どのくらい時間が経ったことでしょう。
気づけば空襲も終わり、火も消えていました。
夜が明け、日が昇ろうとしています。
力尽きて座り込んでいた私は、のろのろと立ち上がりました。
辺り一面、茶色の世界。
何もありません。
焼け野原になってしまった町は遠くまで見渡すことができました。
たった一夜にして、何もかもを焼き尽くした炎。
町であった場所に足を踏み入れると、焼け跡はまだ熱いのです。
私の瞳から、また涙が零れました。
戦争の意味も、苦しさや辛さも、よく分かっていなかった私。
食べる物がなくても、
着る物がなくても、
毎晩の空襲も、
兄の出征も、
お国のためなら仕方がないとどこかで思っていた私。
バカでした。
本当に本当にバカでした。
だらしなく涙を流しながら、私は焼け跡の中に立ち尽くしていました。
頭からの出血はいつの間にか止まり、私の手には自分の血で赤く染まった幸生くんの防空頭巾があります。
それをぎゅっと抱きしめて、私は泣き続けました。
「明子!」
「お母さん!」
避難所で再会できた母に、私は駆け寄りました。
母は涙を流しながら「良かった、良かった」と何度も言います。
ここへ辿り着くまでに、私は残酷な光景をたくさん見ました。
黒焦げになって重なり合った死体の山。
手足がバラバラになった死体は道の真ん中にありました。
防空壕にみっしりと詰まった死体を前にして、大声で泣いている人も見ました。
黒焦げの死体、ピンク色の死体。
おそらく蒸し焼きになってしまったのだと思います。
惨い、そんな言葉では片付けられないほど酷い光景。
私は自分が助かったことが不思議でした。
「お母さん、幸生くんは?小夜子ちゃんは?」
「…分からないの。」
そんな…。
お母さんの話によると、幸生くんのお母さんは無事だったそうですが、幸生くんと小夜子ちゃんは行方不明のままでした。
「幸生くんのお母さん、幸生くんたちを探しに行ってるの。」
私は、最後に見た幸生くんの姿を思い出していました。
炎の町に消えていく後ろ姿を。
幸生くんは、「必ず行くから」と言いました。
約束をしました。
幸生くんは、嘘をついたりしません。
「お母さん、私も探す。」
それから、私たちは幸生くんと小夜子ちゃんを探し続けました。
更に、私と母は家があった場所にも足を運びました。
でも、家はありませんでした。
私たち家族の家は、父が残してくれた薬局ごと跡形もなく焼けていたのです。
お隣の幸生くんの家も、ありませんでした。
焦げ臭い匂いが残る焼け跡の中に、溶けたガラスが転がっています。
私は泣きました。
母も泣きました。
心も、身体も、疲れ切ってしまいました。
幸生くんと小夜子ちゃんは見つからないままでしたが、死体の回収をしている様子をよく目にするようになりました。
回収しているのは兵隊のようです。
死体をトラックの荷台に積み上げていくのを、私は見つめていました。
もしも幸生くんがいたら…。
小夜子ちゃんがいたら…。
そこまで考えて、私は自分が恐ろしくなりました。
幸生くんも、小夜子ちゃんも、もしかしたらどこかで生きているかもしれないのに何を考えているのか。
私は幸生くんの言葉を信じています。
でも、日が経つにつれて不安はどんどん大きくなっていきました。
私の心は揺れていました。
不安に押し潰されてしまいそうだったのです。
もう見つからないかもしれない、という諦めさえ感じ始めた頃のことです。
その日も死体の片付けをしているトラックを見つけて、私と私の母、幸生くんのお母さんはじっと見つめていました。
すると、突然幸生くんのお母さんが、
「あ…。」
と、呟きます。
幸生くんのお母さんは、目を見開いて微動だにしません。
私は視線の先を目で追いました。
トラックの荷台に、こちらに顔を向けている死体があります。
肌は焼け爛れて茶色くなり、腕はだらりと垂れ下がっています。
始めは分かりませんでした。
でも、目を凝らしてよく見てみると、それが幸生くんだと分かります。
私は呆然としていました。
何も考えられない。
何も言葉が見つかりません。
「幸生ーーッ!!!」
横で幸生くんのお母さんが叫びました。
私は、その声をとても遠くに感じます。
幸生くんのお母さんは、トラックまで駆け寄りました。
「幸生…幸生…。」
まるでうわごとのように繰り返しながら、幸生くんの顔や肩や腕に触れていきます。
そして、小刻みに震える身体で、縋りつくように幸生くんに覆いかぶさりました。
「何で…こんなことに…。」
私の母は涙を流しながら言いました。
私はふらふらとした足取りで、幸生くんのもとへ歩いていきました。
服は焼け、焦げ臭いだけではない酷い匂いがしています。
そっと、指先に触れてみました。
何の…何の温度もありません。
幸生くんは、もう空っぽなんだと思いました。
まるで眠っているかのように、穏やかな顔をした幸生くん。
あの綺麗な瞳に出会えることは、もう二度とないのです。
そして、私の頬を涙が伝っていきました。
「運ぶのは無理ですよ。」
「見つかっただけでもねぇ。」
「ここでお骨にしたほうがいいですよ。」
周りにいた人たちが言いました。
気づくと、私たちの周りには死体を焼いている人たちが何人もいます。
火を前にして立ち尽くす人たち。
声を上げて泣いている人もいれば、虚ろな目で燃えていく様子を眺めている人もいます。
私も、私の母も、幸生くんのお母さんもほとんど放心状態で、周囲の人たちに言われるがままでした。
あっという間に、幸生くんの身体に火がつけられました。
でも、なかなかよく燃えません。
少しずつ、少しずつ、炎に包まれていきました。
その様子を無表情で見つめていた幸生くんのお母さんが、狂ったように叫び始めます。
「幸生ーーッ!!幸生ーーッ!!ああぁぁーああーー!!!」
火に飛び込んでいこうとする幸生くんのお母さんを、周囲の人たちが止めています。
「いやあぁぁーーっ!!幸生ーー!!!」
ゆらゆらと揺れる炎がぼやけていきます。
幸生くんが燃えています。
「必ず行く」と言ったのに。
約束をしたのに。
幸生くんが、燃えているのです。
その時になって、ようやく私は自分の気持ちを知りました。
幸生くんが好きでした。
大好きでした。
もう立っていることも出来ず、私は崩れてしまいました。
地面に膝をついて俯くと、涙が一雫落ちていきました。
幸生くんは死にました。
「また会える」と言った幸生くん、
「生きよう」と言った幸生くんが死んでしまいました。
どうして、幸生くんが死ななければならなかったのか。
幸生くんが戦争をしていたわけじゃないのに。
涙が溢れて止まりません。
私は砂を掴み、それから地面を叩きました。
戦争が全てを奪ったのです。
私たちが大切にしていたものを。
大切に思っていた人たちを。
戦争が、何もかも奪ったのです。