「助けてもらってたのは……あたしのほうなんです……」
あたしのせいで、碧が死んでしまったと伝えたら、縁さんはどんな顔をするだろう。今この優しい笑顔は消えるのかな。
それでもあたしは、意を決して話した。
碧と過ごした日々、碧の最期、記憶をなくしていた間のこと、そのあと幽霊になった碧とも過ごしたこと、全部。出会ってから今までのことをすべて。
縁さんは、時折頷きながら、あたしが話しやすいように終始優しい目を向けてくれていた。
「……縁さん。あたしが、碧を死なせてしまったんです。だから、恩人なんて言ってもらえる資格なんてないです……!」
震えそうになる声を絞り出して、最後まで話し終えた。
縁さんは、しばらく黙ったまま。
あたしは俯いているから、その表情まではわからない。
今目の前にいる人間によって我が子を奪われたのだから、咎められようが責められようが仕方ないことだと思う。
覚悟のうえだったんだけど、やっと口を開いた縁さんの言葉は意外なものだった。
「よかった……。あの子、何もできないまま逝ってしまったわけではなかったのね……」
その言葉の意味が理解できず、あたしはパッと顔をあげた。
縁さんは、ポロポロと静かに涙を流しながら、それでいて柔らかな笑顔をたたえていた。
「碧ね、こんなことも言っていたの」
縁さんの言葉を聞いた瞬間、あたしはその場に泣き崩れてしまった。
碧が生前、言っていたこと。
それは……。
“今度は、僕があおちゃんを守るんだ!”
「蒼唯さんにそうしてもらったように、自分も蒼唯さんを助けるんだって。そのためにもっと強くならなきゃって……」
碧が溺れたあたしを助けてくれたこと。いじめられて橋から飛び降りようとしたところを助けてくれたこと。その時の碧の姿が脳裏によぎる。
「碧はちゃんと、蒼唯さんに恩返しすることができたのね」
そう言って縁さんが泣きながら微笑むから、あたしはさらに涙が溢れて止まらなかった。
「碧ぃ……!うわぁぁぁん!」
声を上げて泣くあたしを、縁さんは抱きしめてくれた。
「蒼唯さん……。
碧のこと、こんなにも愛してくれて、
本当にありがとう……」
縁さんの言葉は、碧がいなくなってぽっかりと空いたあたしの心を、温かく埋めてくれていった。
しばらく泣いて落ち着いたあと、縁さんが碧の部屋に案内してくれた。
碧が生きていた頃のまま、綺麗に保たれている。
「ここが……碧の部屋……」
この部屋は、小学6年生で時が止まっているせいか、置いてあるおもちゃや漫画が高校生のあたしには子供っぽく感じる。
それでも、ここにあたしの知らなかった碧がたくさんいたんだと思うと嬉しくて、微笑ましくなった。
「私は下にいるから、ゆっくりしていってね」
気を利かせてくれたのか、縁さんは部屋を出て行き、あたし一人にしてくれた。
「碧……勝手にお邪魔させてもらったよ」
部屋の真ん中にちょこんと座り、もう一度、じっくり部屋の中を見回す。
特に何の変哲もない男の子の部屋。
机の上の教科書を手にとってみると、本人が言っていた通り勉強は苦手だったのか、暇つぶしに描いたであろう落書きがところどころに見られた。
でも、理科だけはやっぱり好きだったみたいで、どの教科のものよりも綺麗にノートが取ってあり、それに挟まっていた理科の小テストは満点だった。
今思えば、あたしが前に幽霊の碧に、また学校に通えるようになったら勉強を教えてねって言った時、碧はどんな気持ちで聞いていたんだろう。
そう考えると、さっきあんなに泣いたというのに、また涙がじわりと浮かんできた。
何も知らないで好き勝手言っていた自分を思い出すと、今でも自分に対して怒りが込み上げてくるけど、碧も、それから縁さんもあたしが自分を責めることを望んでいない。
