きみとぼくの、失われた時間



捲くし立てられても困る。俺も状況が呑めていないのだから。

「消える前に」お前に会えて良かった。どんな風になってるか、気になってたから。消える前に一目会えて良かった。

弱弱しく口角を持ち上げると、間髪容れずに「消えんな!」頼むから、消えないでくれよ。強く手を握ってくる。


「やっと……、やっとお前に会えたんだ。ぜってぇ逃がすかよ。
幽霊なのか、妖怪なのか知らねぇけど、お前はっ、俺の知る坂本健だ。失踪した親友だ。そうだろ?!

どうすりゃいい。どうすればお前、消えずに済むんだ」


んなの、俺にも分かるわけがない。

ただ心残りが一つ。


「勝手に消えたら秋本……、怒られるかも」

「秋本? ……お前と俺が知る秋本っつったら、秋本桃香のことだなっ。あいつに聞けば、これ、どうにかなるんだな!」
 

いや分かんねぇと思うよ。
寧ろパニックにさせるだけだと思う。

って、携帯を取り出したし……、お前、秋本の番号知ってるのかよ。15年後も繋がりを持ってるのかよ。畜生、軽く嫉妬するぞ。


「出ないか」


舌を鳴らす遠藤は留守電にメッセージを残して電話を切った。

でもって再度俺に今まで何処にいたんだと尋ねてきた。

それをイチから説明するには時間を要するんだけど。
 

「ちっ、路地裏だとはいえ、此処は人目があるな」
 

返事を得られないと判断した遠藤は、着ていた背広を脱いで俺に掛けてくる。
 
「秋本の家。近かったな」

携帯を片手に、そのまま座るよう誘導してくる15上の親友。
明滅を繰り返す俺の両肩を強く掴んで強く見つめてきた。


「すぐに戻る。いいか、動くなよ。消えるなよ。すぐに戻ってくるから」
 
 
これは俺の意思じゃないんだって。

動くなは俺の意思でやれても、消えない約束はできないぞ。

「絶対だからな」

念を押して無茶な約束を取り付ける遠藤は、再三再四消えるなと命令して路地裏を飛び出した。
 

背を見送った俺は、自分の両手の平に目を落とす。

手の平越しに見える、透けた俺の足、捨てられた空き缶、汚れたアスファルト。元に戻るとそれらは視界から消える。


参った、なんでこのタイミングで体に異変が起きてくれるんだか。


遠藤との約束で動くこともできず(なんとなく動きたくもない)、膝を抱えた俺はそこに額を預ける。そしてゆっくりと瞼を下ろした。


俺、どうなっちゃうんだろうな―――…。




―――…15年前、まあ俺にとっちゃあ10日前のことになる。
 
 
人生最高潮の厄日を迎えていた俺は、小学校からの親友、遠藤学をこれ以上にないってほど激怒させた。
 

それは昼休みのことになる。

遠藤や同級生と一緒にグランドでサッカーをすることがお決まりだった俺は、いつものように誘われるがままグランドに向かって隣クラスの奴等とサッカーをした。

しかもこの時、ただ勝負するじゃあつまらないから、公園のグランドを賭けた。

勝てば一週間、主導権を頂戴できるという簡単な賭け事。


男子ってのは単純だから、賭け事になったらいつになく燃えるわけなんだけど、俺はやや上の空。

試合中、凡ミスばかり繰り返した。


パスを受け止められなかったり、変なところにパスして敵チームに攻撃権を明け渡したり、極め付けにオウンゴールしちまうという痛恨の失態を犯した。


ちなみになんで上の空だったか、午前中の出来事に若干落ち込んでいたのかもしれない。

家で親は喧嘩してるし、宿題は二倍出されるし、散々だと思っていたさなかの、昼休みの賭け勝負。

 

