あれから、一週間が経った。


テスト返却のあとからも、清水さんからはちょこちょこと絡まれることはあったものの、今までみたいな嫌がらせを受けることはなかった。


嵐の前の静けさ、みたいな。
毎日のように嫌がらせを受けていたせいで、それがなくなった今、そんな恐ろしさを感じる。


いじめられないなら、それに越したことはないのに、おかしな話だ。


だからあたしは、美空がひとりにならないように、休み時間中はなるべく行動を共にしていた。


そんな、ある日のこと。



「あなた達、いつからなの?」



放課後、あたしと美空は、担任の澤田先生に呼び出された。


「何がですか?」


「いつから、いじめられるようになってたの?」


あたしが聞き返すと、先生は真剣な顔でもう一度言った。


「えーっと……」


その質問に、あたしと美空はお互いの顔を見合わせる。


美空はやっぱり自分のせいだという負い目があるのか、言いにくそうに苦笑している。
だから代わりに、あたしが答えた。


「あたしは入学して少しした頃からで、美空はそれよりも前からです」


「そうなの……」


澤田先生がため息をついた。







「川原さんが学校に来なくなったのも、それが原因だったのね……」


あたしは、黙って首を縦に振った。


まだ先生になって若い先生。
自分が受け持っているクラスでいじめが起きているとわかって、きっとショックを受けているんだろう。


だからあたしは、結局ずっと、不登校になった理由を先生に言えないでいた。


「でも、あたしなんかよりも、美空のほうがずっとつらかったと思う」


「そんなっ!私はもう慣れちゃってるっていうか……」


あたしが言うと、隣の美空が慌てて両手と首を横に振る。


そんなあたし達のやりとりを見て、澤田先生はすごく悲しそうに眉を下げて頭を抱えた。


「ごめんなさいね……。あなたたちがずっとつらい思いをしてたのに、全然気づいてあげられなくて……」


涙目になる先生。



「教師失格だわ……」



先生……。


碧のあの言葉が、頭の中によみがえる。


“蒼唯、君はひとりじゃないから”


