足音さえ消えてゆく

 恵美はとたんに安心した顔になり、
「でしょー。これはね、小麦粉を入れるのがコツなのよ」
とあごを上げて自慢している。

 ・・・いやいや、それは片栗粉だってば。


 母がスーツから部屋着に着替えに行くのと入れ違いに父が帰宅。遅くに生まれた私がかわいくて仕方ないのが手に取るように分かるほどの笑顔で、
「ただいま!」
と勢いよく私の頭をなでまわす。

「ちょっと、やめてよ!髪がぐちゃぐちゃになっちゃうじゃん」

 すると父は、とたんにこの世の終わりのような顔になり、
「そっか・・・いやなのか・・・」
としょげかえる。さっきまでラジオ体操でもしそうな勢いだったのに、一瞬で死神でも背負っているのかと思うほどの変わりようだ。

「いやじゃないって。ビックリしただけ、ね」
あわててフォローすると、再び満面の笑顔で、
「そっかそっか。いやーいいにおいだな。お、鍋か?」
と、恵美に尋ねている。


 末っ子もラクじゃないよなぁ。







 夕食のあとは、いつも恵美と2人で片付けをする。まぁ、両親も大変だしそれくらいしなきゃバチがあたる。公立高校を出て就職した姉と違って、私立に通い続けるであろう私はあからさまに『金食い虫』だからだ。

 泡をよく流しきれていない恵美に注意しながら洗い物を終えると、しばらくはリビングでみんなでくつろいだ後、
「おやすみ」
を告げて、私は部屋へと戻る。


 ベッドの上に投げ出してあった携帯がチカチカとメールの受信を知らせる。

 菜穂からだった。


『宿題はめんどくさいね。でも、大人になるのとどっちがめんどくさいのかな?』


 菜穂らしいメールに思わず笑ってしまう。

 携帯でアラームをセットし、私は明日の授業の準備をする。時計を見るとそろそろ22時。FMを再びつけると、私は布団にもぐりこんで部屋のライトを消した。

 大好きなラジオを聴きながら眠りにつくのが、私は大好きだった。









   【3】

  FM dream




□■□■□■□■□■
『さぁ、いつものようにはじめのコーナーは恒例の恋愛相談だぁ。
 今日もたくさんお便りいただいちゃいました。
 毎日たくさんの手紙やメールありがとう。

 ほんと、こんなにもたくさんの人が悩んでるんだなーって思うと、私も力入ります。ありがとね。

 今日のはハガキでもらってるお悩み相談です。
 ペンネーム「うさりんご」さん?君?
 んーっと・・・あ、女の子だ。

「アオイさんこんばんは。私は中学3年生です。いよいよ受験が近づいてきて緊張の毎日です。さて、私には3年間好きな人がいます。高校は別に進むので、彼とはもうすぐ会えなくなると思うと勉強も手につかない毎日です。彼に告白したほうがいいのでしょうか?それとも、もう会えなくなるなら忘れる努力をしたほうがいいのでしょうか?良いアドバイスをお願いします」





 んー、なるほど。
 そうだよね、もうすぐ会えなくなるなら悩んじゃうよね。

 私なら告白しちゃうな。

 うん、したほうがいいよ。

 だって告白しなきゃ、思いを伝えないままその恋は死んでしまうわけっしょ?
 だったら告白すべきじゃない?

 ただひとつ注意するなら、もしも断られてもさ、それと受験とは別だからね。

 当然フラれたら落ち込んじゃうわけだけどさ、それを理由に何も手に付かなくなって勉強すらできなくなるんじゃ彼がかわいそうだよ。

 好きになったこと自体が間違いだった、なんて悲しいじゃん。

 だから、ちゃんと区切りをつけたら、どんな結果だったとしても先へ進むこと。

 いい?


 じゃ、「うさりんご」さんに贈る曲をかけます。
 アルバム「swallow」から「メールじゃなくてよかった」です』


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「メールじゃなくてよかった」
【作詞・作曲 AOI】


最後の言葉を ありがとう

言いにくい言葉を きちんと言ってくれて

ありがとう



もしも、メールなら

もしも、留守電だったなら


あなたの いいところばかりを思い出し

きっと前に進めなかった

あなたの いいところばかりを希望に

もしかして、を待ちつづけていた



だから、 

最後の言葉を ありがとう





   【4】

  青い空を染める黒



「昨日のFM聴いた?」

 朝会うなり、涼子が尋ねてきた。
 
 いつもと同じホーム、いつもと同じ朝。


「うん。いつものように恋愛コーナーだけ聴いてから寝たよ」
吐く息が白く、生まれたそばから宙にとけてゆく。

 涼子とは月曜日から土曜日までやっているFMの恋愛コーナーについてよく話す。2人ともDJアオイが好きで、その中でも特に恋愛コーナーはお気に入りだ。アオイのアドバイスについて、あーでもないこーでもないとお互いの意見を言うのが恒例だ。

「中学生のときってああいうかんじよね。なんかなつかしくなっちゃった」
涼子が寒そうに肩をすぼめながら言った。

「私なんだか分かるなー、あの気持ち」

「へー、そうなんだ?」

「うん」私は深くうなずくと、
「だって、井上先生とも春にはお別れでしょ。やっぱコクっちゃったほうがいいような気がしてるもん」
と神妙な顔をしてみせた。



 涼子はそんな私を笑うようなことをせず、
「でも、もしフラれたら会いにくくならない?」
と尋ねてきた。

「そりゃそうだよ。でも、同窓会とかくらいっしょ、困るのは。だったらコクったほうが良くない?」

「そうだね。・・・カナちゃんは、本当に井上先生が好きなんだね」
そう言う涼子の顔が、なぜかさみしそうに見えたのは気のせいだろうか。

 昨日の小浜幸広のことを聞きだそうと口を開きかけた時に、電車のアナウンスが流れた。ほどなく、甲高いブレーキ音をたてて電車がやってきた。

 
 いつもの場所に立ち、改めて涼子に視線を向けると、
「カナちゃん、小浜さんって昨日紹介したでしょ?」
と、涼子の方から口を開いてくれた。

「うん。涼子さんの恋人なの?」
野球で言うならば、ストレートど真ん中なボールを投げる。


 涼子は一瞬微笑んだが、すぐに真顔になり、黙ったまま視線を窓の外に向けた。どうして良いのか分からずに、私もつられて外を見る。曇った窓越しに、同じように曇った空と町並みが流れてゆく。