今も時々ぼくは仲井さんの気持ちが分かる。
例えば乗りに乗ってイラストを描いている時、例えば調子が悪くて何も描けずに落ち込んでいる時、今の自分はこれでいいのかとスケッチブックと向き合っている時。
イラストで一喜一憂する彼女を目にする度に、なんとなく気持ちを察する。
あ、今は楽しいんだろうな、とか。
今は苦しくて絵を描く気分じゃないんだろうな、とか。
自分の思い描いている将来に不安を抱えているんだろうな、とか。
あの時、彼女が抱いていた痛みを、苦しみを、つらさを、反対に楽しさを感じていたぼくだ。表情ですぐに分かっちまう。
それはきっと仲井さんも同じだろう。
ぼくがぼんやりとギターの雑誌を眺めていたり、自分の指先を見てため息をついたりすると、積極的に声を掛けてくる。
それによってぼくは落ち込んでいた気分を持ち上げたり、また過去の古傷を顧みることやめる。
お互いの気持ちを知っているからこそ、表情で分かってしまうんだ。
だからなのか。
最近の“ナカナカ”コンビは恋人扱いじゃなく、夫婦扱いを受けている。
一から十まで説明しなくても分かるところが熟年夫婦っぽいらしい。
ただし、それはお互いの一部の気持ちが分かっているから夫婦っぽくなっているのであって。
カレカノとして接すると、なんか、こう初々しくなってしまう。
今こそ下の名前で呼び合うことができるけど、最初はそれすら大変だった。
癖でどうしてもお互いにナカイと呼んでしまう。
今まではそれで良かった。
期間限定のカレカノだったんだから、苗字呼びでもなんでも良かった。どうせ別れるのだと割り切っていたのだから。