あたしが学校に行ってなかった間、毎日あたしの家まで来てくれた澤田先生。


あたし達生徒のことを、先生はここまで真剣に考えてくれていたんだ。


「先生、顔上げてよ」


あたしが明るい声で言うと、先生はゆっくりと顔を上げ、丸い目を向けてきた。







あたしは、そんな先生に、碧さながらの笑顔を浮かべて、碧さながらの穏やかな口調で言った。



「先生。あたしは、先生が毎日家まで来てくれてたおかげで、もう一度学校に行こうって思えるようになったんですよ」



もちろん美空のおかげでもあるけど、と付け加えて隣の美空に視線を移す。美空は、少し照れくさそうに笑った。


それを見てから、もう一度先生に視線を戻す。


きっと、碧ならこう言うんだろうな。
あたしも……同じ気持ちだよ、先生。



「だからね先生。先生は、教師失格なんかじゃないよ。生徒思いなすごく素敵な先生だよ」



始めは確かに、先生に対して嫌な印象しか持っていなかった。


でもね、自分の事だけじゃなく、周りにも目が向けられるようになったら、先生の一生懸命なところに気づけたんだ。


「川原さん……!」


「私もそう思ってます。だから、教師失格なんて悲しいこと言わないでください」


美空も、あたしと同じように笑顔でそう言うと、先生は顔を歪ませて顔を両手で覆う。


「やめてよ二人共〜!先生泣いちゃうじゃない〜!」


というか、すでに泣いてしまっている先生。


くしゃくしゃな顔は、いつもの綺麗な姿とは違ってブサイクだった。


「先生、いつでもあなたたちの力になるから、何かあったら言ってね。できる限りのことはするから、ね」


鼻をティッシュでかみながら何度も念を押す先生に、あたしと美空は「ありがと、先生」と返した。


……涙と鼻水でぐちゃぐちゃな先生は、素敵な教師の姿をしていた。








その翌日。
英語の授業中に事件は起きた。


「それじゃあ、今日は英単語の小テストをやります」


澤田先生の言葉に、クラスの皆がざわめきだす。


「えー!いきなりー!?」


「何の勉強もしてないですよー」


「大丈夫。ちゃんと勉強する時間を取りますから!成績にはいるから、皆真面目にやってね」


不満を言う生徒たちに、澤田先生は鼓舞するように両手をパンと叩いてそう言った。


――ピーンポーンパーンポーン。


〈澤田先生、澤田先生。お電話が入っております。至急職員室まで……〉


するとその直後、校舎内に放送が入り、澤田先生は職員室へと向かうように呼ばれた。


「じゃあ、先生が戻ってくるまでテスト勉強しててください。戻ってきたらすぐやるからね」


そう残すと、先生は教室を出て行った。


しばらくして、騒がしくなる教室。
友達同士で一緒に勉強を始める人や、黙々とテスト勉強を始める人。成績なんてどうでもいいのか、居眠りしている人もいる。


あたしも、とりあえず勉強しようと教科書を開く。


どっちかっていうとあたしは文系なんだけど、英語だけはあんまり得意じゃないんだよね……。


美空に教えてもらおうと思ったけど、美空はすでに自分で勉強を始めていたので、邪魔になるかと思い、あたしも自分1人で頑張ることにした。







しばらくは騒がしかったクラスメイトたちも、成績に入るとわかっているからか、真面目にテスト勉強をし始めた。


静かな教室に、シャープペンシルを走らせる音だけが響く。


えーと、テスト範囲の単語はこれだから……とりあえず3回ずつぐらい意味と一緒にノートに書いたら覚えられるよね。


黙々と単語を書き続ける途中で、シャープペンシルの芯がポキッと折れてしまった。


すると、それと同時にこの静寂を破った生徒が、1人。


「ねーねー、須藤さん?」


……!!


