思いも寄らない状況に、店から出て歩き始める二人を追いかける事も出来ずに、ただしゃがみ込んだ。

ただ見つめながら。
二人で並んで歩く後ろ姿が…徐々に遠くに行く。


ねえ、なんで?本当に――…?


いや、よく考えたら…昨日の電話があの子からなんだとすれば…一緒に出かけることも…おかしいことじゃないのかもしれない…

ゆらゆらと、いつの間にか手から滑り落ちた傘を拾うこともなく立ち上がる。

雨が――…私を打ち付ける。
昨日のように。

いつものように。


「――…!」

その瞬間、一瞬にして昨日の出来事がフラッシュバックの様に私を襲う。

そうだ…昨日。
慌ててポケットから携帯電話を取りだして時間を確認する。

正確な時間は分からないけれど――…おおよその時間は分かるはず。見つかっても良い、止められるなら…!



「まっ――…」


声と多分、同時だったように思う。

聞き慣れたくもない音が、修弥を引き留めようとする私の声をかき消した。



「おい…!男の子が轢かれたぞ…!!」

「救急車!」



もう――…見たくもないのに。聞きたくもないのに。

いつもよりも少し離れた場所で、私は人が一カ所に集まる様子を眺めてながら、のろのろと傍に寄った。


「君は…大丈夫か!?」

「しゅう、や…」

傍に座り込む女の子に声を掛ける男の人。隣にいたはずの修弥の姿はなく、残されたあの女の子。

「あのこは…君の彼氏か…?」

「修弥――…」

雨が降る。
終わることを知らないように、私を打ち付ける。

雨が、今、涙が出ない私の代わりに泣いてくれているみたいにも思えた。



ただ痛い。
胸が痛い。

結局――…同じ結末だったことが痛いのかな。

それとも――…




雨で前が見えない。













   




ふっと暗い視界が明けて白く明るい陽が目に差し込んで来た。

——といっても雨だけど…

重い気分と重い体をゆっくりと起こして軽く目をこすった。毎回目覚めから始まって、毎朝眠いと感じるのだから変な感じ。

ベッドに腰掛けたまま、部屋を見渡して、そして外の雨を確認すると大きなため息が出た。

なんで…なんでなんだろう。
もう冗談じゃない。

重い。体も頭も心も重い。最悪の朝最悪の一日がまた幕を開けたことはもう―—わかりたくもないのにわかってしまう。

頭を抱える様にして、うなだれる。

どうしたらいいんだろう…一緒にいなくても同じ結末なんて。何をすればいいの。


「実結ー」

母の声が聞こえて、顔を少し上げて見えるはずもないのに声のする方を見た。

「今行く」

聞こえる程度の声でそう返事をして、きゅっと唇を噛む。

きっと眉間には皺ができているくらいの表情だろうな、と自分で思う。


―—とりあえずまた始まってしまった一日。何も変わることなく、変えることができないまま終わってしまった今日。


気合いを入れる様に大きな深呼吸をして腰を上げた。

深呼吸なのか、それともため息なのか、自分でもわからないけれど。


とりあえずそろそろ起きないと母が怒鳴り声をあげる頃だろう。

きっと、絶対、テーブルの上にはカレーライスが用意されてるに違いない。

予想通りに目の前に置かれたカレーライスが、私の気分を一気に悪くさせるような気がした。

ニオイがきつい。気持ち悪い。

それでも母の視線を感じて少しだけでもと口に運んだ。

――イライラする…
その気持ちが募る。

だけど、そんなこと感じている場合でもない。それよりも避けないといけないこと、考えないといけないことがあるんだから…

そう何度も言い聞かせても拭えない苛立ち。


それでも何とかしなきゃ――…!!