当然、俺がこんなにも凡ミスしたせいで敗北した。
 

一緒にサッカーをしていた友達は、「なんかあったのか?」と、俺の上の空っぷりに気付いて心配してくれていたんだけど、賭け勝負に燃えていた遠藤はそれどころじゃない。

激怒も激怒でお前のせいで節をつらつら。


元々スポーツが好きな遠藤だ。んでもって負けず嫌いの遠藤だから、普通の敗北ならまだしも、痛いほどの凡ミスを犯した俺を責め立てた。


当然の報いだから真摯に受け止めて、ごめんと謝罪を繰り返したんだけど、賭けに負けたことは変わりない。
 

煮えた気持ちを噛み締めて遠藤は最悪を連呼。


「お前はもうチームに入れねぇ」


俺の謝罪を突っぱねて鼻を鳴らした。

何もそこまで言わなくても、友達がフォローしてくれたけど、遠藤はそこまで言うことをしたじゃないか、俺を睨んで毒づいた。



「マジねぇよ。坂本のせいで負けちまうんだからっ。
一週間、向こうにグランドの主導権渡しちまうし。お前、やる気ねぇなら最初から入るなっつーの」

「ご、ごめんって遠藤…、今日はちょっと不調で。なんか今度奢るからさ」


「いらねぇよ! 馬鹿、死ね、失せろ!」

 
ご立腹の遠藤を他の友達が宥めてはくれたけど、それにしてもあいつの機嫌は長い付き合いの中でも、いっちゃん悪いものだったと思う。

昼休みが終わって午後の授業中、帰りのSHR中、ずっと機嫌を低空飛行させていた。


なんとかして機嫌を上昇させたい俺は、隙を見て何度も謝ったんだけど、謝罪を繰り返すごとに油を注いだようだ。

怒り心頭の遠藤はついに感情を噴火、しつこいと謝る俺を一蹴。



「もう来んなっ、消えろ!」



かんなり熱のこもったお怒りのお言葉を頂戴した。
 
見かねた友達が後日、怒りがおさまってから謝った方がいいよっと言ってくれたから、俺はそれに従ったわけだけど。

でも居心地は悪かった。
遠藤が愚痴を零す間、いや誰かと会話をしている間、それは俺の悪口なんじゃないかと被害妄想が出てきて出てきて。


全部が俺の悪口を言っているように見えるほど、俺は遠藤を激怒させた。


嗚呼、なんでこんな凡ミスをしちまったのか、遠藤を怒らせちまったのか、不調なのにサッカーなんてしちまったのか…、自分が嫌になる。
 

午前中は和気藹々と話していた筈なのに、どうしてこんなことに…、自己嫌悪は止まらなかった。


もう二度と、遠藤とは仲良く出来ないんじゃないか…、そんな不安感にも駆られた。


できることなら時間をリセットしてしまいたい。


そう切に思う俺がいた。
 


ふっ、と意識が浮き上がり、俺は重たい瞼を開いた。


満目一杯に広がるのは未だに見慣れない天井。
電気の豆電球がオレンジに発光しているせいか、部屋全体が仄暗いオレンジ色をしている。

ゆっくりと上体を起こすと、額からタオルが滑り落ちた。


湿ったタオルを手に取り、改めて部屋を一望する。


ここは秋本の部屋か。

閉め切られたカーテンは可愛らしい水玉模様に彩られているし、何回か触った木造のクローゼットもそこにある。


自分の身なりを確認。


制服を着ていた筈なのに、いつの間にか秋本の古着が。

色あせた猫のイラストが俺を見上げている。


ポリポリと鼻の頭を掻き、ふと自分の体の異変の事を思い出して、その手を確かめる。

体、透けてない。元通りの色をしている。

明滅する気配が一抹も感じられない。



「俺。どうしたんだっけ」

 

