きみとぼくの、失われた時間



「俺が失踪事件を起こしたってヤツ。詳しく聞かせて欲しいんだけど」
 

なんだか姉さんの、あ、違った、秋本の顔が曇る。

「15年も前になるわ」

おとぎ話の冒頭でよく耳にする“昔々”のような始まり方だった。
 

曰く、15年前、坂本健は突然失踪。

行方を晦ましてしまい、周囲を驚かせた。

最初こそ家出だと囁かれていたけれど、いつまでも姿、情報が掴めないことに警察も事件性があるのではないかと本格的に捜査を開始。

坂本健の行方を追った。

けれど少年は見つからず、まるで神隠しにでもあったかのように情報すら集まらなかった。
 

「マスコミも来てね」

 
学校を大騒ぎさせたのだと忌々しそうに語る。

生徒の気持ちも考慮せず、なりふり構わずインタビューしようとするあの輩は好きじゃない。まったくもって好きじゃない。

なによりも事件を“祭り事”のように騒ぎ立てた。本当にムカつくと、秋本は毒づく。
 

「全国ニュースにまでなったのに、あんた…、全然見つからなくてね。
誘拐されたのか、事件に巻き込まれたのか、それとも何処かで息絶えてしまっているのか、誰も何も分からなかった」


上擦り声を出す秋本は、「だから驚いたの」あんたの姿に、15の姿のままのあんたに、成長していないから幽霊かと思ったと吐露。

きっと今も片隅で俺を幽霊だと思っているんだろう。眼がそう物語っていた。

俺は完全に食べる手を止めて、思案に耽る。
 

15年の月日、15のままの俺、成長している秋本。

 
これが意味するものは一体なんだろう。

漠然と考えられる可能性は、あれか、タイムスリップってヤツ? 
く漫画や映画で聞くアレが俺の身の上に?


……ははっ、まさかなぁ。そんな馬鹿げたことがあるわけないだろ。そうだろ。


でも、それじゃあこの状況は?


