翌日のテストは、数学と英語と保健の3教科。
これも、勉強の成果が出たのがぼちぼち出来たような気がする。
テストは何事もなく終えることができたけど、問題は放課後だ。
やっぱりというかなんというか。昨日の今日で、さっそく清水さんたちが仕掛けてきた。
「ローファーがない……」
帰ろうと下駄箱を開けると、そこに入っているはずのあたしのローファーがない。
「えっ!?……あ、私も……」
一緒にいた美空も、下駄箱を開けて悲しそうにつぶやいた。
「今まで上履きを隠されたことはあるけど、ローファーときたか」
「上履きは無くても履かなくても学校内を歩けるけど、ローファーが無いと家に帰れないね」
あたしの言葉に、美空も続けて言う。
どうしたものか、とお互い顔を見合わせた。
さすがに上履きのまま家まで帰るわけにはいかない。
清水さんたちがどこかに隠したのは確実だと思う。問題はその隠し場所。
上履きの時と同じようにゴミ箱だろうか。
いつもなら、下駄箱から教室に行くまでの間の廊下のゴミ箱にあるんだけど……そう思って探してみたけど無い。
他にも思い当たるところは探してみたけど、あたしと美空のローファーは見つからなかった。
考えた末に、あたしは校庭で体育をする時に履いている運動靴で帰ることにした。
制服に、このしっかりとしたスニーカーはちょっと可愛くなくて嫌だけど、仕方ないもんね。
「あの……蒼唯ちゃん」
昨日からあたしのことを名前で呼んでくれるようになった美空。
それに感動しながらも、運動靴に履き替える手を止めた。
「私、運動靴洗おうと思って、この前持って帰っちゃってて無いんです……」
「ええっ」
ということは。
美空の下駄箱を覗き見る。
上履きは今履いてるし、運動靴は家で、ローファーは神隠し。
美空の下駄箱は思わずびっくりするほど、すっからかんで一切何も入っていなかった。
「私、もうこのまま上履きで家に帰るよ。ローファーも見つからないし」
苦笑する美空。
確かにこれしか方法はないんだろうけど……。
でも、上履きで帰るなんて、汚れるし恥ずかしいし、美空だってきっとすごく嫌なはず。
考えると同時に、ふつふつと沸き上がってくる清水さんたちへの怒り。何でこんなことをするのか本当にわからない。
でも、怒ったところで美空のローファーが出てくるわけではない。
……あ、それなら。
「美空、あたしも上履きで帰るよ!」
そう言って履き替えようとしていた運動靴を下駄箱に戻すあたしに、美空が「ええっ!?」と声を上げる。
「ななな、何で蒼唯ちゃんまで?」
「何でって、お揃いだったら恥ずかしくないでしょ?」
目を丸くする美空に、あたしは当然のように答えたけど、上履きのまま外へ出ようとするあたしを美空は慌てて止める。
「そんな!蒼唯ちゃんまでそんなになる必要ないよ!私は大丈夫だから!気持ちだけ有り難く受け取らせて頂きます!」
あたしをそのまま外へ行かせまいと、美空が後ろから腕を引っ張り続ける。
だけど、あたしだって負けていられない。
「いーいーかーらー!あたしが美空とお揃いがいいのー!」
「でーもー!」
後ろに引っ張る美空に対して、あたしはそれを振りほどき歩き出そうと試みる。
さすがに疲れてしまったあたしは、美空のほうを振り返って言った。
「美空はっ、あたしとお揃い嫌なの!?」
それを聞いた美空は力を緩めて、困った顔をしながらも首を横に振る。
「蒼唯ちゃんって、結構強引なんだね」
それから少し不満そうに頬を膨らませて言った美空。
あたしは「ごめんね」と軽く謝りながら、このやり取りが本当に友達になったんだと実感して嬉しくなり、思わず顔が綻んでしまうのだった。
二人揃って上履きのまま外に出ると、下校途中の生徒たちが驚いた顔であたしたちを見てきた。
そのあとは、コソコソと友達同士で話す声が聞こえてくる。
どうしたんだろうね、とか。
きったなーい、とか。
あたし達がいじめられていることは、あたし達のクラスとせいぜい広まっていても隣のクラスぐらいだ。
でも、こうしてたくさんの人の前でこんな姿でいると、あたし達が少なからず普通の生徒ではないことは一目瞭然。
誰も好き好んで上履きで帰るなんてありえないから、何も知らない人達でもいじめられていると思うに違いない。
美空はきっと、恥ずかしくて仕方がなかっただろう。
でも、あたしは不思議と気にならなかった。
「美空。今日のテストの答え合わせしながら帰ろーよ」
「えっ……う、うん」
キョロキョロと周りの目を気にしながら、あたしに作り笑いを向ける。
もう、しょうがないなぁ。
「美空!ほら、行くよ!」
「えっ……蒼唯ちゃん?」
美空の手を引いて、あたしは周囲の視線から逃れるように走り出す。
上履きのまま走って走って、あたしはある場所に美空を連れていった。
美空を連れてきたのは、碧がいるいつもの川。
隣町とのちょうど境目であるここなら、学校の人には見られないし、まず人通りもそんなにないところだから、余計に人に見られることもない。
まあ、上履きのまま走ったりしたから変に目立ってしまって、ここに来るまでにいろんな人にじろじろと足元を見られたけどそこは我慢してもらおう。
「あ、蒼唯ちゃんっ。ここは……?」
疲れたのか、美空が肩で大きくしながら問いかけてきた。
「あたしの大好きな場所!」
あたしは美空にそう答えて、土手へと降りる。
しばらく辺りをキョロキョロと見回してみたけど、珍しいことに碧の姿はどこにもない。
「……あれ、いない」
