雨の日カフェには猫又がいる

カフェに向かう途中の道の真ん中に、ポコッと飛び出た石がある。

前日の入学式を経て、二日目の登校日。まだその辺りに馴染んでいなかった僕は、うっかり道に迷った。

古い町並みの向こうに、小高い丘の上に建つ校舎が見えている。

見えているのに、入り組んだ狭い路地は所々行止まりで、思うように進めない。

塀の上の猫が大きな欠伸《あくび》をして尻尾を揺らす。

いっそ猫のように塀を越えて行ければな、なんてよそ見したのがいけなかった。

息を切らせて走る僕の真新しいスニーカーが、ほんの小さな出っ張りに引っかかって。

僕は一瞬、……宙に浮いた。

次の瞬間には乾いた土の上に

けど掌は擦れて血が滲んだ。

反転して体勢を立て直し、両手を擦って土を落とす。

勢いで飛んでった鞄を探して目を上げると、同じ学校の制服を着た女の子がいた。

僕の鞄を拾ってくれたみたいだ。

「あなたでちょうど2万2千人目ですって。何かいいことがあるわよ」

彼女はそう言って笑った。

「2万2千人目……?」

「そう。その石で転んだ人」

「数えてるの?」

「ええ、その石がね」

「石が?」

あまりにも突拍子もないことを言うから、いろんなことが頭から飛んでった。

それに彼女にはそのセリフがなんだか妙に似合っていた。

青白い頬には大人びた表情。何処を見てるのか分からない目は少し色素が薄くて。

風に靡く長い髪からは林檎のような匂いがした。

だから、彼女が次に何を言うのか気になって、僕は咄嗟に思いついた疑問を声に出していた。

「でもさ、そんなに人が転ぶなら、なんで退けないんだろう」

彼女はすいと横に向き、真っ直ぐに腕を伸ばして、一点を指差した。

僕もつられてその指の先に目をやる。

「無理よ。ほらあそこ。この石とあの石は一つの石なの。この石を退ければここに大きな穴が開くでしょ?」

彼女が指差した先、小さな鳥居の向こうに鎮座する大きな岩には注連縄が巻かれている。

小さく出っ張った石と大きな石の間には数メートルの距離がある。

この二つが一つの大きな岩だというなら、少なくとも直径数メートルある巨大な岩が、足元に埋まっていることになる。

「その石はね、人が好きなの。人になりたくてずっとそこで人を見てる」

彼女の指先が大きな石から道の上をなぞって、僕の足を引っ掛けた小さな石に戻ってくる。

道の真ん中にも関わらず、その石は見ようと思わなければ意識されないような小さな石コロで。

でも決して簡単には動かせない。

地面の下に巨大な体を隠した鬼のツノの一部みたいだ。

そういえば、さっき良いことがあるって言ってたけど、

「転んだのにいいことがあるって?」

「そうよ。だって世の中はいいことと悪いことが半々で出来てるんですもの」

「そうかな」

「そうよ。気付かないだけ」

「暑い寒い。明るい暗い。生きる死ぬ。表と裏。半分ずつ……って石が言ってる」

「……半分、ずつ」

「そうでもないんじゃない? 良くも悪くもないことが大半さ」

僕は彼女が拾ってくれた鞄を受け取って、土埃を払う。

彼女の足元にはいつの間にか、さっき塀の上にいた猫がいる。

彼女の足に尻尾を絡ませるように擦り寄る。彼女に随分懐いている。もしかして彼女の家で飼ってる猫なんだろうか。

「その猫は……」

僕の声を遮るように彼女は言う。

「私は猫になりたいわ。きっと私の半分は猫で出来てる」

「猫は……かわいいよね」

「そうでしょ?」

そう言って笑った顔は、僕をドキッとさせるほど可愛くて。

昨日の入学式で、彼女を見たことをお思い出した。

「入学式の時、桜の木に話しかけてたよね?」

「…………」

困ったような、悲しいような、複雑な目で僕を見つめたあと。

彼女はゆっくりと後退り、踵を返して走り去った。



それ以来彼女は見ていない。すごく変な子だった。でもなんだか少しうこちゃんに似ている。

もしかして姉妹とか?

うこちゃんの色鉛筆は布のケースにくるくると巻かれたずっしりと重みのあるもので、横から覗くとまるで虹の螺旋階段のようだ。

真新しいスケッチブックはまだ何も描かれていない。ちょっと残念。うこちゃんの絵を見たかったな。



カフェのお客さんはもうほとんどいない。みんな雨が上がって帰ってしまったのだろう。

「あの、これうこちゃんの忘れ物なんですけど、こちらで預かってもらえますか?」

僕が持っているより、カフェに預けた方が早くうこちゃんに届けられるだろうと思った。

「ありがとう、助かるよ」

店員さんの足元で猫がにゃぁと鳴いた。