記憶のページを捲る。

確か昼飯を買いに外出したんだよな。

コンビニに足を運んで、それから公園に。
そこで子供用のサッカーボールを見つけて。


瞬きを繰り返し、毛布から抜け出す。

そっとカーテンの向こうを覗き込んでみると、空に星のカーテンが掛かっていた。


お日さんはとっくに就寝しているようで、替わりにお月さんが地上を照らしてくれている。





踵を返し、水の張った洗面器を蹴らないよう注意をしながら寝室を出た。
 

狭い廊下をぺたぺた歩き、リビングの扉をちょっとだけ開ける。

中から話し声が聞こえた。

テレビの音じゃない。


二つの声音は、各々男女のもの。

テーブルを囲んで駄弁っている一人は見慣れた女性の後姿。
もう一人は、見知らぬ男性の横顔。
 
 
けれど何処となく面影を感じさせるそいつは、俺の「坂本。起きたのね」
 

びくっと肩を震わせ扉から数歩、後退してしまう。

お構いなしに扉を開ける秋本は俺の両手首を取ると、「もう平気?」わざわざしゃがんで視線を合わせてきた。

平気かどうかは分からない。ただ体が元通りになったのだから、きっと大丈夫なのだと思う。

 
その意味合いを込めてうんっと頷くと、「心配したんだから」泣きそうな声音で見つめられた。
 
 
少しばかり居心地が悪くなる。

だけど、俺の意思で消えたいと思ったわけじゃないから、なんて返答すれば良いか分からない。

ダンマリになって思考をめぐらせていると、彼女から助け舟を出してくれた。


「遠藤がね。貴方を車で運んでくれたの」


私にも連絡を入れてくれたの。だからお礼を言いなさいね、そう言って首を捻る。

彼女越しにリビングを確認すると遠藤学(アラサー版)、親友と呼ぶべき人間の双眸がこっちを向いていた。





ますます困惑してしまう。


 
誰よりも一緒にいた時間が長かった奴だからこそ、親友の変貌っぷりには驚きを隠せない。

10日経ったとはいえ、いざとなると15年後の変化についていけない俺がいる。


だってスーツを着ているんだぜ?
俺と同じ学ランを着ていた男が、スーツにネクタイ、信じられないよな。
 

「ありがとうくらい言いなさいよね」


諌めてくる教師の言葉にも反応できず、ただただ口を閉じる。逃げたくなってきた。
 
 
「秋本、坂本は混乱しているんだよ。察してやれって」
 

また助け舟が出される。

今度は遠藤から出された舟で、俺はどうにかその舟に乗っかることができた。
 

見上げてくる秋本も「そうね、事を急ぎすぎたわ」と眉を下げ、俺に謝ってくる。

それだけ情けない面をしていたのだろう。


首を横に振り、小声で俺も謝罪した。

どうしても今の俺は自分のことで一杯いっぱいだ。


自分の身の異常といい、遠藤の姿といい、混乱に混乱してしまう。
 
 
嗚呼、やっぱり分からない、なんで俺は消えそうになったんだろう。

遠藤と再会したからか?
知り合いに巡り会っちまったからか?



まさか、そんな……、秋本の時はこんな現象なかったぞ。


分からない、2011年って未来は俺をどうしたいんだろう? それとも俺がどうにかしたいのか? なにも、わからない。
  



 
すっかり落ち込んでしまった俺をテーブルに着かせた秋本は、「ご飯にしましょう」今日は遠藤もウチで食べるから、とテキパキ声で語ってくる。
 
お刺身を買ってきたのだと一々報告してくれる彼女に、俺も何か手伝おうか、と尋ねた。


「いいわよ。座っておきなさい」


気遣ってくれる秋本が微笑んできてくれる。

嬉しい反面、落ち込んでいた俺にはすこぶる気まずいと現状に嘆きそうになる。

だって斜め前に遠藤が座っているんだぞ?