清水さんの声だった。


呼ばれた美空が、びくりと肩を跳ね上がらせて、清水さんのほうに顔を向ける。


「ななな、なに……?」


恐る恐る返事をすると、清水さんは意外な言葉を口にした。


「この単語の意味がわからないんだけど、教えてもらえる?辞書、今日忘れちゃって」


ニコニコしながら、自分の席まで来るように美空に手招きする清水さん。


ただ、普通にわからないところを頭のいい子に聞いているっていうだけの場面。どこの学校でもよくあるだろう1コマ。


でも、あたしの心臓はうるさかった。


今までしばらく何もしてこなかったいじめの首謀者が、その対象である美空に助けを求めるなんて、何か企んでいるに違いない。


でも……本当にわからないところを聞いているだけという可能性も否定できないのも事実。


美空もそう思ったのか、ビクビクしながらも清水さんのもとまで答えを教えてあげに行った。







「これで、答えがこうです……」


「あ、そっか!ありがとう、美空ちゃん!」


わざとらしい名前呼びが癇に障る。


あたしは、美空が清水さんのところまで行って教えているところをずっと見てたけど、特に変わった様子はなかった。


気になったのは、美空の席のあたりを取り巻きたちが何回か通り過ぎたことくらいで、それ以外は何もない。


美空は、心配そうなあたしの視線に気づき、口パクで“大丈夫だったよ”と伝えてくれた。


それにホッと安堵の息をつくと、教室のドアがガラリと開き、澤田先生が戻ってきた。


「皆おまたせ!さあ、テストやるわよ!」


バサバサと、各自が教科書をしまう音が聞こえる。


あたしも教科書やらノートやらを片付け、シャープペンシルと消しゴムだけを机の上に置いた。


配られたテスト問題は、思っていたよりも少し難しいもので、あたしは頭を抱えながらもなんとか問題を解いた。


「はい、終了。じゃあ、問題用紙を列の一番後ろの人が集めてきてー」


先生の言葉に習い、後ろの席の人が、順番に問題用紙を集めていく。


「難しかったねー」とか「全然できなかったー」とか、再びざわつき始めるクラスメイトたち。


そんな中、美空の席の方から一際大きな声が上がった。







「あーっ!! 須藤さん、カンニングしてるー!!」



声の主は、清水さんの取り巻きのうちの1人。


その人の声で、あれほど騒がしかった教室内が、一瞬で水を打ったように静まり返った。


「えっ……わ、私カンニングなんてしてないよ……!」


慌てて首を横に振る美空。


「えー?だって、ほら!」


そう言って、取り巻きがクラスの全員に見せるように掲げたのは消しゴム。
その消しゴムのスリーブを取ると、露になった白い消しゴムに、ペンで今回のテスト問題だった英単語がびっしりと書き込まれていた。


「っ!!」


美空の顔が真っ青になる。


取り巻きが言うには、美空の分の問題用紙を集めようとした際に机にぶつかってしまい、美空の机の上に置いてあった消しゴムが床に落下。


それを拾って見てみたら、中に英語の小テストの範囲の答えが書き込まれているのがわかったとのことだった。


「嘘……。まじでカンニングしてたの……?」


「信じらんない……」


「この前の中間テストで100点取ってたのもやっぱりカンニングしてたから……?」


クラスの皆がヒソヒソと話し出す。


そうだ。中間テストの返却の時にも、カンニングなんていうことを言われたから、余計に皆が信じやすくなっている。最悪のタイミングでの騒動だった。







あたしは、真っ青な顔で立ち尽くす美空のもとへ慌てて駆け寄った。


「美空!」


「あ、蒼唯ちゃ……。わた、し……」


知らない、やっていない、とあたしに向かって目で訴えながら、なんとか首を横に振る美空。


「美空がカンニングなんてするわけないでしょ!」


あたしが取り巻きにそう言うと、不敵な笑みをたたえた清水さんが割って入ってきた。


「でも、その消しゴム、須藤さんの机の上から落ちたんだから、須藤さんのものに間違いないじゃない」


それを聞いて、美空の顔からさらに血の気が引く。


「わ、私……ほんとに……ちがう……!」


ガタガタと体を震わせながら美空が必死で否定したけど、消しゴムは確かに美空が使っていたものと同じタイプのもの。


「最低ー」


「みんな、真面目にテスト受けてんのにね」


クラスメイトたちが好き勝手に口々と言う。


絶対はめられた……。


あたしは直感でそう思った。


しばらく何もしてこなかったと思えば、こんな形でクラスの皆の前で嫌がらせをしてくるなんて。こんなのまるで、公開処刑だ。


最低なのはどっちよ……!


涙目になる美空の肩を抱きしめながら、あたしは必死で考えた。


もしかしたら……あの時!?







清水さんに勉強を教えに行っている時、美空の席のすぐそばを、その取り巻きたちがウロウロとしていたのは見た。


もしかしたら、美空を陥れるために同じ種類の消しゴムを用意してそれに答えをあらかじめ書いておき、清水さんが美空をひきつけている間に美空の消しゴムとすり替えたんじゃ……!?


あたしがそのことを言うと、清水さんも取り巻きたちも顔色ひとつ変えずにこう切り出した。



「証拠はあるの?川原さん」



くっ……。確かに、しっかりと消しゴムをすり替えているところを見たわけじゃない。あくまであたしが考えた仮定の話に過ぎなかった。


「今まで須藤さんが成績良かったのも、ぜーんぶカンニングしてたからなんだねー」


「どーりでね。こんなブサイクでどんくさい奴が頭良かったらあたし達の立場ないしー」


清水さんたちが口々に言う。その言葉たちは心無いものばかり。
クラスメイトたちの、あたしたちに向けられる視線も冷たかった。


「やってないよ……」


震えながら必死で弁解しようとする美空だけど、その声はか細かった。


何なの……こんなことして何が楽しいの。


そうまでして美空を陥れたいほど、中学の時のことを引きずってるの。


だとしても、こんな形で仕返しをするなんて、ただの子供だよ……!



青空にさよなら

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