わたしはこの世界がずっときらいで
きらいだと思っていて
目にうつるものすべてに、イライラして
イライラするものに、ヘラヘラ笑って
蒸発するみたいに、消えてしまいたくて
子どもでも大人でもいたくないと、思っていた。
好きになろうと、していなかった。
そんなわたしが、だれかのことを、好きになんて、なれるはずがなかった。
世界のかたちを決めていたのは、わたしだった。
わたしの、ちっぽけで、せまい世界。
【ちっぽけな世界の片隅で。】
◇通常無常の、世界◆
(1)
東京。大阪。長野。兵庫。大分。
時刻は午後、十時すぎ。全国の悩みが、たった今、わたしの耳に流れ込んでいる。
寝る前に、ラジオを聴くのは習慣。ちょっとかっこいいかなぁ、なんて始めたら、だんぜん、テレビよりハマった。
発信源は、中学の入学祝いで買ってもらった、水色のステレオ。
赤っぽいピンクとどっちにするか悩んだけれど、やっぱりこっちで良かったと思う。
ピンクだったら、地味な部屋では浮いてしまっただろうから。茶色ばかりのこの部屋に、血液を送りこむのは、水色の、シンゾウでいい。
BGMとして、でも、歴史の授業よりはすこし真剣に聴きながら、わたしは目をつむる。
広島の中学生女子、ペンネーム・うさぎプリンさんの悩みを、低いお兄サンの声が、代読する。
「好きな人には、好きな人がいます──これは、切ないですね~」
スキナヒトニハスキナヒト。セツナイデスネー。
頭の中で復唱して、思う。
切ないって、説明するとしたら、どんな気持ちなんだろう。
ピンクと水色なら、たぶん水色。
まぶたの裏に浮かんだ、たくさんの色のなかで、わたしは青っぽい色をさがす。
青。透明なあお。なみだの色。
でも、切ないって、泣くのとはちがうでしょ?泣くのは、悲しいときでしょう?
切ないと悲しいの、境界線はどこ。
目をつむる。ふわぁと、奥のほうから、わたげのような眠気がやってくる。
それが体中に広がる瞬間は、とても気持ちいい。
完全に眠りに落ちてしまうまえに、心でつぶやく。
ねえ、DJのお兄サン。東京、大阪、長野、兵庫、大分、あと、広島。全国の中高生のみなさん。
──中学二年生で、今まですきなひとがいないって、おかしいですか?
わたしがラジオ番組に投稿するなら、きっと、この一文。
ラジオ番組なら、匿名オーケーだから、安心だ。
三橋八子。みんなにわたしだと、知られることがない。
誰が好き?今までにつき合った人は?どういう男子がタイプ?
そんなふうに、にぎやかに会話をはずませている、学校のみんなには知られない。
DJのお兄サンが、ハガキを読む。
──どこどこにお住まいの、中学二年生。ペンネーム、だれだれさん。
そうだなぁ。ペンネームは、なににしよう。
べつに、なんでもいい。もういっそ、だれだれさんでもかまわない。
ねえ、たぶんさ。
みんな、わたしみたいに、ひとに言えないこと、ひとつは持ってると思うのね。
自分をぜんぶ、見せたりしないと思うのね。
隠してると思う。その、隠れているものがなんなのか、わからないのに。もしかしたら、ものすごく、ひどいものかもしれないのに。
なのに、どうして、ネコかぶりの『だれか』を、好きになれるの。
ウソつきな『だれか』を、どうやって、好きになるの。
どうやって。
「どうやったらうまくなれんの?キスって」
アタマから降ってきたのは、とても明るい声だった。
ひっそりとわたしが抱えている悩みとは、格が違うお悩み。
目をあける。わたしがいるのは、二年二組の教室。
いつの間にベッドから起きて、朝食を食べて、登校してきたんだろう。寝ぼけているのだろうか。
その証拠に、いまにも目がふさがりそうに、ねむい。でも、口のなかには、ミントの味が残ってるから、ちゃんと歯は磨いてきたらしい。
わたしは自分の席に座ったまま、友人の木田アキを見上げた。
ちゅうちょなくわたしの前の席に座る、アキ。くずれたスカートのひだが、目の前に差し出される。
「・・・なんで、わたしに聞くかな」
ため息混じりに、言う。
もし、わたしと同時に、アキがこの質問を投稿したら、きっとアキのが選ばれるだろう。
上手なキスの方法。そのほうが、番組的にもおもしろい。
「ええっ!だって、こんなこと話せる友だち、ハチしかいないもん」
ハチしか、と言いながら、クラス全体に響きわたるような声で、アキは言った。
アキはいつも、声が大きい。
部活のかけ声だって、一番大きい。
わたしたちは、一年の最初から同じバスケ部だ。
アキは、わざわざ自己紹介しなくても、「あ、バスケ部でしょ?」って言われるタイプ。
ショートカットの、スマイル百倍元気印。手のひらにボールが吸いついているんじゃないかってほど、ドリブルがうまい。
本人は最近、足がガッシリしてきたって、すごく気にしてる。
親が通販で買ったらしいなんとかローラーで、授業中にふくらはぎをグリグリしていることを、わたしは知っている。