すれ違った灰色のベールにふと振り向いて、お互いあっと声をあげた。
「マ・スール…!」
「まあ…みずほさん?」
高校で、私の学年を受け持っていた、年配の教師だった。
担任だったのは一年生の時だけだったのに、遠方の受験をすると言い張る私の味方をして、母を説得してくれた先生だ。
都心の、地下鉄の入り口前での偶然だった。
少しの用を足しに出てらしたらしいマスールは、私の顔をしげしげと見て、ごきげんよう、と懐かしい挨拶をくださる。
ごきげんよう、と返すと、まだ何も知らず、何にも出会ってなかった頃の自分を思い出して、胸がしめつけられた。
「もう、何年になるかしら」
「四年です、もうすぐ大学を卒業します」
「充実してらしたみたいね。あなたは、そうね…何か、心が動く体験をなさったのね。別人のようです」
「マスール…」
小柄で色白の頬に、笑うと優しい皺が寄る。
乾いた手で、手をとってくれた時、なぜだか涙をこぼしそうになった。
「何か、悩んでいますね。ひとりでは解決できないことですか?」
「マスール、私…」
柔らかくて心強い手を握り返す。
私、と言う声はだだをこねるように揺れた。
「ある人の、望みを、叶わないようにしました」
「まあ、どうして?」
「…叶ったら、その人は、罪を犯すことになるので」
泣きだした私を、マスールが道の片隅に導いた。
力づけるように手を握ってくれる。
「罪が行われるのを、とめたのですか?」
「私はその人が、誰かを傷つけるのが、嫌だったんです。それが罪かどうかは、関係なく」
善悪も関係なく。
ただ、先輩に、人を傷つけてほしくなかったんです。
そんな理由で、先輩の望みに立ち入ったんです。
この傲慢さこそ、罪だったように思えて。