ぽつんと座る背中に、そろそろいいかと思い声をかけた。
「冷えてきましたよ」
「うん…」
ぼんやりと海辺に座ったまま、腰を上げる気配もない。
私も隣に座って、今日も星が綺麗そうだなと思いながら、日の暮れていく空を見あげた。
ひとつくしゃみをした先輩が、ほんとだ寒いね、と今さらなことを言う。
「ごめんね、引きとめて。もう帰ろ」
「どこへですか?」
考えていなかったんだろう、先輩が目を見開いた。
千歳さんのところへですか、それとも善さんのところへですか。
あるいは、自分の家へですか?
「言い忘れていたかもですが、私も春から東京です」
「そうなんだ」
一緒だね、と笑う。
どのへん? とも訊かないくせに。
目じりに残る涙の跡を指で拭いてあげると、恥ずかしそうに顔をそむける。
お兄、と突然声を出した千歳さんは。
最初それが自分のものだと気づかなかったようで、目を丸くして、きょろきょろして。
呆然と動けずにいる先輩を見て、初めて何が起こったかわかったみたいだった。
先輩は、駆け寄る千歳さんから、なんでかさらに逃げようとし続けて。
それが泣いているせいだとわかった時、明るい声で笑い飛ばした千歳さんを、悔しそうに見た。
千歳さんの声は、それで終わりだった。
そのあとは、どう頑張っても、お兄、とも言えなかった。
でも、これが第一歩。
少しずつ、きっと何かが変わってく。
「少しは、考えが変わりましたか」
「ん…」
「まだ許せませんか?」
先輩は何か思い出しているふうに空を見あげた。
長いこと私に顔を見せようとせず、ひとりにして、と言い張ったその目は、まだ赤い。
ひとりになるなって言ったばかりなのに、と不満に思いつつ、気の済むまで泣かせてあげたら、もう空が藍色に染まる時刻だ。
無理もない、8年ぶりの声。
千歳さん以上に、先輩が聞きたがっていたに違いない声。