ボク達はそれから長い間沈黙だった。


ボクは自分のちょっと汚れたスニーカーを見ていたし、ルウコは個室のこの病室の大きな窓に目を向けていた。


そっとボクの手にルウコの手が触れた。

顔を上げるとルウコが笑顔でボクを見ていた。


「ルウコ・・・?」


「あのね、ソウちゃん。聞いてほしいの」


「何を?」


「あたしの病気の事、ちゃんと話すから理解して」


ギュっと手を握られる。相変わらずルウコの手は冷たかった。



「あたしの病気・・・治らないの」


「え?」


「一生治らないの。でも、勘違いしないでね」


「勘違いって何を・・・?」


「治らないからってすぐ死ぬとかじゃないの」



それからルウコは自分の病気について話し出した。

ルウコがこの病気になったのは中学2年の春。


健康診断で心電図で引っかかって病院で再検査をして病気がわかったらしい。


「心臓病です、って言われてもね自覚症状もないし心臓移植するとかそういう種類でもないの。発作はあるんだけど、心臓発作とはちょっと違う」


ルウコの発作は突然の貧血。それも重度の貧血。

それが何度も続いたら・・・・。


「発作がずっと続いたら心臓発作っていうか、心筋梗塞みたいになって死ぬんだって」


生活で注意すべき事は、過度の運動、ストレス。だから体育もたまにしか参加出来ない。



「何か治療してんのか?」


ボクが聞くと首を振った。


「新しい病気でね、症例も少ないらしいの。自覚症状がないから治療のしようもないのよ」


そしてフフフとちょっと笑った。


「治療ってせいぜい今日みたいに3ヶ月に1回、検査入院するくらい。後は貧血が発作だから、血圧を上げる薬を飲んでるくらいなんだよ」



ボクは今、どんな顔をしているんだろう?

自分じゃちっともわからなかった。



「でも」


ルウコは笑いながら・・・だけどそれはすごく悲しそうな笑顔で言った。


「あたしがいずれこの病気で死ぬのは間違いないの。それが明日なのか、10年後、20年後かはわからないけど、必ず死ぬのよ。みんなより早くね」

病室に夕日の明かりが差し掛かってきた。


柔らかいあったかい明かり。

でも、今日、こんなキレイな夕日を見たくなかった。何となく。



「だから毎日を大事に生きたいの後悔しないように」


ルウコは夕日に負けないくらいキレイな笑顔で言った。


けど・・・・その顔が一瞬で曇った。




「ソウちゃん、どうして泣いてるの?」



「え?」


ボクは自分の顔で手をやった。

自分じゃ全く気づかなかったけど、涙がポタポタ頬を伝うくらい流れていた。



「オレ泣いてる?」


「うん、すごく悲しそうな顔・・・」


そう言ってボクを引き寄せてギュっと抱きしめてきた。

ボクはルウコの肩に頭を乗せてそのまま動かなかった。



「ソウちゃん、ごめんね・・・。悲しい想いをさせてごめんなさい」



神様はどうしてこんなにイジワルなんだろう?


治療法がない、ただ死を受け入れて待つだけなんて・・・。


神様ってこんなに勝手でいいのか?
ソウちゃんへ


ソウちゃん、内緒にしててごめんなさい。


あたしの病気がソウちゃんをたくさん傷付けた事、謝っても謝りきれないよね。


発病してからずっと、あたしは不安でした。


いつか、あたしは死んでしまう。

この事実が常に頭から離れなくて辛かった。


でも、高校生になって、たまたま学校帰りにサッカー部の部活練習をみて、ソウちゃんが楽しそうに走っていたり、友達と笑っているのを見たの。

何て楽しそうに笑う人なんだろうって、すごく印象的でした。

それから、あたしはソウちゃんの姿を自然と目で追うようになっていたの。


2年生になって、ソウちゃんと同じクラスになれてすごく嬉しかった。


偶然見かけたあの日からあたしはソウちゃんに恋をしていたんだと思う。


でも、あたしは病気で、そしてソウちゃんには彼女がいたりして縁がないのかな?って思った。

だけど、神様はまだあたしを見放してないのかな、そう思ったのはソウちゃんの席の後ろになれた時。


先生に当てられて困っていたソウちゃんに思い切って答えを書いた紙を渡したら、

「ありがとう」って、部活の時の笑顔で言ってくれたの。


あの時、決めたの。

あたしに残された時間はどのくらいかわかんないけど、ソウちゃんに恋をしていたい、想いを伝えたい。

…出来れば一緒にいたい。

だから思い切って手紙を書きました。


ソウちゃんにあの笑顔でルウコって呼んでもらいたい。


ソウちゃん、こんなあたしだけど、そばにいてくれますか?

あたしと思い出たくさん作ってくれますか?

繋いだ手を離さないでいてくれますか?



夏休み、海もフェスも一緒に行ってくれますか?


変わらずに笑顔を向けてくれますか?



