「あ、おせーよ伊沢」


田代先輩がいなくなってから、あたしは高村くんのもとに向かった。


「うん……ごめん……」


頬を膨らませる高村くんに対して、あたしは俯いたまま応える。


すると、あたしの様子を不審に思ったのか、高村くんはあたしの顔を覗き込んだ。



「伊沢……?どうかした?」



優しい声。温かくて、つい頼ってしまいそうになる。


だけど、高村くんにはもう甘えないって決めたから。



「……何でもないよ」



精一杯笑ってみせた。


「うわ、ホントにいっぱい持ってきたんだね、ダンボール。よし、さっさと運んじゃおっか」


静かな昇降口に、あたしの無駄に明るい声が響く。


「伊沢……」


高村くんが、苦しそうに顔を歪めた。


「高村くん!みんな待ってるし、早く持ってこ!」


笑顔のまま……高村くんのほうを振り返った時だった。



「無理してんじゃねえよ……!」






──温かくて、たくましい彼の腕の中に、あたしはいた。



「何かあったんだろ?俺に話せないこと?」


ダメだよ、優しい言葉をかけないで。
また、甘えてしまいたくなる。


「俺、伊沢の一番の理解者でいたいんだ。だから、何でも言ってほしい。俺じゃ頼りないか?」


あたしは必死で首を横に振った。


「……言ったら、高村くんがつらくなっちゃうかもしれないよ」


「そんなの平気だって。つか、俺は伊沢が、そうやってひとりで苦しんでるのを見てることしかできないほうがつらい」


優しく笑って、高村くんはさらにあたしをぎゅっと抱きしめた。


なんてこの人は優しいんだろう。


こんなにも想ってくれてるのに、気持ちに応えられない自分に腹が立つ。


しかも……また高村くんを傷つけた。



「……っあたし、高村くんを好きになればよかったぁ……!」



さっきのことを、すべて話した。


涙が、洪水のように次から次へと溢れて止まらなかった──。






『ひーは田代先輩と付き合ってるの?』



なんて、そう簡単には聞けない。

ひーを信じてる自分と疑ってる自分が心の中で共存したまま、長いようで短かった夏休みが終わりを告げた。




残暑が厳しい中、あたしはいつもの待つあわせ場所にやってきた。


今日から2学期。
とはいっても、夏休み中もほぼ毎日学校には行ってたから、あまり久しぶりという感じはしない。


まだ精一杯鳴き続けているセミを横目に、にじみでる汗を拭う。



「は──る──っ!」



ちょうどその時、ひーが大きく手を振りながらやってきた。


学校は久しぶりじゃないけど、ひーと会うのは久しぶり。


数週間ぶりに見たひーは、もともと細い身体がさらにやせたような気がした。


「久しぶり、はる。遅れてごめんね」


「うん、平気。それより、ひーは大丈夫なの?」


あたしが問うと、「何が?」とでも言うようにひーは首を傾げた。


「体調悪いって……ずっと学校来れなかったじゃん」






「ああ!」と思い出したような声をあげると、ひーは笑う。


「大丈夫大丈夫!そんなたいしたことなかったんだけど、大事を取って休んでただけだから!」


無理に明るく振る舞ってるように見えるのは、あたしの気のせいなんだろうか。


「……それならいいんだけど」


ひーが「それ以上訊かないで」と言ってるような気がして、あたしはそこで話題を変えた。


「そういえば、文化祭の準備は完璧だよ」


「ホント!?」


そんな話をしながら、あたしたちは学校へ向かった。




「伊沢ー!おはよー!」


「……お、おはよ」


なんだか最近、高村くんがめちゃくちゃあたしに話しかけてくる。


田代先輩の電話の件から、あたしが落ち込まないようにと気遣ってくれてるのかわかんないけど。


「ね!ダジャレ思いついたから聞いて!」


とか言ってきたりする。


高村くんの気持ちは嬉しいんだけど、どう反応すればいいのかわからないようなダジャレを、強制的に聞かされるあたしの身にもなってほしい。






適当に話題を流して、自分の席に座ると、バッグを置いたひーがあたしのもとに駆け寄ってくる。


そして、小声で囁いた。



「高村くんってさ、絶対はるのこと好きだよね!」



その言葉にドキッとして、大げさに否定してしまう。


「ち、違うって!あたしのこと好きになってくれる人なんかいないよ!」


告白されたことや、抱き締められたことなどは一切ひーには話してなかった。


高村くんはあたしのことを褒めてくれたけど、世間一般論では全然反対のことを言われる。


高村くんは物好きなんだよ、きっと。


とか、いろいろ思ってたら。



「えー、はるは充分モテるよ」



ここにも物好きがいた。



「……え?」


「だってはる、可愛いし優しいしすごく頼りになるもん!」


いや、ひーのが可愛いし。
あたし心の中どす黒いし。


ってか、最後の“頼りになる”って喜んでいいところなの?






