的な低い声に紗希は息をのみ、胸の奥を何かが這うような感覚に言葉を失っていた。
しかし直後に張り詰めた空気を破るような音が背中の向こう側で聞こえた。
そしてエギルの声が響いた。
「よろしいでしょうか?魔女が報告をしたいと言っております」
扉越しにエギルが立っていると分かり妙な安堵を感じる紗希だったが、今までのバルトならこういった場合「後にしろ」と言う。
なんと返答するのか、束の間の時間がとんでもなく長く感じた。しかしバルトは眉を顰めるだけでエギルに対しぶっきらぼうに答えた。
「あぁ、通せ」



