「『南総里見八犬伝』に出てくる言葉だ。縄ってねじってあるだろ、そんな風に幸も不幸も出来ている。
老子の言葉にある『禍(わざわい)は福の寄る所、福は禍の伏す所。たれかその極を知らん』のことだ。
不幸があればそこに幸せは寄り添ってるし、幸せがあればそこに不幸は隠れてる。そうやって循環してるけど、誰もその行き着く果てはわからない」
いつもからは想像もつかないほど饒舌(じょうぜつ)に、私なんかではとても覚えられそうにないことを話してくれる霧崎君に驚くと同時に。
私はちっとも彼を知らなかったんだ、勝手に思い込んでいただけなんだと改めて思い知る。
そこで一呼吸置いた霧崎君はそっと瞼を下ろした。
「お前は、わかるか、この意味が」
ゆっくり、ひとつひとつの音を噛みしめるように。
その表情はとても綺麗で。
とても切なかった。
その顔を見つめながら。
こちらを見ていない霧崎君に伝わるように、私は精一杯声を出す。
「わからない」と。