あたしが首を傾げているのにも構わず、ひーは続けた。


「自分では気付いてないのかもしれないけど、はるはいっぱい素敵なところ持ってるんだよ」


そんなの……嘘だ。


「高村くんは、はるの魅力にちゃんと気付いてくれてるんだと思うよ。私も男の子だったら、絶対はるに惚れてるもん」


違う、高村くんは変わり者なだけ。


だって、もしそれが本当だったのなら。



『伊沢はただの引き立て役だよなー』



あんなこと……言われないはず。



「はるみたいになりたいって、私ずっと思ってたんだよー」



「やめて!!」



気が付くとあたしは、勢い良く立ち上がり、ひーに怒鳴り付けていた。


クラスのざわめきは止んで、みんなの視線が一気にあたしに注がれる。



「それ以上……やめてよ……」


ひーの、驚きと戸惑いが入り混じったような瞳の中に、とてつもなく醜い自分の姿を見つけてしまった。






“可愛い”なんて、あたしなんかより本当に可愛いひーに言われるとむかつく。


“優しい”なんて、あたしみたいな偽善じゃない本当の優しさを持つひーに言われると、めちゃくちゃ惨めになる。



“はるになりたい”



──あたしは、ずっとひーになりたかったよ。



誰からも好かれて、いつもみんなの中心にいて。


あたしを影とするならば、ひーは光だ。

いつも隣同士に在るけど、相反するもの。


光があると影ができる。
逆に言えば、光がないと影は存在を示すことができない。


まさに、ひーとあたし。


ひーがいなきゃ、あたしはみんなからただのクラスメイトとしか思われなかっただろう。


だからこそ、ひーが嫌いで。


ひーみたいになりたかった。


いつもまぶしいぐらいに輝いているひー。


あたしも、ずっとそんな風になりたかった。


だけど、あたしが“光”になることは叶わない。



あたしは……所詮“影”だから。



光と影が混ざることなんてない。






「ご、ごめんねっ。はる……」


きっとひーは、あたしが怒ってる理由なんてわかってない。


訳もわからないのに必死に謝ってる姿が、さらにあたしを腹立たせた。


「謝ってくれなくていいわよ。あたしが勝手に怒ってるだけだから」


そう言って睨むと、ひーはその小さな身体をビクリと震わせた。



「だけど……今後一切、二度とそんなこと言わないで!!」



冷たく言い放ち、あたしは教室を飛び出した。




──大嫌い。


“影”に憧れる“光”なんて、あまりにも馬鹿げてる。


そんなにあたしみたいになりたければ、あたしを嫌いになればいい。


あたしみたいに親友を嫌って、醜い人間になっていけば、すぐに“影”になれるよ。


そんなこと……ひーにできるわけない。

っていうか普通はしちゃいけないことなのに、


“はるになりたかった”


なんて簡単に言わないで。



ひーなんか大嫌い。


今はもう、この世に存在するすべてのものが大嫌い。







「伊沢っ!!」



あたしを呼ぶ声が聞こえた。


だけど、応える気になんてなれない。


そのまま無視を決めこんでいたけど、目の前に人の気配を感じてあたしは顔をあげた。



「伊沢……ここにいたんだ……」



肩で息をしながら、高村くんは言った。


心配するような目が、あたしに向けられる。
今はその優しさがつらい。


「こんなとこまで、わざわざ探しにきたの……?」


泣き喚いたせいでかすれた声が、あたしの喉から弱々しく漏れた。


「うん。まさか屋上にいるなんて思わなかったよ」


だろうね。ここ、ホントは立ち入り禁止だし。


誰もいない屋上で、ひざを抱えて泣いていたあたしは、きっとすごくみじめで無様だったと思う。



「よかった、見つけられて」



そんなあたしにも、高村くんはまぶしい笑顔を向けてくれた。



「……誰にも見つけてほしくなかったよ。こんなに汚いあたしなんか……」