そして6月に入った頃、隋からの客人達はいよいよ、難波津(なにわのつ)に到着した。その際には、飾り舟30艘で客人を江口で出迎えることとなる。
※江口:淀川の河口

 その後客人達を、炊屋姫(かしきやひめ)が新造した館にまずは落ち着かせた。

 そして大和からは、客人の接客の指示をだす。その指示を受けたのが。

 中臣宮地烏摩侶(なかとみのみやどころのおまろ)
 大河内直糠手(おおかわちあらいのあらて)
 船史王平(ふねのふびとおうへい)

 の3名である。


 そしてこの3人は、隋からの帰国者である小野妹子(おののいもこ)を前にして、口論を始めた。

「妹子殿、それは一体どういうことだ!」

 大河内直糠手は余りのことに、思わずその場で叫んだ。

「はい、ですから、私が帰国するときに隋の帝から受け取った国書を、百済を移動中に、百済の者に奪われてしまったのです」

 小野妹子は特に動揺することなく、淡々とそう彼らに説明する。

 それを聞いた3人のうちの中臣宮地烏摩侶も、続けて声を張り上げて小野妹子にいった。

「きさま、それでも大使か!大使として遣わされたのであれば、何が何でも任務を果たすべきではないのか!!」

 彼はそういって、思わず妹子の襟元の部分を掴む。

「そうそう、烏摩侶殿のいう通りだ。それはあなたの怠慢があったからではないのですか?」

 最後に船史王平もそういって、小野妹子に対し少し厳しい目を向る。

 こうして彼らは、自身の怒りを露にして、小野妹子を一方的に攻め立てる。

 そんな彼らの発言を小野妹子はとてもすました感じで聞いていた。彼の表情からは、全く怖じけづく感じが見られない。

 だがここでいい合っていても、どうしようもない。そこで3人は小さな声で急に相談を始める。

 そしてやっと話し合いが終わったのか、3人を代表して、中臣宮地連烏摩呂が小野妹子にいった。

「とにかくこのことは炊屋姫様に報告する。恐らく流刑にでもなるだろう。厩戸皇子の信頼が厚いお前がいい気味だな!」

 彼はそういうと、その場でケラケラと笑いだした。
 そして笑いがおさまった後、他の2人を連れてその場を離れていった。


 そんな彼らを小野妹子は、ただただ呆然と眺めていた。
 そしてその後、彼は頭に手を当ててやれやれといった感じで思わず呟いた。

「ふぅー、まったくもって、ややこしい人達だ。大王や皇子の意向を全く組み取れていない……」

 小野妹子が隋の帝の元にいった際に、彼は厩戸皇子の書いた国書を帝に渡していた。

 その国書には「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無しや」の文面が記載されている。

 帝はその国書を見るなり、自分以外の者が天子を名乗った事で、倭国側のその強気な姿勢にひどく激怒した。だがこれはあくまでも、隋と対等な関係を築きたいという、厩戸皇子の考えである。

 帝からの国書の紛失も、そういった互いの立場の兼ね合いも含んでいるのだ。


 そしてその後小野妹子の件は、すぐさま炊屋姫の元に伝わることとなる。

 だが報告に来たその3人に対し、彼女からは意外な返事が返ってくる。

「確かに彼は、国書を失うという罪を犯したかもしれません。ですが軽々しく刑に処すべきではないでしょう。これが隋から来た客人に知られるのは、余り良くありません」

 炊屋姫はそういって小野妹子をゆるし、刑に処さなかった。

 それを聞いた3人は酷く腹を立てるものの、炊屋姫にはよう逆らえず、大人しく引き下がるほかなかった。

 こうして、小野妹子へのお咎めはなくなり、刑は無事に回避されることとなった。