ああ、何時間経っただろう。
お産がこれほど苦しいとは。
今、実感を持って言える。
痛くて痛くて頭がおかしくなりそう。
お腹がおしもが腰がかち割れそうに痛い。
でっかい鬼が素手で私の下半身を叩き割ろうとしてるって感じ。
内蔵まで全部痛い。
21時過ぎに両親が病院に到着した。
でも、顔を見ても喋る余裕が無かった。
部長が応対してくれ、おののく父と訳知り顔でガッツポーズを見せる母を連れ、病室に案内してくれた。
「ううー、きたー、痛いーっ!」
飛んで戻ってきた部長が手を握ってくれる。
マッサージは時田さんに任せ、私の汗を拭いたり、水分を取ってくれたり、こうして手を握って陣痛の波を支えてくれる。
「ゼンさん……痛いでしょ?手、もういいですよ」
私が何時間も死ぬ気でしがみつくから、彼の腕だってバキバキに張ってるはずだ。
「気にするな。おまえの痛みと比べたら楽だ」
「無痛にすればよかった」
「じゃ、二人目はそうしよう」
「痛過ぎて考える余裕ない~。ゼンさん、痛いよぅ」
「頑張れとしか言えなくてすまん。でも、ポンのためにも耐えてくれ」
「……はい」
このあたりが本日最後の夫婦らしい会話だった。
ここから先が正真正銘、理性ナシの地獄だったのだから。
22:30。
LDRに移動して2時間少々。入院して8時間。
私のお産の進行が止まった。
子宮口は8センチのまま2時間。
私は同じ痛みに苦しみっぱなし。
この時点でようやく、お医者さんの銀縁メガネ先生(本名は佐藤先生という)が現れた。
「一色さん、お産いいところまで進んでますよ~」
「そうですか!?いつまで私、いきむの我慢するんですか!?」
陣痛の合間にここぞとばかりに怒鳴る。
銀縁先生があははと陽気に笑った。
「あー、さすが!運動してただけあって、まだまだ体力ありますねぇ。赤ちゃんもですよ。全然心拍落ちてない。二人とも余力がありそうですね」
私は何かしらの反論をしかけて、また陣痛の発作に呻いた。
くそう!
貴重なお休み時間を銀縁先生との会話に使っちまった!
私の陣痛が収まるのを待って、再び先生が口を開く。
「で、今ですね、お産の進行がちょっとスローになってます。子宮口がもう少し開いてきたら、いきんで赤ちゃんを押し出す段階に行けるんですよ。そこで、お二人の余力があるうちに提案です。
人工破膜といって、僕の方で破水させます。これでぐーっと陣痛が強くなる可能性が高い」
「やってください」
若干、食い気味に私は言った。
「それでも、この状態が長く続くようなら促進剤を考えましょう」
「はい、なんでもやってください。ついでに会陰切開も必要なら是非やってください」
もう、なんでもいいからこの痛みを終わらせたい。
密かにやってた会陰マッサージとか、どうでもいい。
すぐにこの激痛とグッバイできるなら、どこ切ってもらっても構わない。
これほど痛いとか知らないし、もう無理だし、これ以上拷問が続いたら発狂しちゃう気がするし!
ベッドが分娩台に変形していく。
足載せの台ができ、背もたれにカーブがつく。
私は足先から膝までビニールを被せられた。
あ、本で見たお産の姿勢だ。
なんて思っていたら、銀縁先生の声がかかり、おしもに何かの処置がされた。
さあっと
熱いお湯が流れ出した。
おしもからお尻にかけて。
あ、これが羊水。
ポンちゃんがプカプカ浮いていた羊水が出た。
あったかくて、たくさんの羊水……。
次の瞬間、訪れた陣痛に私は叫びをあげた。
「いいいいったああああああっい!!!!」
それは、今までの陣痛がすべて茶番だったといえるほどの痛みだった。
これまでは呻くことができた。
でも、今はほとばしる絶叫を抑えきれない。
「うわああああああっ!!いたあああああいっ!!!」
最後の一音まで力の限り叫んでしまう。
私の豹変にたぶん部長はビビッている。それでも、私の手を離さないでいてくれる。
「あ、一色さん、開いてきましたよ。子宮口全開大」
銀縁先生が言う。
時田さんが、私の手を部長からもぎ取り、ささっと分娩台のレバーに移す。
「一色さん、次の陣痛の波がきたら、いきんでみましょう」
いきめ?
もう我慢しなくていいのね!?
「って、今更いきみ方なんて忘れちゃったよぉっ!!っててて、うわああああっ!!痛いっ!!痛いいいいいいいいっ!!!」
「口は閉じて、外に叫ぶエネルギーをいきみに変えましょう。お腹を覗き込んで、おしもを中心に力を入れます。合間は深く呼吸して、赤ちゃんに酸素を送ってあげますよ」
いっぺんに色々言わないで!
もう、パニック。
痛すぎて死ぬ死ぬ死ぬ死ぬーーーッ!!!
と考える間もないんでしたッ!
陣痛は1~2分間隔。
波が1分以上来るので、お休みはほぼない!
「一色さん!口閉じて!はい、うーーーん!」
「ふ、うーーーーーーーーーんっ!」
「はい、もう一回!」
「うーーーーーーーうああああっ!!痛いいいいっ!!」
「いいですよ。その調子」
痛くても死にそうでも、
私はもうどこにも逃げられない。
ポンちゃんを産み落とすまで。
この悪夢から逃れられない。
私は分娩台の上でいきみ続け、痛みで首をぶんぶん振りまくり、足をガンガン足台に振り下ろした。
陣痛の合間に束の間意識が遠退く。
それは不思議な感覚だった。
私はものすごく短く眠っているのだ。
夢も見ている。
それは、つわりで病院に連れてこられた時、見た夢と似ていた。
ゆらゆらする世界。
海の底。
オレンジ色の光。
あたたかくて心地よくて、その一瞬だけが天国のようだった。
すぐに鬼に身体を八つ裂きにされるような痛みで、現実に引き戻される。
私はいきんで、半分叫んで、また頭をぶんぶん振った。
時間にすれば1時間半くらいだったらしい。
でも、この時間の長さはその100倍くらいの体感を私に与えた。
「一色さん、頭が見えましたよ!」
日付が変わった頃だ。
時田さんが足下で言った。
その時分の私は時間の感覚もなくなり、ただ無限地獄と化したいきみをルーティンワークのようにこなしていた。
もう一人の助産師さんが銀縁先生を呼びに行く。
「もう一回いきみましょう。吸って、はい、うーーーーん!」
「うーーーーーーーーん!うああああっっ!!」
「もう少し長くいきんでみましょう。ご主人、こちらにきてくださっていいですよ」
部長が私のおしもの方に。
もう、恥ずかしいとかどうでもいい。
死ぬほど痛い。
っていうか死んじゃう。このままじゃ。