だから、あたしもいい加減前を向こう。
過去ばかり振り返って後悔せずに、きちんと歩き出すんだ。
碧の部屋にいただけで、少しの間、碧と一緒にいられたような感じがした。
「縁さん、ありがとうございました。じゃあ、あたしはそろそろ……」
下に降りて、キッチンで夕食の支度を始めていた縁さんにお礼を言う。
日も暮れてきている。だいぶ長い時間居座ってしまっていたらしい。
もう一度お礼を言っておいとまさせてもらおうとした時。
「あっ、ちょっと待って!最後にもうひとつだけ見せたいものがあるの!」
わざわざご飯を作る手を止めて、縁さんがパタパタとキッチンを飛び出してくる。
「ついてきて」
見せたいものというのは庭にあるらしく、あたしは縁さんに連れられるまま玄関を出て、庭へ回った。
その先で見たものは、またあたしの視界を歪ませた。
「ゆ、縁さん……この子……!」
縁さんが笑顔で頷く。
「覚えてる?碧が必死で助けようとしたこの子の命を、蒼唯さんが繋ぎとめてくれたのよ」
この毛並み。この毛色。
そして、この鳴き声。
「ワンワンッ!」
その子は、あたしを見つけると、勢い良く飛びついてきた。
あの頃よりは随分と大きくなったけど、わかる。
だって、あたしと会った時のこの喜び方が、昔と全然変わっていない。
「ソラ……!」
そこにいたのは、あたしと碧が、小学生の時あの川辺でこっそり育てていたあの捨て犬だった。
名前は、とても綺麗な青空の日に見つけたから“ソラ”。
「あのあと、蒼唯さんも記憶をなくしちゃったし、碧の忘れ形見とも言える存在だと思って、うちで引き取ったの」
縁さんが、ソラを撫でながら言う。
あたしは、大きくなったソラの前に座り、その温かさを噛み締めるようにぎゅっと抱きしめた。
あの時は、小学生のあたしや碧が抱いても腕の中におさまっていたのに。
ソラは、今や抱きしめられながらも、ぺろぺろとあたしの頬を舐めるほどの余裕っぷり。
「ふふっ、くすぐったいよソラ……」
身をよじりながら思わず笑う。
ソラはこれでもかというほどじゃれてくるから、それに目一杯応えた。
すごく楽しかった。
楽しくて、涙がこぼれた。
「ありがとうソラ……。あたしのこと、覚えててくれて……」
ソラは、あたしと碧の想い出を知る唯一の存在だ。
こうして生きていてくれたこと、あたしを覚えて待っていてくれたこと、それがどうしようもないくらい、泣けるほど嬉しかったんだ……。
「またいつでも来てね。ソラも喜ぶし、私も蒼唯さんのことは娘みたいに思ってるから」
家の前の門まで、縁さんは丁寧にお見送りしてくれた。
「はい。今日は本当にありがとうございました!」
ぺこりとお辞儀をしたあと、あたしは碧の家をあとにする。
帰り道は、清々しい気持ちでいっぱいで足取りは軽かった。
そして、その足は、何も考えなくても自然とあの川へと向かっていた。
橋を渡る途中、立ち止まる。
「ここで……碧と出逢ったんだよね」
小学生の時、それから、高校生になってもう一度。
碧に出逢ったおかげで、あたしは今、こうして生きている。
二度も救ってもらったこの命を、この先何があろうとも大切にしていかなければならない。
あたしは、そっと手すりを掴み、懐かしさに浸りながら残りの橋を渡りきった。
自分の住む町側に来ると、今度は土手に降りて、いつも碧がそうしていたように、青々と茂る草の上に寝転んだ。
目の前に広がるのは、抜けるような雲ひとつない空。
消える前に、碧があたしのことを青空みたいな存在だと言ってくれたことを思い出す。
あたしと一緒にいる人が、心が洗われるような清々しい気持ちになれる。
自分ではそんな人間だと思えないけど、碧がそう感じてくれていたのなら、これからもそういう人であり続けたい。
