頭も心も空っぽだ。
すこしだけ感覚がマヒしていた。
私には身に余る時間だったんだ。
それを忘れて、バカみたいに正直に小金さんからの言葉や反応を真に受けて信じ切っていた。
こんなことなら始めたから小金さんのような存在を知らない方が幸せだった。
1度少しでも満たされてしまったら欲が出る。
もっと、もっとが湧き出て止められなくなる。
小金さんは私の事を煩わしいと思っていた。
自分でもわかっていたはずなのにいつから勘違いしていたんだろう。
「この人なら」にどれだけ騙されれば気が済むんだろ。
思いっきり頬を引っ張叩かれて現実に引き戻された感覚。
失ったものは大きかった。

「やあ、君がおとちゃん?」
あの日からもう何もかもがどうでもよくなって、ほんとにどうでもよくなって、ネットに手を出した。
私を満たしてくれて、嘘でも愛情をくれるなら何でも、誰でもよかった。
今はただ、溺れるくらい誰かに愛されたかった。
「初めまして、おとです。神谷さんですか?」
「うん、神谷。いこっか」
もっと若い人だと思っていた。ネットでつながってお互い共感するところが多くて、会ってみませんかとなった人。
まさかこんなおじさんだったなんて。
少し怖かったけど。どうでもいいやという気持ちの方が大きかった。
ご飯を食べに行って、お酒を勧められたので飲むことにした。
はじめて飲むお酒はあんまり美味しくなくて、でもお金を出してくれるというので嫌な顔が出来ずに飲み切った。
頭がぼーっとする。
フワフワする私に神谷さんは「夜風に当たるとマシになるかも」と言って夜の散歩が始まった。
近くにあった大学の回りをぐるっとしてそのままいつもと全く違う公園に入った。
ご飯を食べているときも歩いてるときも神谷さんはずっと真摯で酔っても何もしてこなかったから安心しきってしまっていた。
この人は安全な大人だったんだな。
って回らない頭で結論付けた。
その時だった。
さっきまで優しく案内してくれていた神谷さんにすごい力で引っ張られた。
身体が大きく傾いてバランスを崩す。
何が起こったのか理解する間もなくベンチに 押さえつけられた。
今まで、映画とか観ててなんで助け呼ばないんだろとか、なんで振り払わないんだろって思ってた私がばかだった。
身体はピクリとも動かない。
死にかけの魚の方がまだマシにピチピチできるでしょってくらい。全くうごかない。
声を出そうにも声を出したらどうなるのかっていう考えがよぎって出せない。
殴られるかもしれない。首を絞められるかもしれない。気絶させられてどこか知らないところへ連れていかれるかもしれない。
あんなにどうなってもいいと、死んだってかまわないと思っていたのに
"殺されるかもしれない"と言う事に恐怖を感じていた。
怖い。誰か。助けて。
「た、たすけ,,,」
虚しくかすれた声が零れ落ちた時だった。
急に目の前にいた神谷さんが体制を崩して横に投げ出された。
一緒になってベンチから落ちそうなところを誰かにキャッチされる。
状況が全くつかめないまま何か叫ぶ神谷さんをぼーっと見ていた。
「こういうやつは俺みたいなやつがいないと生きていけないんだ!自分から転がり込んできたくせに、ブスが調子に乗るな!俺みたいなやつが目をつけてくれただけでも感謝しろよ!」
あぁこれ私に言ってるんだ。
ここでも私は価値がないんだ。
情けない。
だれにも私は愛されちゃいけないんだ。

私をキャッチしたその人は私をベンチに座らせ神谷さんの前に立って大きく息を吸った。
その背中を見てなぜか急に安心した。
安心しちゃいけない人なのに。
安心する権利なんて私にないのに。
もう私のことなんて嫌いな人なのに。

「あの子はお前の欲を満たす道具じゃない。お前の一瞬の快楽の為にあの子の一生に傷をつけるな。トラウマって1年やそこらで消えるもんじゃないんだよ。3年後5年後10年後、ふとした瞬間に思い出す。それが一生付きまとうんだ。あの子の一生をお前は責任が取れないでしょ」
「そんなの俺に関係あるか!」
神谷さんはもう怒りで顔が真っ赤になっていた。
それでも目の前の人は続けた。
「関係あるないじゃないんだよ。そんなことも分からずこの先も人を平気で傷つけるなら、今ここで俺を殺して刑務所で大人しくしててよ。お前に傷つけられる人が1人でも減るなら俺は別にいいよ」
いやだ。そんなこと言わないでよ。
神谷さんに人を殺す度胸なんてなかったらしく子供向け番組の悪者みたいなセリフを吐き捨ててどこかへ行ってしまった。

私は恥ずかしさと気まずさでとりあえずこの場を立ち去りたかった。
もう嫌だ。
これ以上私に優しくしないでよ。
立ち上がろうとしたけど、目の前に立たれてしまってもう動けなかった。
「泣かないの?」
小金さんの声がこないだまでと変わらない、
優しい声。
うつむいたまま首を縦に振った。
「泣かないよ。自分のせいだもん。泣く権利なんて私にはないよ」
顔を見られたくなくて俯いていたのに、小金さんはしゃがみこんで私の顔を覗き込んでくる。
「もう限界って顔にかいていあるよ」
ツンとほっぺを刺される。
「いいじゃん、俺の前でくらい甘えたって」
"ごめんね、頼れない存在にしちゃって"
ってあのメッセージが誤解であることを丁寧に説明してくれた。
「泣いたっていいんだよ」
「みんなそういって泣いたらダルがるんだよ」
「みんなと俺を一緒にすんな」
ゆっくり小金さんの目を見た。
ふっと微笑んでこちらを見上げる。
「俺、たばことパチンコ卒業しようと思ってるんだ」
「なんで、?」
「もう少しまともな大人になって、おとに長生きしてればこんないいことあるんだって教えたい。安心して頼ってもらいたし」
今までずっと我慢してきた涙が何もしてないのに零れ落ちてしまった。
中学生の時から我慢し続けてきた。
誰も私を見てくれなかったから。
"私のため"になにかをしてくれる人なんかに出会ったことがなかったから。
クスっと笑って私を抱きしめてくれるこの人を、信じてもいいかな。
始めてもらった人からのぬくもりは
なんだかとても温かかった。