だけどそれも、30分以内ですぐに打ち砕かれてしまう。
遠藤とテレビを見ていた筈なのに、いつの間にかテーブルに伏してうたた寝を始める俺。
「お子様には無理なんだって」
寝室で寝て来いよ、親友に揶揄されて、瞼を持ち上げる。
唸り声を上げながら、俺は絶対此処にいると笑ってみせた。
折角仲直りしたんだ、何かと一緒にいたい気分になるのって自然なことだろ?
相手にそう伝えれば、「恥ずかしい奴」悪態を付かれた。
んで勝手にしろ、風邪ひいても知らないぞと一蹴された。
照れ隠しなのは分かってる。
「大丈夫だって。俺、幽霊のようなもんだし、風邪なんかひかないよ。多分だけど」
「こんなにも健康そうな幽霊、見たことも聞いたことねぇよ。……坂本、なんかあったら言えよ。頼むからさ、消えそうになったら俺等に言えよ。突然消えられるの、もう嫌なんだ」
「ん。約束な」俺は目尻を下げて頷いた。
「絶対だからな」約束破ったらひでぇぞ、脅してくる遠藤に、どんなことをするんだって聞けば、
「お清めの塩と御札を用意する」
「完璧に幽霊扱いじゃねえかよ。坂本健を成仏させる気か、遠藤」
冗談もほどほどに、うつらうつらと夢路を歩く中、俺は遠藤と夜が明けるのを待った。
いつか夜は明ける、どっかの流行曲で歌われそうなフレーズに今なら共感を持てる。
そう、いつかは夜が明ける。
15年間、俺のことを探し、待ち続けてくれた親友と俺の間に、今が夜が明けた。
俺は今日という日を、遠藤という親友の思いを、決して忘れやしない。
⇒4章
【4】
かたちない、恋
なあ秋本。
あの頃、1996年当時の俺は“好き”を軽く見ていたのかもしれない。
単純に好きと言えば相手に伝わるものだと思っていた、その好意は。
なかなか相手に伝わらなくてやきもきしていた、その好意は。
子供ながら発していた好きは、
子供ながら伝えていた好きは、
子供ながら抱いていた好きは、
本当の意味で重みがあったんだな。
―――…1996年のお前を好きになった俺は、2011年のお前にもきっと好意を寄せている。
だからお前に好きとは、もう言えない。
* * *
「秋本先生。学習ってお言葉、ご存知ですか? 毎度痛い目に遭ってる筈なのに…、いい加減学習して下さい」
朝、俺は亀布団になっている教師に声を掛ける。
「あんまり大きな声出さないでよ」
布団の中でうんうん唸っている秋本から苦情を飛ばされたけど、俺は普通のボリュームで喋ってるっつーの。
憮然と溜息をつく俺は傍らに置いているお盆に目を向けて、二日酔いの薬は飲めそうかと質問。
うっぷ、返事の代わりに聞こえてきた呻きに俺はすかさず洗面器を準備。
吐くなら布団の上じゃなく、此処にお頼み申したい。
片付けが大変になるから。
プライドが勝ったのか、彼女は土色の表情ながらも見事に嘔吐を堪え、
「飲み過ぎたぁ」
寝返りを打ってぐったりと枕に沈む。
普段から酒を飲んでは二日酔いを起こす常習犯は、昨晩いつになく酒を煽ってきたらしい。
なんで“らしい”と言っているか、それは俺がその現場を見ていないからだ。
彼女は昨晩、女子会(女子だけで集まる会なのか?)ってのに行って、日頃のストレスを発散する如く存分に酒を飲んできたらしい。
酒がまったく飲めない友達にマンション下まで車で送ってもらって帰宅したんだけど、秋本の奴、超べろんべろんだったよ。
絡みが鬱陶しいのなんのって、もはや凄まじいの一言に限るね。帰って来て早々スヤスヤと眠る良い子を叩き起こしやがったんだから(秋本の帰宅した刻は午前2時半)。
ハメを外した、彼女は苦虫を噛み潰したような顔を作る。
だけど楽しかったんだからしょうがない、と聞いてもいないのに、つらつらと俺に弁解する秋本。
その女子会の集まりは大学時代の同輩らしく、久々にはっちゃけたとか。飲みついでにカラオケオールに誘われたけど、それはちゃんと断った。えらいでしょ。
なーんて俺に伝えてくる。
「カラオケに行っても良かったんだぞ」
俺は秋本に苦笑する。
秋本のことだからきっと俺に気を遣って帰宅にしたに違いない。
俺に構うことなく楽しんできてもらった方が、此方としても気が楽なんだけど。俺は居候の身分なわけだし。