頭がパンクしてしまいそう。

考えられない世界の中に一人取り残される不安。

いつまでこの日が続くのかわからない。

どうやったら明日を迎えることが出来るのかわからない。


不安と恐怖が私を侵略して来るみたいだ――…


「実結?どうしたの?」

うつむいてスプーンを握りしめながら動かない私にさすがに母も心配したのか声を掛けてきて、少しだけ顔を上げた。


「なんでもない…」

言いたいけど言ったところで何が変わるとも思えないし、何を言ってるのかと言われるだけだって事くらいはわかってるもの。


「行ってくる」

わからないけど
先に。

どこに向かってるのか分からないけれど、取りあえず――…




「どうしたの?何か後ろ姿から暗い雰囲気だけど」

電車を降りるなり、相変わらず今回も佐喜子が声を掛けてきた。

「別に――なにもないよ」

何もない。
何もないから――…

「体調悪いの?」

振り向かずにそう返事をした私に、佐喜子が隣に並んで私の顔を見つめるのが視界の隅に見えた。

「何でもないよ」

自分で言っておいて大丈夫そうな顔をしてないことは分かっていたけれど、それ以外に口にする言葉を私は知らないもの。

「無理しないで、辛かったら帰りなよ?」

帰れるものなら帰りたい。
帰って寝ていれば終わる今日であればいいのに――

何事もなく、同じ明日が来ればいい。


「テストもあるしねー」

佐喜子の言葉に少し苛立ちを感じた。

テストなんてどうだっていいのに。そんなことよりももっともっと…

佐喜子の知らない未来があるんだよ。何も知らないで――


そんなの八つ当たりだけど。分かってるけど。何も知らず同じような日々を過ごす周りの人たちみんなが憎く思える。


私だけがこんなに辛いんだ。
知っているから辛いんだ。


何も知らなければ良かったのに…


そうじゃないのは分かっているのに、何も出来なかった昨日までの繰り返しが重い。




テストは相変わらずの結果だった。

別に毎回毎回何が出たか覚える事もないし、見直しする余裕だってないし、復習する程時間があるわけでもないし。

「ここ、出たよ」

昨日と同じように佐喜子が開けたページの問題だけは

「そこは分かった」

さすがに、昨日思い出したから。
それ以外は何も分からなかったけど。

「へーここが一番難しかったのに!」

「そうだっけ?」

佐喜子の話を聞きながらも思考は何も働かない。

返事はするけれど、考えたいのに何も受け付けられない、そんな感じだ。


「実結」

ぱらぱらと、英語の教科書を捲っているといつもと同じような修弥の声に、ゆっくりと振り返った。

「今日映画いかねえ?」

今日をどうしたらいいのか――その答えはまだ分からないけれど、取りあえず、一緒にいる方が避ける方法があるかもしれない。



行きたくない。
もうあんな光景を見たくない。


だけど、もしも行かなかったら――…


昨日の光景が蘇る。もう見たくもない光景。

だけどもしも行かなくて、昨日と同じようになった場合…



遠く離れた場所で私は見るんだ。

傍に近寄ることも出来ない。



修弥の近くには――…



「うん、いいよ」

顔を上げて修弥の方を見て、そう返事をした。

私の返事に、相変わらずにへらへら笑う修弥の顔は、真っ直ぐに見ることが出来なかった。

視線を向けながらも、真っ直ぐに見ることが出来なかった。

自分のずるい、黒い気持ちに気づかれないように。同時に、自分でも気づきたくないから。

「じゃーまたな」

そう言って私の様子に何も気づかないで、同じようにへらへらと笑って教室を出て行った。


何、笑ってるの。
自分の事なのに。

きゅっと強く手を握りしめる。
ぎゅぎゅと音が鳴るんじゃないかと思うくらいに。


爪が手のひらに食い込む痛みを感じたけれど、その痛みに神経を奪われた方がいいと思った。


余計な事を考えないように。

少しでも――…マイナスなことを考えないように。

今の自分に出来ることに全部を集中しなきゃいけない。

何度繰り返されようとも、何度も繰り返さないために。


分かっているのに、どこかで拒否する神経を必死に切らなきゃいけない。

重いのは、私の頭なのか体なのか、それとも――…雨の空気のせいか。

重たい気持ちはいつになったら晴れるんだろう。

「いつ、青空が見えるんだろう」

修弥を待っている間、そんなことばかりを口にしていた。

修弥を待つ間に今日の事を考えようとしても何も考えられなくて、雨の音が私の邪魔をするみたいにも思える。


うるさい。

何で今日はこんなにも降っているんだろう。

昨日もこんなに降っていたっけ?

「バカみたい」

同じ日を繰り返しているのに、何を考えているんだろう。

空は黒い雲に覆われていて私の今の気持ちと同じみたいだ。

晴れたいのに晴れない心がそう見せているんじゃないかとバカみたいな事まで考えてしまう。

――そんなこと、あるはずないのに。


繰り返し始めてから青い空なんて見てないのは当たり前だけど、じゃあこの前はいつ晴れていたのかも曖昧だ。


ずっとずっと空なんか見てない気もする。

苦しい気持ちはずっと前からあったから――…

辛い苦しい悲しい重い

繰り返し始めてからはもちろんだけど、それまでだってずっと感じていた様な気がする。

だけどもういつからか思い出せない。

毎日同じように適当に楽しく笑って過ごしていたはずなのに。