金木犀の甘い香りが風に吹かれてやってくる十月。
俺は食堂に併設された購買の前で、きょろきょろとあたりを見回していた。
「渉、なにしてるの」
自分を呼ぶ声に振り返ると、そこにはクラスメイトの高野がいた。
高野とは中学からの仲だ。柏木先輩に憧れ、俺が死に物狂いで勉強し、この学校に来たこともすべて知っている。
「もしかして柏木先輩探してる?」
「うん。先輩、身長高いし、目立つからいつもならすぐに気づくんだけど今日は見当たらなくて」
「一緒に探そうか?」
「大丈夫。先輩を探す瞬間ですら俺にとっては楽しいから」
むしろその楽しみを取らないでほしい。
「お前は相変わらず、先輩のことになるとヤバイな」
「ヤバイ言うな」
若干引き気味の高野をよそに、俺は人混みに隼人先輩を探す。
そのとき後ろから、いつもの声がした。
「そんなとこにぼさっと突っ立ってんなよ」
目を輝かせて振り向くと、そこには隼人先輩の姿。
「先輩!」
俺はまるで餌を前にしたワンコのように、鼻息がとまらない。
「じゃあ渉。俺、先に教室戻っとくな」
空気が読める男、高野は隼人先輩にぺこりと頭を下げると、そのまま教室に戻っていった。
「先輩、今日はいつもより遅かったですね! あっ、今日ももちろん大好きです!」
「……ああ」
二百三十七回目の告白は、いつも以上にあっさりと受け流された。隼人先輩はどこか上の空な様子で遠くを見ている。
何を見ているのだろう。そう思って視線の先に目を向ければ、去っていく高野の背中があった。
「さっきの色黒のイケメン、誰?」
「イケメン? ……あー、高野のことですか? 中学の頃からの友達です。この高校を受験するってなったとき、勉強教えてもらったりしてて、めちゃくちゃいいやつなんですよ」
「……ふぅん、名前で呼ばせてんのな」
先輩はそう言うと、わずかに眉間にしわを寄せた。
そのとき俺は、あることに気づいた。
先輩、高野のことを「イケメン」って言ってなかったか?
もしかして、高野みたいなのがタイプだったりして。
サッカー部なこともあって体躯も良く、色黒で男らしい高野と、きゃしゃで色白の俺を比較してみる。
チワワと呼ばれるだけあって、俺はどう見ても小動物系。
一方高野は動物に例えるならクロヒョウだ。戦闘能力が違いすぎる。
今から筋トレして、肌も黒く焼いたとしても、俺が高野になれる未来は見えない。
「てか、お前友達いたんだな。いつも俺のとこ来るとき一人だったから、てっきり友達いないのかと」
「なっ、いますよ! 告白するとき友達引き連れていく人はめったにいないですよ」
「確かに」
先輩はわずかに口角を上げた。
それだけでさっきまで落ちていた気持ちが一気に浮上する。
隼人先輩の言葉で落ち込んで、隼人先輩の言葉で喜んで。改めて、俺の世界は隼人先輩を中心に動いているんだなと思う。
でもそれが全く嫌じゃなくて、どこか誇らしくもある。
だって、それほどまでに隼人先輩のことが好きだから。
「あ、そうだった。お前、野球興味ある?」
「野球ですか……」
突然振られた話題に、どう返事をすればよいか悩む。
だって正直、興味はない。どちらかというとサッカー派だし。
けれどすぐにそう言わなかったのは、先輩の質問の意図を探っているから。どう答えるのが正解だ?
隼人先輩は続けてポケットから二枚のチケットを取り出した。
「今度の日曜の試合、チケット余ってんだけど、一緒観に行くか?」
「行きます! 野球大好きです!」
さっきまでサッカー派だったことなど完全に忘れ、俺は飛びつくように返事をした。
だって、せっかくの先輩と二人、休日にデートできるチャンス。こんな機会を逃すわけがない。
もし今、俺にしっぽが生えてたならば、きっとすごい速さで左右に振られていただろう。
「お、チワワちゃんじゃん」
そのとき、向かいから花村先輩たちが歩いてきた。
「隼人どうだった? チワワちゃん野球行けるって?」
「ああ。野球大好きだって」
「え、あの……隼人先輩。もしかして野球観戦って二人じゃなくて……」
「あ、言い忘れてたけど、花村と金田も一緒」
勝手に二人だと思っていた俺はがっくり肩を落とす。
もし今、俺に犬耳が生えてたならば、しゅんと下を向いてるだろう。
「当日は駅に一時集合な。細かいことは、またあとで連絡する」
「あ……はい!」
落ち込む俺を横目に、隼人先輩はひらひらと雑に手を振りながら、花村先輩たちとその場を去っていった。
先輩と二人きりではないけれど、それでも休日に会えることが嬉しくて、思わず口元が緩む。身体中を熱い何かが駆け巡り、ふわふわと地に足がついてないような浮遊感に包まれる。
どうしよう、楽しみすぎる。
けれど、それと同時に一抹の不安も残る。
待ち合わせは駅。ということはもしかして電車に乗ることになるのかもしれない。
「……大丈夫かな」
思わずこぼれた独り言に、俺はすぐさま首を振った。
きっと大丈夫。先輩が隣にいてくれればきっと。
そう信じるように祈りながら、俺は週末を待った。
