あの夏を生きた君へ





疲れ果て、泣き疲れた頃、あたしの名前を呼ぶ声を聞いた。



それがお母さんだと理解すると、嬉しくて嬉しくて必死で叫んだ。


「お母さーん!!お母さーん!!」




あたしと悠を見つけたお母さんは、心底ホッとしたという顔をした。


でも、それから目にいっぱい涙を溜めて、あたしの頬を打った。

「何してんの!?アンタはっ!!」


お母さんは叫びながら、きつくあたしを抱きしめる。

息苦しいくらいに。


「どれだけ心配したと思ってんの!?お母さん、ちづに何かあったら生きていけないのよ!!分かる!?」



打たれた頬が痛かった。
それ以上に心が痛かった。



お母さんは泥だらけだった。
髪も服もグショグショに濡れていた。

あたしは、またわんわん泣いた。


お母さんの腕の中がびっくりするくらい温かかったことは今でも覚えてる。




あの日以来、神社はちょっとしたトラウマで一度も近づいたりしなかった。







「…まぁ、それだけなんだけど…。」


気まずい…。
最終的にお母さんの話になってしまったから照れ臭かった。



「そうか。」


彼はそんなあたしを見て笑う。

照れていることを見透かされてるようで腹が立つ。









「大丈夫。」


「は?」


「迷ったりはしない。僕がついてる。」


そんなことを言われると、どう答えていいか分からない。

いちいち動揺してる自分が気持ち悪かった。




最初に通った遊歩道の出入口が見えてくる頃、空には淡いオレンジの光が射していた。



「恵には言ってあるのか?」


「何を?」


「ちづが、ここで探すのを手伝ってくれてることだ。」



言えるわけないじゃん。
幽霊と一緒にタイムカプセル探してる、なんて誰も信じない。


「言ってないのか?恵が心配するだろう?」


「…大丈夫だって。」


「大丈夫じゃないだろ!」


「あーはい、はい、言ってあるって!もう煩いなぁ!」


彼の方に顔を向けたあたしは息を呑んだ。


「……え…。」



彼の身体が透けていた。
どんどん薄くなって、朝の光が透過している。




「…時間みたいだな。」


「また、夜になれば見えるんだよ…ね?」


彼は頷く。


「いいか?ちづ。家族に心配かけるなよ?恵に言ってないなら手伝わなくていいから。」


それだけ言うと、まるで煙のようにスッと消えてしまった。








でも、彼は見えなくなっているだけで、すぐ近くにいるんだろう。

だから“消えてしまう”より“見えなくなってしまった”が正しいのだ。



言いたいことだけ言って見えなくなるなんて…ズルい。

手伝わなくていい、とか。


彼のためじゃない。
ばあちゃんのためにやってるんだ。



あたしは腹立たしくて堪らなかった。

ついでに、酷くショックだった。


急に突き放されたような気になったからだ。




あームカつく。


心配してるとかしないとか、そんなの余計なお世話だ。



チッ。
あたしは舌打ちをした。

今は見えない彼が、聞いているかもしれない。






どうして、いつもこうなんだろう。


あたしは、いつも腹が立っている。
























【友情が壊れた日】

















コンビニでおにぎりを選んでる時だった。


たらこのおにぎりに手を伸ばそうとしたら、横から奪われた。




「これだろ?」


自分で取ったくせに、あたしに渡してくる悠。

得意気に笑ってるのがムカつく。


いくら近所だからって、近所のコンビニでまで偶然会いたくないっての。


「ちづはたらこのおにぎり好きだもんなぁ〜、昔から。」



悠を見上げながら気づいてしまう。
コイツ、また背伸びた。




「…いつの話してんだよ!」


あたしはおにぎりを突き返して、梅干しのおにぎりを掴むと真っすぐレジへ向かう。






コンビニを出て、空に広がる薄桃色を見つめた。


奇妙な色だと思う。

でも、綺麗だった。



落下していく太陽、
あたしは夜を待っている。










外に置いておいたシャベルを掴むと、後ろから悠が追いかけてきた。



「何?そのシャベル。」


「成海には関係ないじゃん!」


大きな声を出すと、悠はわざとらしく肩を落とした。


「…ちづ、行かないのか?」


「は?何が?」


「祭りだよ、夏祭り。」

悠は、前を通り過ぎていく浴衣姿のカップルを見ながら言った。


「行くわけないじゃん!」



地元の夏祭りなんかに行ったら、美季や高嶋たちに会うかもしれない。

絶対に嫌だ!
そんなの死んだほうがマシだ。




「けど、花火も上がるしさ!ちづ、ガキの頃は楽しみにしてたじゃん。花火に、金魚すくいに、かき氷!」


悠の記憶力は何なんだ?
あたしの好きなもんなんて、よく覚えてられるよ。



「だから行かねって。」


「何で?」


「はぁ!?んなに行きたかったら他の奴と行けよっ!」


「俺は…俺は、ちづと行きたいんだ。」


そう呟くと、悠は急に焦ったみたいにあたしから目を逸らす。












「…幼なじみだし、さ。」


だから何だよ?幼なじみだから何だよ?


耳を真っ赤にしてる悠の面倒くさいリアクションは、いちいちあたしをイライラさせる。

テメェで言ってテメェで照れてバカじゃねぇーの?



「止めろって言わなかったっけ?」


「え…?」


「“ちづ”って呼ぶなって言ってんじゃん。キモいんだよ!いい加減分かれよ!迷惑なんだよ!あたしに関わるんじゃねぇーよ!!」




分かってる。
悪いのは悠じゃない。

そんなこと始めから分かってる。


でも、こうでもしないとやってられない。


悠のせいで美季たちから睨まれた、
悠のせいで嫌がらせを受けた、
悠のせいで学校に行けなくなった。



そう思っていると、少しは楽になれたんだ。




だから、あたしは会うたび悠に辛く当たってしまう。













コンビニの駐車場を横切っていくあたしの背中に向かって悠が叫ぶ。


「今さら“桐谷”なんて呼べっかよ!お前もいい加減分かれよ!鈍感女!!」



鈍感女…?悠のクセに!誰に向かって言ってんだ!!


こっちだって今さら“成海”なんて呼んでも全然馴染まねぇんだよ!アホ悠!!

けど、そうしねぇと…そうしないと……だって、美季たちが…。





シャベルを持つ手に力を込める。



あたしはいつまで、
こんなふうにビクビクしながら生きてくんだろう――…。
















夏祭りへ向かう人の流れの中で、あたしはあたしだけが一人ぼっちだと思った。


花火も、金魚すくいも、かき氷も大好きなのに。
大嫌いになってしまいそうだ。



小さい頃は、ばあちゃんと夏祭りに行った。

両親とも行ったし、悠とも。


……去年は愛美と二人で行った。
去年の夏は楽しかったなぁ。

今年の夏は…今年の夏は、ばあちゃんが倒れたり、幽霊とタイムカプセル探したり、散々な夏。




あれ…そういえば、あたしは彼の名前も聞いていない。

今頃になって、そんなことに気づく。


……名前、何ていうんだろう。



「ち・づ・る!」


その声とほとんど同時に、背負っていたリュックサックが後ろへ引っ張られた。

あたしはそのまま転びそうになる。







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