俺、実は死んでます説なんて受け入れられないぞ。

死んでいるという現実を受け入れるくらいなら、まだ馬鹿げた現象を信じた方がマシ。

 
湯気立っているうどんを見つめていた俺は、ようやく食べる手を再開。

ズルッとうどんを啜って、気を落ち着ける作業に努める。

便乗して秋本も食べることに集中した。
テレビの点いていない室内にはうどんを啜る音だけが満たす。
 

スープまで飲み干し、綺麗に夕飯を平らげると、俺は脇に置いていた通学鞄を持って立ち上がった。


「ごちそうさま」


すっごく美味しかった、頬を崩して軽く会釈。

その態度に瞠目する秋本は重ねる食器を持って、「何処に行くの?」と俺を見下ろしてくる。

何処に行くもどうしたのもこうしたのも、これ以上、長居するわけにはいかないじゃないか。

世話になるだけ申し訳ない気持ちになるし。


「腹が膨れて気も落ち着いたし、俺、行くよ。なんで此処にいるのか、原因を突き止めたいから」
 
「行くって何処に? あんた、行く場所あるの? 家には帰れないでしょ」


「神社に行くよ」


あそこから何かがおかしくなったんだし、そこで今日は野宿しようと思う。

彼女に、そう告げてお邪魔しましたと挨拶、玄関に向かった。
正しくは向かおうとした。

だけど俺の足は止まってしまう。


秋本に手首を掴まれた。


痛いほど握り締めてくる秋本に視線を流せば、「やせ我慢しないでよ」今日は此処に泊まればいいじゃない、と真顔で訴えてくる。


そんなこと言われても、俺、本当にこれ以上、秋本に迷惑を掛けられない。

仮にも俺はお前のこと、好きだったんだ。
尚更迷惑、掛けたくないよ。
 

「夕飯ご馳走になった上に、泊まるなんて…、迷惑なこと極まりないじゃんか。大丈夫だって、俺、男だし…、一夜くらい野宿しても」

「あんた、失踪事件を起こしてるのよ。警察にでも顔が知られてみなさい。日本中が大騒ぎになるわ」


「でもお前、俺のこと嫌いだったろ?」




いつも鬱陶しいとあしらっていたことを思い出す。
 

ああそりゃもう、俺にとっては今日ことだから鮮明に思い出せる。

おはようの挨拶から皆とあからさまに違っていたあの態度。素っ気無いこと極まりなかった。

気にしないよう努力していたけど、あれ、意外と堪えるんだって。
皆と区別されているようでさ。

それでも好きと言っていた俺は物の見事に、放課後、間接的ではアリマスガ、彼女にフラれたという。

俺の告白はあしらって、他人には可愛らしいはにかみってどういうことだよ。

堪えるってもんじゃないぞ。
誰だって嫌われているって思っちまうだろ。


常日頃から疎ましそうに悪態ついてたしさ。


メンタル、そんなに図太くないから、俺だってショック受けたぞ。
 


「お前に世話になる理由ないし、俺、行くよ。気持ちだけ受け取っとく。ありがとうな」
 


手を放させようと振り払う。

けど、向こうは握力を強くするばかり。一向に放してくれない。

「秋本?」

なんで放してくれないんだよ、瞬きして彼女を見つめると向こうは憤ったような、悲しそうな、入り乱れた感情を露にしていた。

「これ以上」やっと口を開く秋本は、大きな声音で俺に告げる。


「これ以上、心配掛けさせないでよ。坂本、此処にいて、いてよ」

 
思わずたじろいでしまう。

秋本の剣幕に押されてしまった。相手が大人だから尚更、押された。
 


「だけどさ」遠慮する俺に、「ほっとけるわけないでしょ」ただでさえ動揺しているあんたを外に放り出せない。

この際、幽霊でも15でもなんでもいいわよ。

だから此処にいて。
子供が遠慮しないの。


矢継ぎ早に言われて、たじたじになっちまった俺はつい相手の表情を窺いながら尋ねる。「いいのか?」と。

すると彼女の表情が和らいだ。
 
うんっと頷いて此処にいなさい、教師らしい口調で俺の手首を解放。肩に手を置いて、此処にいていいのだと安心させてくる。


次いで、「あんた」私が泣いた意味を考えなさいよ、鼻の頭を指で弾かれた。


軽く擦って、鼻の頭を掻く俺は頭上にクエッションマークを浮かべる。


今日は混乱デイだよな。
雪崩れのように混乱する出来事が俺に襲い掛かってくる。

脳みそが爆発してもおかしくないぞ。


混乱している俺に一笑を零す秋本は、「あんた。こう見ると子供よね」意外と可愛いじゃない、片頬を抓ってきた。

当たり前だろっ、俺は15でお前は30、二倍の歳の差があるんだからっ。

てか、痛ぇよ! 抓るなって!
  

「はなひぇ、あきもひょ。おばひゃんっていうひょ(放せ、秋本。おばちゃんって言うぞ)」

「んー? 今、あんた。なんか生意気言ったでしょ? ねえ、坂本」

 
かるーく、嘘、かーんなり口元を引き攣らせる秋本が頬から手を放して痛い拳骨を脳天に落としてきたのはこの直後。

今のは利いた。
すこぶるヒット。
真面目に痛い。
死にそう。

脳天かち割れそう。

頭を押さえる俺は、ついつい口が滑って「暴力女」そういうところは変わってないよな、と独り言をボソリ。

あの頃も(って言っても俺にとっては思い出にすらなってないけど)俺を一蹴する時、何かと暴力で追い払っていたっけ。


「あ・ん・たはデリカシーがないのよ。おたんこなす」


眉間を人差し指で押さえつけてグリグリ潰してくる秋本だったけど、なんだか楽しそうに笑って、

「お風呂の用意してくるわ」

適当に寛いでいてと、食器を流し台に置いて廊下の向こうに消える。


会話、そのやり取りは俺の知る秋本と同じ匂いを感じた。
 

なんだかすっごく安心する。
知っているようで知らない世界の中で、俺の親しみある何かを見出せた。
それが凄く安心する。


なにより、此処にいてもいい。
その台詞に救われた気がする。

何だかんだいっても、やっぱ不安だったんだ。

未知の世界でひとり、彷徨うのって。


ホッと息をつき、俺はさっきまで座っていた自分の位置に腰を下ろす。

鞄を脇に置いて、テーブル台に上体を委ねた。

自然と下りてくる瞼は、安堵からだったに違いない。


満腹、疲弊し切っていたっていうのも勿論、理由に挙げられるけどさ。
 
 


「坂本。お風呂、あんたから先に…、あれ。寝てるの?」
 
 
程なくして、秋本の声が聞こえてくる。
 
気配が俺の隣に感じられた。

「幽霊じゃないのよね」

そっと髪を撫でてくる手は、きっと俺よりも大きくてしなやかな手をしているに違いない。

彼女の笑声が俺の鼓膜を打つ。


あたたかいものに包まれるのは一体なんだったのか、容赦なく睡魔に襲われている俺には分からなかった。

散々惰眠したってのに。 


そのあたたかいものは良い匂いがした。

とても良い匂い、安心するぬくもりと甘い香りに包み込まれて、俺の精神は安定する。



厄日の中で見つけた、確かな、安定剤だった。




⇒2章


【2】
  
 

  変わった世界 
 
 
 



今、秋本は30。アラサーだという。


じゃあもし、俺がその世界で生き続けていたら(いやちゃんと現在進行形で生きているんだけどさ)、秋本と同じように30になっていたんだろうか?
 