あたしは1ヶ月以上毎日のようにここに来ているけど、碧がいないことなんて、たぶん初めてだ。
「誰がいないの?」
「あたしと、美空の恩人。いつもここにいるから美空にも会わせてあげようと思ったんだけど、今日はいないみたい」
“美空の恩人”という言葉が気になったのか、「どんな人?同い年?」と興味津々に質問攻めにしてくる美空。
あたしは、美空にそのまま土手に座るように促して、碧とのことを出会った時のことから話し始めた。
「……そうだったんだ」
全部話し終えて一息つくと、美空がぽつりとつぶやいた。
「確かに、蒼唯ちゃんがほんとに死んじゃってたら、私一生自分のこと責めてたと思う」
「でしょ?だから言ったでしょ、美空にとっても恩人なんだって」
あたしの言葉に、美空は静かに頷いた。
「私のせいで蒼唯ちゃんまでいじめられるようになっちゃったのに……。あの時は本当にごめんなさい」
あたしが1ヶ月ぶりに学校に行った時にちゃんと謝ってくれたのに、美空はまだ罪悪感が残っているのか泣きそうな顔をして頭を下げる。
「だーかーらー、もういいんだって。あたしも美空が自分の意思でやったんじゃないってわかってたけど、あの時は自分のことしか見えてなかったの。だからお互い様!わかったら顔をあげなさいっ」
美空の額を指で下から持ち上げるようにすると、「ひゃわっ」という変な声と共に美空の顔が自然と上がる。
驚く美空に笑顔を見せると、美空も次第に笑顔になった。
「ふふっ、それにしても明日から上履きどうしよう?」
「んー、家帰って上履きを洗ったとしても明日の朝までには多分乾かないよね。とりあえず、明日は別の靴で登校して、学校でスリッパとか借りるしかないんじゃない?」
美空の問いに、あたしがそう答えると、美空は眉を下げてまた不安そうにする。
「スリッパ……また皆に変な目で見られちゃうね」
「そんなことないよ。上履き忘れちゃっただけの人だってスリッパ借りるわけだし、今日みたいに上履きで帰るよりは全然普通だと思うけど……」
平然と言ってのけるあたしだったけど、美空はあまり良い返事をしない。
「でも、今日のことを見てる人とか私たちがいじめられてることを知ってる人とかは、確実にそういう目で見てくるよ……」
「そりゃそうかもしれないけど……深く考え過ぎだよ」
ていうか、そう思うようにしないと、明日も学校へ行くことなんてできない。
あたしは少しでも美空が気にしなくて済むようなことを言ってみるけど、美空は依然として浮かない表情のままだ。
テストは明日まである。休むわけにはいかない。
「大丈夫だって!美空、気持ちだけでも明るくしておかないとしんどいよ?」
「それは……わかってるんだけど……」
必死で励まそうとしているのに、いつまでもウジウジとしている美空に、あたしは少しだけイラッとしてしまったのかもしれない。
「あのさ、美空。確かに恥ずかしいかもしれないけど、あたし達は別に悪いことしてないんだから、もっと堂々としていればいいんだよ。そうやってビクビクしてると、あいつらが楽しんでもっといじめがひどくなるだけなんだから」
思わず強めな口調になってしまった。
案の定、美空は少し俯く。
そして……。
「わかってはいるんだけど……私は蒼唯ちゃんみたいに強くないから……」
苦笑しながらそんなことを言われた。
「あたしだって強くなんかないよ。でも、美空と一緒だから大丈夫だって思える」
まっすぐに美空の目を見て言ったけど、美空は「そうだね」と力なく答えるだけ。
美空は違うのかな。あたしと一緒だとしても、いじめられていることには変わりはないからやっぱりつらいんだろうか。
それとも、今のあたしの言い方が悪かったのかな……。
“蒼唯ちゃんみたいに強くないから”
美空の言葉が突き刺さる。
あんまり嬉しくない言葉。
あたしは強いから一人でも大丈夫、と突き放されたように感じてしまう。
そんなことないのに……。
「あっ……ごめ……」
美空がハッとした様子で謝ってきた。
「ごめんなさい……私……」
「ううん。あたしのほうこそキツイこと言ってごめん」
本当に申し訳なさそうにする美空。
そんな美空にあたしは精一杯笑顔を返した。
でも、気まずい沈黙が2人の間に流れる。
「……っ、わ、私もう帰るねっ……!」
いたたまれなくなったのか、美空は立ち上がると、あたしが呼び止める間もなく走って行ってしまった……。
「……あー、ダメだなあたし」
美空の後ろ姿を見送ることしかできなかったあたしは、ため息をついてうなだれる。
体育座りをして、両膝に顔を埋めるようにして、先程のことを悔やむ。
確かに、きついことを言ってしまった自分が悪い。
でも……。
「強くなんかない、か……」
あたしだって、怖い。
誰だっていじめられるのなんて嫌だ。
それでも頑張れるって思うのは、同じ境遇だったからこそ仲良くなれた美空がいるからで。
だから、あんなふうに悩む美空を見ていると、あたしなんていてもいなくても一緒だと思われてるのかな、なんて考えちゃったりもして。
「あたしは美空の友達にまだなれてないのかな……」
気が滅入ると、どんどんネガティブな思考へ繋がってしまう。
自分の口から出た不安に、思わず涙が出そうになった、その時だった。
「大丈夫だよ、蒼唯」
ふわりと頭に優しい感触と温もりを感じて、あたしは顔を上げる。
そこには……少しつらそうに顔を歪ませながらも微笑んでいる碧の姿があった。
「み、どりっ……」
気づかないうちに心の奥底で会いたいと思っていたのか、碧の顔を見た途端涙が堰を切ったように溢れ出た。