落ち込んでいる上に、あいつの視線が痛いのなんのって……、どうしよう。この状況。


これはこれで焦るんだけど。
 

飽きもせずテーブルと睨めっこする俺は相手をチラ見。バッチシ遠藤と目が合って身を萎縮する。
 
ま、まじでどうしよう。
背後から聞こえる爆笑番組に目を向けたい。

2011年の番組は1996年の俺にも十二分に楽しめるし。

まあ、俺の知った芸能人が老けていることにはショックを隠せないでいるけどさ。


もう、開き直って清々しく「おひさ」とか言って笑ってやろうか。
 
現実逃避を起こしていると、「体、平気なのか?」と遠藤から話を振ってきた。
 

「え、あ、はい。もう……大丈夫です。ありがとうございました。お手数掛けました」
 

折角の話題も、たどたどしい敬語せいでおじゃんだ。俺の阿呆。

ほらぁ、思った傍からなんで敬語なんだよ、遠藤に苦笑いされたし。


でも、俺の知る遠藤は中学生なんだよ。

こんな生真面目そうなリーマンじゃなかったんだよ。ほんと、働くお兄さんって感じだ。俺の知る遠藤とかけ離れている。


「あ、あの。お兄さん」

 
途端に麦茶を飲んでいた遠藤から大笑いされる。
 

「坂本からオニーサン」


そうか、お前の目にはそう見えるもんな。
変な気分だとくつくつ喉で笑う遠藤が、なんだとばかりに視線を飛ばしてきた。


やや間を置いて、「お兄さんは本当に遠藤なの?」俺の知っている遠藤とはまるで別人だと吐露する。


間髪容れず、「お前のことなら何でも知っているぜ」口端を持ち上げる遠藤は、例えばな……と腕を組む。
 


「中1の夏。俺達は補導されかけた。何故なら路面に捨ててあると勘違いしたチャリをパクろうとしたからだ」

あ、それは俺と遠藤だけの秘密の思い出。


「それから、坂本のいとこの中に別嬪姉ちゃんがいた。歳は俺達の十上、中学の時はもう社会人だったよな。あの人。綺麗だった」

一目惚れしそうになったとウィンクする遠藤に、俺はちょっとだけ表情を緩めた。それも俺と遠藤だけの思い出だ。


「あと、忘れられない思い出は二人でお前の兄貴の部屋に忍び込んでエロ本を読んだことだ。見つかった時は殺されるかと思ったな」
 

「あんた達。最悪」キッチンに立つ秋本が笑声を漏らしながら悪態をついてくる。

シシシッ、子供っぽく笑う遠藤にもうこれ以上の疑いはない。

どんなに変わっていようと、遠藤は俺の知る、あの遠藤なのだから。
 
 
少しだけ緊張の糸が弛む。

安堵の息をつく俺に、「信じたか?」と聞かれ、首を縦に振った。

そうかそうか、満足げな表情を作る遠藤に更なる質問を重ねる。

俺のことは怖くないの? どこまで秋本から聞いているの? と。



曰く、遠藤は俺を秋本の部屋に運んだ後、彼女と合流。一旦秋本に俺を任せ、仕事に戻ったそうだ。
 
秋本も仕事を抜けて俺がもう大丈夫だと判断するまで傍に居続けてくれたみたい。
各々仕事を終えると事を知るために軽く茶会をしたんだって。
 
ある程度の事を知ってくれているということは、俺が1996年から2011年に飛んできたことも知っているということ。


なのに遠藤、あんま驚いた素振りは見せない。
寧ろ信じてくれる様子。


肝が強いのかと思ったけど、「驚きを越しちまって」どう反応すればいいか分からん、と零していた。

 
「だってまず人間が透けるところを見ちまったんだ。信じられないけど信じるしかないしなぁ」


なるほど、納得いく答えをどうも。
 
「懐かしいよ、お前を見ていると」

遠藤は目尻を下げた。

一方の俺は十日ぶりの再会だから懐かしいもなにもない。

お前に戸惑ってばっかだよ。
成長したな。背ぇ高くなったな。顔つき、男前になったな。空気、変わったな。

花火のように言葉が湧き出ては弾け消える。

  
「お兄さんもアラサーなんだよな?」

「やめろって。その、お兄さんっての。ガチで自分が老けた気分だぜ。それにまだ29だ。今年で30だけど」


そうか、お前もアラサーか。
 
俺は秋本を一瞥。ダブルアラサーか。

ギッと彼女に睨まれたから、慌てて視線を戻す。冗談だって、ジョーダン。
 
でも二人が30だなんて変な気分だ。お前等が30なんて不思議な気分。




あまり弾まない会話もそこそこに、秋本が揚げたてのフライドポテトと簡単な具沢山スープを持って戻って来る。
 
刺身とフライドポテト、具沢山スープ、それからスーパーで買ったであろうお惣菜を前に俺達は頂きます。遅めの夕飯を取り始めた。
 

アラサー組が酒を飲むか、いや車だし、と平坦に会話を交わしている。

お酒の会話ができるのもアラサー組ならでは。

幾ら同年代とはいえ15の俺とでは出来ない会話だ。
二人が成人を迎えているんだって改めて思い知らされる。


白飯を頬張ってマグロを箸で抓む俺はそれを醤油に浸しながら、聞き手に回った。大人の会話にはついていけそうになかったから。
 
その間にもアラサー組がしみじみとを会話を繰り広げる。
  

「なんか変な感じだな。15の坂本が此処にいるなんて。こんなにチビだったかなぁ、坂本って」

「ほんっと。私よりでかいって認識してたもんだから、今の坂本を見てると……、子供よねぇ」


「だなぁ」相槌を打つ遠藤はフライドポテトを抓んで口に放った。

うるせぇいやいアラサー組。どーせ俺はお前等から見たらガキだよ。ただの15の中坊だよ。


「でも。なんかすっげぇホッとした」


遠藤が意味深に気持ちを紡ぐ。

俺の反応をハナッから気にしていないのか、

「最後まで諦め悪かったの」

俺とお前だったな、遠藤は秋本に視線を投げて同調を求める。

「ええ」



秋本は小さく頷いた。

現在進行形で諦めが悪かったのは私達だけね、彼女は微苦笑を漏らした。

なんの話なのかイマイチ分からない俺は交互に二人の顔を見やった後、「兄貴と姉貴ができた気分だ」と会話に割り込んだ。


「俺の同級生だとは思えねぇや。お前等、まんま大人だし。変な感じだ」
 
「坂本は坂本で違和感を感じているんだな。そりゃそうか、15年後の未来にきているんだし。お前を見つけた時はビビッたぞ、まじで」
 
「遠藤、よく坂本を見つけられたわね。一応、帽子かぶらせてるから、よく顔を見ないと分からないと思うんだけど」
 

具沢山のスープから人参を匙で掬う秋本は、何気ない疑問を遠藤にぶつけた。俺はやばいと逃げ腰になる。