寧ろ、叩き起こしてくれるならカラオケで発散してきてくれた方が俺も有り難かった。
「申し訳ないじゃない…、あんた…、外出できないのに」
自分だけ遊びに出掛けるなんて、申し訳なさ過ぎると彼女はポツリ。
それは仕方が無いと割り切ってるから大丈夫、そう口癖のように言ってるのになぁ。
秋本は仕事をしている身の上、外では沢山ストレスを感じてるだろうから、是非とも仕事や俺のことを忘れて楽しんできて欲しかったんだけど。
今度女子会があったら気兼ねなく行って来てくれよ、俺の言葉に却下と彼女。
「ヤなもんはヤなのよぉ」
蚊の鳴くような声で呟く秋本は、それにしてもハメを外したと呻く。
これもそれも昨日、教頭がまた見合いの話を持ってきたからだと愚痴った。
「見合い?」
パチクリと目を丸くする俺は秋本に見合いをするのかと質問を重ねた。
まさか、大袈裟に声を出して嘔吐感を思い出す秋本は見合いなんて絶対にしないと、嘔吐に堪えつつ不貞腐れ面を作った。
教頭がなにかと見合い話を自分に持ってくるのだとブツブツ。
なんとなく面白くないと思いつつも秋本もアラサー、身を固める時期に差し掛かっているんだろうな…、と納得した。
「見合いかー。秋本も結婚しろってことなんじゃね?」
「嫌よ。私は結婚なんてしないわ。したがって見合いもしない。するもんですか」
おいおい、お前、一生独身でいるつもりかよ。
俺のツッコミに、それも嫌だと秋本。
ゴロゴロと布団の中で二日酔いと格闘している。我が儘な奴だな、結局どっちなんだよ。
秋本曰く、彼氏もいないそうだし…、今は仕事一筋なのか?
「大体坂本」あんた私が恋愛していいわけ、意味深に聞かれて、俺は微苦笑を零した。
したらしたでしょうがないと割り切るしかない、せいぜい邪魔にならないよう遠藤の家にでも居候させてもらうさ。
あいつが恋愛しちまったら、これからどうするか考えることにしよう。
「俺はこの時代の人間じゃないからな。あんま、この時代に生きる人間の生活に支障をきたしたくはないんだよ。
幾らお前と同級生とはいえ俺、15のまま2011年を彷徨っている人間だしな」
「……、やっぱり恋愛なんてしない。あんたがいるから恋愛しない」
秋本はこれ以上聞きたくないとばかりに、ガバッと布団を被ってしまう。
だから俺がいるからどうとか、そんなことを考えて欲しくないんだけど。
鼻の頭を掻いて彼女の名前を紡ぐ。
すると某教師、「恋愛しなかったら」あんたずっと此処にいるんでしょ、とクエッションしてきた。
まさかそんな質問が飛んでくるとは思わず、「え?」間の抜けた声を出してしまう。
「いるんでしょ?」再度質問されて、俺はどう答えて良いか分からず、「そりゃ…」他に行くところないしな…、と生返事。
「じゃあ恋愛しない」
きっぱり告げてくる秋本先生だけど、ちょ、お前意味分かんねぇよ。俺、馬鹿だから期待しちまうぞコラ。
とか冗談を思ってる場合じゃなく、秋本、今のなんだよ。
目を丸くする俺は、亀布団になる相手に恐る恐る声を掛ける。
毛布に包まって丸くなるだけの秋本は、吐き捨てた台詞の意味を一向に教えてくれない。
その態度、まんまガキなんだけど…、15の俺よりガキになってどうするよ秋本。
見合いの話、そんなに嫌だったのか…、それともお前は遠藤の言うように。
15年間、遠藤と共に探し続けてくれていたっていうお前は、俺のこと。
と、秋本が布団を跳ね除けた。
どうしたんだってビビる俺は、次の言葉にもっとビビることになる。
「嘔吐しそう」
秋本がそんなことをのたまってきたんだ。
そりゃあビビるよな。
急いで洗面器を渡す俺だったけど、便所で吐けると彼女は寝巻き姿で寝室を飛び出す。
布団を被ったから空気が蒸されて嘔吐感を呼んでしまったんだろう。
あいつは飲む加減を知らないのかよ、今日が休みだからって飲む分量は考えて欲しいもんだぜ。
額に手を当てた俺はやれやれと肩を竦めた。そうすることで気持ちを紛らわす。
「大学の飲み会、か」
あいつ、大学に進学したんだな。
大学ってどんな感じだろう? 中学とは全然違うのか? 高校にさえ進学していない俺には未知な領域だ。
何故だろう、酷く1996年が恋しくなった。
