入院生活は一言で言うと『ヒマ』。
だって、あたしはどこも悪くない。
今までかかっていた小さな心療内科から、この大学病院へ転院したらしい。
そっちの治療もここでするらしい。
「よいしょ・・・」
あたしはベッドから起き上がると、カーディガンを着た。
「うららちゃん、またお出かけ?」
同室のお婆ちゃんがタバコを吸う仕草をした。
「内緒ね。心電図のデータ飛ぶって怒られてるの」
あたしが笑って言うと、お婆ちゃんはOKのサインをした。
「帰りにお茶買ってくるから」
笑顔でバイバイと手を振る。
「こんにちは」
外の喫煙所であたしは声を掛けた。
おばさんが笑顔でうなずく。
このおばさんは口がきけない。
ジェスチャーであたしに「大丈夫?」と伝えてきた。
「うん、元気だよ。おばさんは?」
おばさんはもう一度うなずいた。
おばさんと並んでタバコを吸っていると、携帯のマナーモードがなる。
携帯を開くと、『今日、お見舞いに行くよ』と恋人からメールがきた。
あたしがそれを見て笑顔になっていると、おばさんが肩を叩いた。
「ん?」
口が動いている。「か・れ・し」。
「そうなの。お見舞いきてくれるの」
あたしは笑顔でうなずいた。
この日、この時まであたしは「どこもなんともない」って信じてた。
「心臓病?」
循環器のあたしの担当医はあたしの疑問にうなずいた。
「先ほど、ご両親にも確認しましたが、先天性ではないです。今まで健康診断で心電図などで引っかかった事はありますか?」
「・・・ありません」
「QT延長症候群って知ってますか?」
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※家族性突然死症候群(QT延長症候群)とは
突然、脈が乱れて立ち眩みや意識を失う発作が起こる遺伝性の病気です。意識を失う発作が止まらない場合は死亡することがあります。しかし、発作がないときは自覚症状は全くありません。また、検査をしても心電図のQTといわれる波形の部分が正常に比べて長い以外は異常が見つかりません。このような心電図の特徴からこの病気は「QT延長症候群」と呼ばれています。
(難病サイトよりの抜粋です)
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「この病気のほとんどは遺伝なのですが・・・、まれにあなたのようなストレス性から突然なる方もいます。あなたの場合は自律神経失調症とパニック障害、睡眠障害が併発されて合併して発病したと思われます」
「これまでの病歴を見ますと・・・、突発性難聴になっていますよね?この時あたりから三半規管のバランスは既に崩れていて、脳にまで血液を正常に送ることが困難になっていたのでは、と考えられます」
確かにあたしは24歳の時に突発性難聴になって、左耳がほとんど聴こえなくなった。
でも、それはストレスで治療をして聴力は7割方戻っていた。
あくまでも7割だけで、それ以上は戻せないと言われたが生活に支障はなかった。
そんな事よりも・・・
あたしは頭が真っ白になった。
「脳貧血ってご存知ですか?」
パニックになっているあたしに医者は淡々と聞いてきた。
「は?脳貧血?」
「三半規管が狂っている上にあなたは自律神経のバランスも崩れている。だから血液がうまく回らない。常にそのような状態にあるので、立ちくらみなどなしにいきなり気絶するという事があります。これも脳貧血にみられる症状です」
「あの!」
あたしはやっと自分から声を出した。
「あたし・・・、あたし・・・、治りますか?治りますよね?」
医者はしばらく黙っていたけど、あっさり言った。
「治りません」
治りませんって・・・・
もう一度、希望を込めて確認した。
「でしたら、死にませんよね?生きていられますよね?」
「それもわかりませんね。次に発作が起きた時に死亡するかもしれません」
絶望ってこういう事なの?
流産した時のあのやり切れない絶望感とは全然違う。
どっちも絶望?
これって・・・、
これが本当の罪?
病室のベッドに横になりながら、あたしは医者の言葉を反芻していた。
『あなたのようなケースは遺伝ではないので、どのように治療していけばいいのかもわかりません。まずは、現段階で発病している病気、これから潰していくしかないでしょうね』
『あなたはまだ若い独身の女性です。いつか結婚して子供を産むかもしれませんが、出産にこの病気は問題ありません。日常生活にも特に問題はないです。しいて言えば、いつどこで気絶するかわからないので、パニック障害もありますし、公共の交通機関はしばらく使えません』
『最後に言いますが、多分一生この病気と付き合っていく事になるでしょう。でも、今かかっている病気を改善する事によって随分軽くなる場合もあります。ですから、あなたの目先の敵はストレスです。興奮したり落ち込んだりすると発作が起きやすいので気をつけて下さい』
何であたし?