大人になった俺はどうなっていたんだろうな。


残念なことに15の姿のままで、15年後の世界に飛んじまった浦島太郎の俺には想像もつかない。


変化した世界と、不変の俺、世界はどう俺を見ているんだろう―――…?




* * *
  
 
恐ろしい光景を目の当たりにして、飛び起きるってことはよくある現象だ。

誰しもが経験しているその現象を、人は悪夢と名目している。


俺も例外でなくこの15年間、悪夢と呼ばれる夢を幾度となく見てきた。


悪夢を見る度、布団を跳ね除けて起床。

夜明け前の自室を見渡し、「夢か」と安堵の息をついてもう一寝入りするってのがお馴染のパターンなんだけど。
 

今回は“悪夢”ではなさそうだ。

 
カーテン越しから感じる射すような朝日によって叩き起こされた俺は、ゆっくりと瞼を持ち上げる。

満目一杯に広がった光景は見慣れない天井。無愛想な天井が俺に早く起きろと急かしているよう。

瞬きをして寝返りを打つと、初めて見る毛布が視界に飛び込んできた。

そっと触れて感触を楽しむ。
わりと気持ちの良い毛布の手触りだけど、家の毛布ではない。こんな毛布、初めて見る。
 

上体を起こして、ひとつ欠伸。


室内をぐるっと見渡す。見慣れない壁に、見慣れない窓、見慣れない部屋。此処は一体…。
  
まだ目覚めていない脳みそをそのままに、布団から抜け出てドアノブに手を掛けた。扉をそっと引いて廊下に出る。

素足でフローリングを歩いているせいか、足の裏に無機質な冷たさが伝わってくる。

どことなく俺の体温を奪うよう。
おかしいな、靴下を脱いだ覚えはないんだけど。

ぼーっとする頭でリビングに入ると、そこにはテレビを観ながら珈琲を啜っている女性の姿。

俺に気付いて、「おはよう」子供っぽい笑みを浮かべてくる。


―…秋本だ。
 
 
「疲れてたみたいだから、起こさなかったんだけど…、よく寝てたわね。もう11時よ」

 
15年後の秋本が俺の目の前にいる。

そっか、夢じゃなかったんだ。

夢だったらどんなに良かったことか。


一抹の期待を砕かれた気分だったけど、表には出さず、俺は綻んでくる30の姉さんにおはようと返した。




どうやら昨日、俺は疲れてリビングで眠ってしまったらしい。 
 

気を利かせて秋本が俺を寝室まで運んだらしいんだけど(靴下を脱がせた犯人は秋本だったのか)、なんだか申し訳ない気分になった。

何から何まで手を焼かせたような気がしてならない。

彼女は気にしてない素振りだったけど、「着替えがないのよねぇ」別件で眉根を寄せていた。

シャツやズボンは古着で良ければ貸せるけど、下着となるとうんぬんかんぬん。

確かに俺もそれはご免被りたい。

ナニが悲しくて女性物の下着を15年後の世界で経験しなければいけないのか!
 

「まあ、今日買い物に行く予定だし、下着と着替えも買いましょ。
二日も三日も同じものを着られちゃ、私がドン引くし。毎日洗うにしても、その間どうするんだって話しだし」
 

買い物。
 
まだ完全に目覚めていない頭で、俺は彼女に尋ねる。買い物に行くのか、と。
 

「だってこのままじゃ居心地悪いでしょ」


「例えば歯ブラシを共有できる?」秋本はそれこそご免被りたいと大袈裟に肩を竦めた。

一日分でもいいから、何か俺の物を買っておかないと不便だと言ってくれたけど…、それって秋本に買わせるってことだよな。

俺、金持ってないし。


それに俺、この世界にいつまでいられるかも分からない(というか、状況を分かってない)。無駄遣いさせるような気もする。
 

曇る俺の顔を一瞥した秋本は、「ねえ坂本」元気付けるように微笑んできた。



「余計な心配はしないで。私がしたくてしてるだけだし。
それに混乱してもしょうがないけど、落ち込んで気鬱になってちゃ、本当に鬱になるわ。少し、気晴らしをしましょう? あんたの表情、昨日から曇ってばっかりよ」


晴れるわけないじゃないか。
こんな状況下になってるんだから。

この状況を素直に喜べる奴がいるなら、是非とも俺の前に連れて来て欲しい。

喜んで交替してやるから。