1996年以降の時間を過ごしている秋本に羨望を抱いたから、なのかな。
ゆっくりと立ち上がった俺は寝室の窓を開けてベランダに出る。
劣化しているサンダルを履き、ガラスには映らない窓を閉めた。
手摺に寄りかかり、生あたたかい微風を頬で受け止める。
秋本の部屋は四階、だからそれなりに景色が見渡せることができた。
俺は無愛想面の街並みを見つめてみた。
景色を邪魔するように黒い電線が張り巡っている。
何本もの電線がまるでバリケードのように張られているように見えるのは、俺の気のせいだろうか。
ナナメ左下のぼろっちい木造アパートの階段からは肌着姿でラジオを体操をしているおっさんが。
少し目を引けば、道路で犬とランニングしている若いお姉さんの姿。時期外れの日傘を差している婦人と擦れ違っていた。
もっと目を引く。マンションの真下を覗き込むと、駐車場が俺を見つめ返していた。
そこを駆け回る数人の子供の声。
なわとびを片手に子供特有の甲高い声で何か会話している。
声を聞く限り、男女混合で遊んでいるようだ。「―くん」「―ちゃん」と、各々名前を呼び合っている。
いいねぇ、子供は能天気に遊べて。
自分の年齢は棚に上げ、ついつい目線を高くして子供に羨望を抱く。
ふーっと息をつき、力なく空を仰いだ。
今日は快晴、いや雲があるから晴天のようだ。澄み切った青空が地上を見下ろしている。
うねるように流れる雲は変化を繰り返し、とうとう俺の視界から消えてしまう。
大きな時の流れと共に消えてしまう白い雲を見つめ、見つめ、見つめて、俺はその儚さにまたひとつ吐息。
風に流されて、どっかで消えちまう雲のように俺もいつか消えちまうのかな。
それとも時のリバウンドを受けて15年分の年月が一挙に襲ってくるとか。
想像するだけでも恐ろしいな。
15年後の俺はどんな姿になってるんだろう。背は伸びてるといいな。
せめて秋本の背は越しておきたい。
鬱々、ぼんやりとしていた俺はこうしていても一緒だと自省。
踵返して寝室に戻ると、家事にでも勤しもうと気持ちを切り換えた。そうでもしないとやってられない。
にしても秋本の奴、生きてるかな。便所に引き篭もったまま、音沙汰ないけど。
今日一日、秋本は寝込むだろうと踏んだ俺は彼女のために粥を作る…、ことはできないから、レトルトの粥をコンビニで買って来ることにした。
トイレに引き篭もったままの秋本にそれを伝えて(彼女から返事はなかった。代わりにノックで承諾を頂く)、キャップ帽と財布を片手に外の世界へ。
行きにちょい寄り道をして、行きつけの公園に赴く。
休日だからか、昼前の公園はまばらながらも人がチラホラ見受けられた。
砂場で遊んでいる親子、ブランコで駄弁っている小5くらいの女子三人組み、グランドでは俺くらいの年頃の男子達がサッカーをしている。
体いっぱい動かしてグランドを駆け巡っている姿に俺は羨ましさを感じた。
いいなぁ、俺もサッカーしたいな。
外で安易に遊ぶことも出来ない俺からしてみれば、グランドを駆けている男子達は自由そのものを象徴しているような気がする。
はぁああ…、さすがに遠藤や秋本に「サッカーしようぜ!」とかは言えねぇし。
だってあいつ等、平日は汗水垂らしている社会人のアラサーだぜ?
休日はゆっくり寝ていたいだろうし…、体もついていかねぇだろうし(これを言ったらぶっ飛ばされそうだけど)。
やきもきしながら公園の一風景を見つめていた俺は、少しだけ鬱憤を晴らそうと空いたブランコにつま先を向ける。
けどすぐに足が止まった。
すぐ傍の滑り台に凭れ、つくねんと決まり悪く立っている少年を見つけたからだ。俺
と同じように羨望を抱いてサッカー光景を見つめているけど…、なんとなく気になった俺は自然と相手に歩んだ。
性格上、普段は絶対に自ずから声を掛けないだろうに、「なあ」こうして気さくに声を掛けてしまうのは俺自身同年代に飢えていたのかもしれない。
突然声を駆けられた少年はびっくりした顔で俺を見つめてくる。
何か用かとばかりに視線が訴えてくるもんだから、「サッカーして来ないの?」率直に意見を申した。
醸し出す雰囲気で向こうのグランドにいる男子達が少年と知人だってのは分かる。