あたしの人生って何なの?
何でおみくじの凶は全部あたしなの?
幸せになりたいって、そんな願望が強いから?
子供を堕ろしたから?
あたし何のために生まれてきたの?
「イチゴ買ってきたよ。皆さんにもお裾分けしてね」
恋人がイチゴのパックを持って病室に入ってきた。
病室のお婆ちゃんに「こんばんは」と挨拶をしている。
(どうしよう・・・)
あたしは聞いた事実を受け入れられなくて、恋人に言えないでいた。
「もうすぐ退院だね」
恋人は笑顔で言った。
その顔を見た途端、涙が一気に出てきた。
ここは病院。
あたしよりも重い病気にかかっている人がたくさんいる。
死を目の前にしている人がいる。
今日は珍しく、あたしのベッドは幸いにカーテンを全部仕切っていたから声を出さないように恋人のシャツに顔を突っ込んでずーっと泣いていた。
退院して、今現在。
あたしは車で通院している。
やっと月1回の通院でよくなった。
生活に支障はないから、いつもどおり。普通。
まだ立ち直れたわけではないし、いつ発作が起こるかわからないから正直怖い。
この間、恋人とケンカをして彼が会社に行っている間に洗濯をして洗濯物を干した後の記憶が全くなかった。
あたしは発作で気絶していたみたいだ。
気がつくと夕方になっていてビックリした。
発作の後は何日か身体が重い。
布団からほとんど動けなくなる。
日常生活で初めての発作だから怖かった。
生きててよかった・・・と一安心する。
あたしはこれからもこんなハンデを背負いながら生きていかなければならない。
まだ立ち直っていないあたしが、普通に笑えるようになったのは最近。
それまでも普通に友達と喋ったり笑ったりしていたけど、やっぱり心のどこかに不安があって、前みたいに、今みたいには笑えてなかったと思う。
あたしが「頑張ろう」と思ったのはやっぱりヒロ。
「うらら、ゴールデンウィークはヒロくんのお墓参りに行かない?」
恋人が言った。
「え?何で?」
雑誌から目を離してあたしは聞き返す。
「しばらく行ってないし、うららも身体の調子が少し良くなったから遠出できるかなと思って」
「うーん、そういえばしばらく行ってないね。遠出は禁止されてないから別に大丈夫だよ。でも、何でお墓参りなの?世の中楽しい連休だよ?」
恋人はちょっと首を傾げた。
あたしもつられて首を傾げる。
「多分、会いたいんじゃないかなって思ったから。うららが病気になって・・・、って元々病気ではあったけど、オレよりもヒロくんの方が近い気がするんだよね、気持ちが」
「ん?意味わかんない」
恋人は少しためらったから言った。
「『死』っていう現実。うららが直面している現実。オレもオレなりに考えてて将来の事とか、でも結局は本人じゃなきゃわかんない部分ってあるから」
「あー・・・、確かにヒロの方が近いかも。現実に死んでるんだし」
あたしは笑った。
笑いたくなんて本当はない。でも、あまりにも出来すぎた自分の「過酷な人生」に呆れて笑っちゃう時がある。
だって、こんなのドラマかなんかの世界でしょ?
そう思っている。
でも、わかってもいる。
そんなドラマみたいな人生の人はたくさんいる。
病院の中にもいっぱいいた。
あたしと同じ、もしくはあたしより近い「死と隣り合わせの人」。
あたしは自分の病気の事を平気で人に言う。
それは同情してほしいとか、気を遣ってほしいとか、逆に虚勢を張って逆境に負けずに生きてますって強調したいわけではない。
これは「予防」。
だって、あたしはいつ、どこで発作を起こすかわからないから知っててもらわないと困る。
万が一、発作を起こしたとして救急車の乗ることになったとしたら、
『この人、こんな病気を持ってると言ってました』
そう伝えてもらえるだけで、あたしは助かるかもしれない。
あたしは生きていたいから。
ヒロが言っていた「普通に生きる」、それを望んでるから。