「碧……」
この空の、ずーっと高いところに天国と呼ばれる場所があって、碧は今そこで穏やかな日々を過ごしているのかな。
たまには、あたしのことを思い出して、見守ってくれたりしてるかな。
「ありがとう、碧」
もう何回も口にした言葉だ。
「ずっと、あたしのそばにいてくれてありがとう」
初めて会った時から、ずっと、いつも一緒にいてくれた君。
「でも、もう大丈夫だよ」
だって、あたしはひとりじゃないから。
「だから……安心してくれていいからね」
碧……。
大好きな人。
あたしの初恋の相手。
二度も、君に恋をしたぐらいだから、あたしにとって碧が、いわゆる運命の人だったんだと思う。
だから、君が生まれ変わっても、きっとまた君と出逢って、あたしは君のことを好きになるだろう。
そうしたらその時は、今度こそ、ずっと一緒にいようね……。
あたしは、ゆっくりと起き上がり「んーっ」と伸びをする。
深呼吸をしたあと、碧と過ごした想い出を胸に大事にしまうと、足取り軽く家路についた……。
―fin.―
僕は、もともと大人しい性格で、いじめっ子たちの目に止まってしまうような、そんなタイプの人間じゃなかった。
でも、ひょんなことから嫌がらせを受けるようになった。
大人しい性格のせいで友達も少なかった僕に、味方をしてくれる人なんていない。
ひとりで耐えるしかないんだと思っていた。
この時までは……。
「あんた、何してんのーーー!!」
隣町と繋がっている橋の真ん中でたそがれていたら、突然向こう側のほうからランドセルをガシャガシャ鳴らしながらこっちに女の子が突進してきた。
「早まっちゃダメぇ!あんたにはまだ明るい未来がいっぱい待ってるんだから!」
「へ?ええっ!?」
どうやら、僕がこの橋から飛び降りようとしているといると思ったらしく、女の子は必死で僕のことを止めてくれた。
「いいよ。だって、僕を助けようとしてくれたんでしょ?」
違うと伝えると女の子は慌てた様子で謝ってくる。
だからそう答えると、女の子は恥ずかしそうに俯いて。
さっきはあんなに威勢がよかったのに、顔を真っ赤にしながら縮こまってしまう。
蒼唯と名乗った女の子。
彼女の第一印象は、可愛いなぁ、だった。
可愛くて、でも、すごく正義感の溢れる子。
飛び降りようとしているように見えた僕のことを、真っ先に助けて叱ってくれて。
僕は、からかわれているクラスの子を助けたことでいじめられるようになった。助けたのは正直言ってただの偽善で、いじめられるようになった今ではその子を助けなければよかった、とさえ思ってしまっている。
だから、蒼唯ちゃんのまっすぐさが、まぶしくてたまらなかった。
「蒼唯ちゃんは強いんだね。僕は怖くて、ただ我慢するしかできないんだ」
今日もいじめられていた僕を、蒼唯ちゃんは迷わず助けてくれた。
蒼唯ちゃんの強さが羨ましい。
きっと蒼唯ちゃんなら、こんな奴らに負けないんだろうな。
そう思ったら、そんな皮肉っぽいことを言ってしまっていた。
「え?碧もめちゃくちゃ強いじゃん」
だけど、彼女は、平然とこう答えた。
何で?どういうこと?
理解ができない。
やられっぱなしで何もできないこの僕の、どこが一体強いというのか。
僕の疑問に答えるように、蒼唯ちゃんは笑顔で、
「碧は今までずっと一人で耐えてきたんだから。充分すごいよ。強い人じゃないとできないことだと思う」
この言葉が、俺はとてつもなく嬉しかった。
耐えることしかできなかったけど、それでもひとりであいつらと闘ってきたから。
ああ、ちゃんと見ていてくれる子が、わかってくれる子がいたんだ……。
ありがとうと伝えると、蒼唯ちゃんはそれから、僕の手を握り締めた。