あの夏を生きた君へ






「ちづ、ありがとう。」


あたしの横でお母さんが言った。


「ばあちゃん、安らかな最期だった。ちづがタイムカプセルを見つけてくれたから思い残すこともなかったのかもね。」


お母さんも空を見上げる。

目元は赤く腫れていて、今日までさんざん泣いたことが窺えた。




「…お母さん。」


「ん?」


「あたしを生んでくれてありがとう。」


「え?」


お母さんはすごく驚いているようだ。
瞬きを繰り返しながら、あたしを見つめる。



「あとね、あたしに『千鶴』って名前をつけてくれてありがとう。」


「な、何よ、突然!」



戸惑うお母さんに笑いかける。




「あたし、『千鶴』って名前に恥ずかしくないように、生きていくから。」



そう言うと、お母さんは呆然としてしまう。

でも、それから泣きっ面になって、あたしから顔を背けた。











「もう!急に何言いだすかと思ったらっ!突然どうしたの!?」


「言いたくなったから言っただけ。」



すると、お母さんは涙を拭いながらお父さんのもとへ駆け寄る。


早速、あたしの報告を始めるお母さん。

最初は仏頂面で聞いていたお父さんが小さな笑みを零した瞬間を、あたしは見逃さなかった。


何か、こういうの、照れ臭い…。






空を見つめて、語りかけてみる。





幸生。
あたしね、思うんだ。



森の中でハナミズキを見つけられないかもって諦めかけた時。

ずっと眠り続けたばあちゃんが最期に微笑んだ時も…。


風が吹いた。




あの風は、幸生なんでしょう?







空は何も言わない。


ただ、当たり前にそこにある。





空は何も言わない。

でも、それでいい。















それから、あたしはばあちゃんと対面した。


ばあちゃんの抜け殻は、骨になってあたしたちの目の前に現れた。



かつてばあちゃんだったものを、あたしはばあちゃんとは思えなかった。




小さな小さな白い骨を、お母さんと拾う。

箸を通して伝わってくる感触はあまりにも無機的だった。


その時、あたしはばあちゃんが死んでから初めて泣いた。




死ぬということ、死んでしまうということの意味が分かった。




もっと、ばあちゃんに会いに行けばよかった。

もっと、たくさん話をすればよかった。


会いたいと思っても、もう会えない。

話したいと思っても、もう出来ない。





ばあちゃんがいた日々、ばあちゃんと過ごした時間たちが脳裏を駆け巡る。



どれもこれも愛しかった。
愛しくてたまらない。





泣きじゃくるあたしを、お母さんが支えてくれた。


お母さんも、泣いていた。


















愛煙家で読書家だったばあちゃん。


おっとりゆったりマイペースなばあちゃん。


からあげが大好きだったばあちゃん。




「ちづは健やかだねぇ」が口癖で、「ふふふっ」と可愛らしく笑うばあちゃん。




あたしを励ましてくれて、たくさんの愛情を降り注いでくれたばあちゃん。








あたしの偉大すぎるばあちゃんは、
青空の向こうへ旅立っていった。




















ばあちゃん。


あたし、生きるよ。

生きていくよ。



ばあちゃんの分まで。

幸生の分まで。







あたし、頑張ってみるよ。


頑張ってみる。






















夏が終わり、外はもう秋の匂いがしていた。


でも、まだまだ残暑厳しく、テレビのニュース番組じゃ「猛暑、猛暑」と騒いでいる。





「悠っ!ゴメン、寝坊したっ!」


「またかよ!」


うんざりした様子で待っていた悠。
やれやれ、とでも言いたげな顔をしてる。


「大体!ちゃんと試験勉強してんのか?ただでさえ、一ヶ月も学校来てなかったんだから!」


「あ…。」


「…忘れてただろ?」


そう言われて、笑って誤魔化してみる。

悠は、溜め息を吐いた。



「ったく、しょうがねぇな。今日の放課後、教えてやるよ。」


「あっ無理!今日、愛美と買い物行く約束してんの。」


「…お前なぁ。」


悠はすっかり呆れているようだ。

あたしは苦笑するしかない。











夏休みが終わり、あたしは二学期から学校に通うようになった。




あたしにとっては大きな一歩だけど、何が変わったわけでもない。


美季たちの冷たい視線や陰口、悪口は相変わらずだし、高嶋たちからの嫌がらせも続いてる。




でも、変わったこともあった。


始業式の日、久しぶりに学校へ行くせいで緊張していた朝。

悠と愛美が、あたしを待ってくれていた。



「ちづ…一緒に学校行こう。」



困ったように笑いながら愛美が言った。

その少し先で、悠が「遅刻するぞっ!」と叫ぶ。




あたしの中にあった不安や恐れが消えていった。


大丈夫だって思えた。




二人のもとへ、笑顔で駆けてくあたしがいた。












愛美とは、昔のように下らないことでも笑い合う。


きっと、今度こそ本物の親友になれる気がした。




悠とは、小学生の頃みたいに自然と一緒に登下校することが多くなった。


勉強も教えてもらってる。

基本的に素直じゃないあたしは絶対言わないけど、かなり助かってる。




からかわれたりすることもあるけど、もう気にしないことにした。



周囲の目や顔色を気にするのも止めた。




だって、それって凄く損してんじゃん?




一度きりの人生、せっかくの青春。

勿体ないよ。


生きたいように生きたほうがいいし、楽しいほうがいい。







“今日”という日は、
二度と戻ってこないんだから。










「じゃあ明日な!厳しく教えるから覚悟しとけよ!」


「あー明日も無理。お父さんとお母さん、家族三人でデートなの。」


「…………。」



悠は頭を抱えてしまった。


「明後日は?」


「ていうかさぁ、悠って相当あたしのこと好きだよねー。」


「はっ!?」


「あたしのために頭良くなろうとか、あたしに負けないように足速くなりたいとか?
あたしに憧れてたってのも告白として受け取っておくよ。」



たちまち悠の顔が真っ赤になる。



「おまっ…バッカじゃねぇーの!バーカ!!」


足早に歩きだした悠の後ろで、あたしはクスクスと笑った。




「悠ー!待ってー!」


「待たない!」


「悠ってばぁ。そんなに恥ずかしがんなよっ。」


「恥ず!?は、恥ずかしがってねぇーよ!!」


慌てる悠が可笑しい。

面白すぎだっつーの。