あたしは…ソウちゃんのそばにいたい。


あたしの生き甲斐はソウちゃんなの。


ソウちゃん、大好きだから離れないで。



ルウコより
*********

ルウコの病気。


ボクはその事実をどう受け止めればいいのかわからなかった。


でも変わらないのはルウコへの気持ち。


治らない…そう言われても希望はまだあるんじゃないのか?


ボクの気持ちは、ルウコは病気です。そうですか、じゃあさようならって安いもんじゃないから。


ボク達の気持ちを大事にすればいいんじゃないか?


そうボクは思うから…



**********

ルウコからの手紙を読んでため息が出た。


前ならあの「柏木」がボクに片思いをしていたなんて…と少し嬉しかったかもしれない。


でも、手紙の中身はもっと複雑で重たいものだ。


生き甲斐だなんて、そんな事言わないでほしい。


もっと気楽にボクと一緒にいてほしい。


ボクといる事で、ルウコの気持ちから1秒でも病気の事が頭から離れるなら…



ルウコが病院でボクに病気の事実を打ち明けてくれた時、何で涙なんて流してしまったんだろう…


今更後悔が押し寄せてくる。


何か言葉にすれば、ルウコは楽になれたんじゃないのか?

そんな気持ちがずっとボクの心を支配している。



でも、ボクはその事実をただ心の中に無理矢理突っ込むだけしか出来なくて…



何でボクはこんなにガキなんだって自分をただ責める事しか出来ない。


「何でオレってまだ高校生でガキなんだよ」


思わず弱音が出てしまう。


いつも通りのHR中の屋上。


自分の苛立ちをフェンスにぶつけるように思い切り蹴っ飛ばした。

バコン!という音と共にフェンスの一部がへっこんだ。


ボクの足の形通りに凹んだフェンスをみて、笑いが込み上げてきた。


「さすがサッカー部」


自分で言って、また笑ってしまう。



屋上の扉が開く音が聞こえて笑うのを止めた。

ルウコかもしれない、そう思った。

背中に緊張が走る。


顔を向けたら笑顔でいつもと変わらずにいよう、そう決めた。


ボス!

脳天をチョップされたみたいで結構な傷みがくる。



「いってぇ!」


振り向くと、明日香がニヤリと笑った。


「明日香?」


ボクが驚いていると、チラシみたいな物を渡してきた。


「夏フェスのチラシ。みんなで行くんでしょ?」


チラシに書いてあるアーティストの横に○がついている。


「この○は何だよ」


「ルウコがつけてた。見たいアーティストなんじゃない?」


ルウコの名前を聞くとドキドキした。


「ちなみに△はあたし。幹太はまだ印つけてないんだけどね」


明日香はいつも通り、何も変わらない。


「ふーん、オレはどれかな?」


ボクもいつも通りに明日香に振る舞った。

座ってチラシを眺める。


その隣に明日香が座る。


「ソウちゃん、無理しなくていいんだよ」


「え?」


「誰でも驚くし、戸惑うし悩む。それは普通なんだからさ」


明日香はチラシを覗きながら淡々と喋っている。


「あたしが初めて知った時には3日は寝れなかった。だって目の前でいきなり倒れて意識不明になったんだから」


「え?」


「体育でね、見学してたルウコにつまんないでしょ?って一緒にバレーやろうよって誘ったの、そしたらいきなり倒れて…ルウコも普通にやるやるって言うから…甘かったんだね。危うく殺しかけた」


ボクは明日香を見ていた。チラシに目を向けたまま早口に喋っている。


「あたし救急車に一緒に乗って、何てことしたんだろうって泣いちゃったの。でも、目が覚めたルウコはバレー楽しかったって笑顔で言ったの。それでわかったの。ルウコは病気だから特別に扱われたくないんだって。普通に接してほしいんだって」

「だからさ、ソウちゃんの気持ちが大丈夫であれば普通にしててほしい。今すぐは無理だろうけどね」


顔を上げて明日香は笑った。


「明日香…」


「とりあえず、フェスまでにはみんな今までと変わらないで元に戻ってほしい」

「あたしから幹太にも言ってあるから。ルウコの思い出作りみたいでイヤかもしれないけど、ソウちゃんがルウコの生き甲斐なの。だからお願いします」


頭を下げられてビックリする。


「おい、お前がそんな事する必要ないだろ…」


と言ってから、床に明日香の涙がポタポタ落ちてるのが見えた。


ボクは思わず明日香を抱きしめた。


「ソウちゃん?」


「これは浮気じゃねーからな。明日香がオレの代わりに泣いてるから。だから自分を抱きしめたと同じだからな」


「あははは」


明日香の笑い声が聞こえた。


「あたしだって冗談じゃないよ。でも、ルウコはソウちゃんはいい匂いするってのがわかった」


ボクはその言葉に笑って、明日香を離した。


「楽しみだね、夏休み」


明日香の言葉に「そうだな」と笑い返した。