俺は食堂に併設された購買の前で、きょろきょろとあたりを見回していた。
「渉、なにしてるの」
自分を呼ぶ声に振り返ると、そこにはクラスメイトの高野がいた。
高野とは中学からの仲だ。柏木先輩に憧れ、俺が死に物狂いで勉強し、この学校に来たこともすべて知っている。
「もしかして柏木先輩探してる?」
「うん。先輩、身長高いし、目立つからいつもならすぐに気づくんだけど今日は見当たらなくて」
「一緒に探そうか?」
「大丈夫。先輩を探す瞬間ですら俺にとっては楽しいから」
むしろその楽しみを取らないでほしい。
「お前は相変わらず、先輩のことになるとヤバイな」
「ヤバイ言うな」
若干引き気味の高野をよそに、俺は人混みに隼人先輩を探す。
そのとき後ろから、いつもの声がした。
「そんなとこにぼさっと突っ立ってんなよ」
目を輝かせて振り向くと、そこには隼人先輩の姿。
「先輩!」
俺はまるで餌を前にしたワンコのように、鼻息がとまらない。
「じゃあ渉。俺、先に教室戻っとくな」
空気が読める男、高野は隼人先輩にぺこりと頭を下げると、そのまま教室に戻っていった。
「先輩、今日はいつもより遅かったですね! あっ、今日ももちろん大好きです!」
「……ああ」
二百三十七回目の告白は、いつも以上にあっさりと受け流された。隼人先輩はどこか上の空な様子で遠くを見ている。
何を見ているのだろう。そう思って視線の先に目を向ければ、去っていく高野の背中があった。
「さっきの色黒のイケメン、誰?」
「イケメン? ……あー、高野のことですか? 中学の頃からの友達です。この高校を受験するってなったとき、勉強教えてもらったりしてて、めちゃくちゃいいやつなんですよ」
「……ふぅん、名前で呼ばせてんのな」
先輩はそう言うと、わずかに眉間にしわを寄せた。
そのとき俺は、あることに気づいた。
先輩、高野のことを「イケメン」って言ってなかったか?
もしかして、高野みたいなのがタイプだったりして。
サッカー部なこともあって体躯も良く、色黒で男らしい高野と、きゃしゃで色白の俺を比較してみる。
チワワと呼ばれるだけあって、俺はどう見ても小動物系。
一方高野は動物に例えるならクロヒョウだ。戦闘能力が違いすぎる。
今から筋トレして、肌も黒く焼いたとしても、俺が高野になれる未来は見えない。
「てか、お前友達いたんだな。いつも俺のとこ来るとき一人だったから、てっきり友達いないのかと」
「なっ、いますよ! 告白するとき友達引き連れていく人はめったにいないですよ」
「確かに」
先輩はわずかに口角を上げた。
それだけでさっきまで落ちていた気持ちが一気に浮上する。
隼人先輩の言葉で落ち込んで、隼人先輩の言葉で喜んで。改めて、俺の世界は隼人先輩を中心に動いているんだなと思う。
でもそれが全く嫌じゃなくて、どこか誇らしくもある。
だって、それほどまでに隼人先輩のことが好きだから。
「あ、そうだった。お前、野球興味ある?」
「野球ですか……」
突然振られた話題に、どう返事をすればよいか悩む。
だって正直、興味はない。どちらかというとサッカー派だし。
けれどすぐにそう言わなかったのは、先輩の質問の意図を探っているから。どう答えるのが正解だ?
隼人先輩は続けてポケットから二枚のチケットを取り出した。
「今度の日曜の試合、チケット余ってんだけど、一緒観に行くか?」
「行きます! 野球大好きです!」
さっきまでサッカー派だったことなど完全に忘れ、俺は飛びつくように返事をした。
だって、せっかくの先輩と二人、休日にデートできるチャンス。こんな機会を逃すわけがない。
もし今、俺にしっぽが生えてたならば、きっとすごい速さで左右に振られていただろう。
「お、チワワちゃんじゃん」
そのとき、向かいから花村先輩たちが歩いてきた。
「隼人どうだった? チワワちゃん野球行けるって?」
「ああ。野球大好きだって」
「え、あの……隼人先輩。もしかして野球観戦って二人じゃなくて……」
「あ、言い忘れてたけど、花村と金田も一緒」
勝手に二人だと思っていた俺はがっくり肩を落とす。
もし今、俺に犬耳が生えてたならば、しゅんと下を向いてるだろう。
「当日は駅に一時集合な。細かいことは、またあとで連絡する」
「あ……はい!」
落ち込む俺を横目に、隼人先輩はひらひらと雑に手を振りながら、花村先輩たちとその場を去っていった。
先輩と二人きりではないけれど、それでも休日に会えることが嬉しくて、思わず口元が緩む。身体中を熱い何かが駆け巡り、ふわふわと地に足がついてないような浮遊感に包まれる。
どうしよう、楽しみすぎる。
けれど、それと同時に一抹の不安も残る。
待ち合わせは駅。ということはもしかして電車に乗ることになるのかもしれない。
「……大丈夫かな」
思わずこぼれた独り言に、俺はすぐさま首を振った。
きっと大丈夫。先輩が隣にいてくれればきっと。
そう信じるように祈りながら、俺は週末を待った。


