至高の一匙――オッサン料理人、人生後半で獣人の子供を育てる

 晴を引き取ってから、三週間ほどが過ぎた。

「店長、ハンバーグ定食とオムライス二つ、唐揚げ定食入りまーす」

 店の看板娘リズの声が響き渡る。

「はいよ。晴、追加の野菜、刻んどいてくれ」
「もう刻んだよ。卵、出しておくね」
「おう、ありがとな」

 キジムラ食堂の昼時は戦場だ。
 春待国の首都にあるので、役人の利用が多い。

「晴、今日は唐揚げの仕上げ、やってみるか?」
「え! いいの?」

 晴の尻尾が、ピンと立った。嬉しいらしい。
 
「揚げてみな。できたら出す前に、俺に声を掛けろよ」
「わかった!」

 晴が踏み台に立った。
 まだ三週間しか経っていないのに、晴の身長は十センチほど伸びた。それでもまだ、台がないと調理台に届かない。

 油の温度を慎重に確かめる。鼻をひくひくとさせて匂いを確かめているようだ。
 タツキは遠巻きに晴の動きを見守った。

(あの辺は、人にはないスキルだな。晴は味や匂いに敏感だ)

 片栗粉をまぶした鶏肉を静かに油に滑り込ませる。基本に忠実な動きだ。
 油に沈んだ肉を真剣に見詰めている。その姿が可愛くて、タツキは小さく笑んだ。

「おーい、リズ。オムライス上がったよ」
「はぁい」

 料理を運んでいたリズが戻ってきた。

「あ! 晴くん、今日は唐揚げ、揚げるのね」

 ワクワク嬉しそうに、リズが厨房を覗いた。

「ヘタッピなら客には出さねぇぜ。全部、自分で食わせる」
「そんなこと言ってぇ。店長のほうが期待してるくせにぃ」

 肘でクイクイ突かれて、バツの悪い気持ちになった。

「いいから、オムライス出してきな」
「はいは~い。あと、ナポリタン追加で~す」
「へいへい」

 客席を眺める。広いとは呼べない店内だが、今日も満員御礼だ。

「タツキ!」

 不意に声を掛けられて振り返った。

「おぉ、蓮也か」

 近衛騎士団の制服を着た虹村蓮也が手を上げて、タツキに歩み寄った。

「相変わらず大盛況だな」
「お陰様で。そっちは、どうだ」
「事務仕事が多くて、腕が鈍りそうだよ」

 蓮也が苦笑する。

「平和でいいことじゃねぇの」

 タツキは笑った。
 虹村蓮也はタツキの後に日本から異世界召喚された。
 タツキが抜けなかった勇者の剣を抜いた。異世界から来た勇者になった男だ。
 中津公国では数十年に一度、封じられた神・御宿石《みしゃぐじ》が蘇る。それを封じられるのは異世界から来た勇者だけなのだそうだ。
 召喚されてから今日まで、蓮也は勇者として御宿石の封印を担ってきた。

「最後に御宿石様の封印をして数年経ったが、次の封印で俺はお役御免だろう。次の勇者召喚も近いだろうな」
「もうそんなに経ったのか。俺らも歳をとるわけだねぇ」
「俺の仕事は年を取れば終わりだが、タツキの仕事は定年がなくていいよな」

 召喚された当時、勇者の剣を抜けず、期待外れの召喚者と呼ばれたタツキを救ってくれたのが、蓮也だった。
 タツキの料理の腕を信じて、首都に店を出す算段をしてくれたのも蓮也だ。それ以来、二十年以上の友情を温めている。

「蓮也には大事な国政に関わる仕事が待っているだろ。期待してるぜ、勇者様」
「そういう言い方はやめろよ。アラフィフになって勇者もあったもんじゃないさ」

 こんな言い合いができるのも、蓮也だけだ。

「それより、弟子を取ったと噂に聞いたぞ。まさか、引退なんか考えていないだろうな」
「噂になってんのかよ。たまたま獣人の子供を拾ったんだ。料理に興味あるみてぇだから、教えているだけだよ」
「お前自身は、やめたりしないんだろ。懐かしい日本食を食べられる貴重な店を失くしてくれるなよ」
「それなら、問題ないぜ。弟子にもしっかり仕込んで……」
「店長! オーダー滞ってます!」

 リズの怒り声が飛んできた。

「おっと、これは失礼した。またゆっくり、酒でも飲もう」

 蓮也が片手を上げて去って行った。
 リズの厳しい視線から逃げるように、タツキはいそいそと厨房に戻った。

「師匠、唐揚げ、揚がりました。確認してください」

 意気込んで晴が唐揚げを差し出す。

「どれどれ……」

 唐揚げをかじる。カリッと香ばしい音がして、ジューシーな肉汁が染み出る。肉の旨味が口に広がる。断面の色も綺麗だ。

(頑張っていたもんな。成果がちゃんと形になっている)

 この三週間、晴は朝から晩まで厨房に張りついていた。
 包丁の持ち方から火の扱いまで、眠る直前まで復習するほど熱心だった。

「揚げ加減も、ちょうどいいな。うん、合格」

 晴の顔に笑顔の花が咲いた。尻尾がピンと立って、フルフルしている。

(随分と、素直に笑えるようになった)

 拾ったばかりの頃はぎこちなかった笑顔が、今は自然になった。

「次はハンバーグ、焼いてみな」
「……わぁ、やった! 頑張ります」

 狸の耳をピンと立てて、晴がフライパンを温め始めた。

(実践を積むほど上手くなるってのは、料理の鉄則だね)

 もちろん、客に出す前の最終確認はタツキがする。それでも、三週間前に森で震えていた子供とは思えない上達ぶりだ。

 晴の隣で、タツキはナポリタンを作る準備を始めた。

(弟子と並んで料理を作る日が来るとはなぁ)

 自分の人生で、弟子を受け入れる日が来るなんて考えもしなかった。
 真剣にフライパンの温度を確かめる晴を眺める。

(真面目だし、勤勉だし、素直だし。良い子を拾ったもんだ)

 捨てた親にざまぁみろと、心の中で悪態をつく。

(もう俺の息子だ。返してやらね)

 そんなことを考えながら、ナポリタンの野菜を炒めた。