「けどさあ、現実は違った。超へこんだし……あたし、何でこんなやつに惚れたんだろって」

まじで見投げしてろうかと思った、と翠は言い、暗く静寂した廊下にまで筒抜ける笑い声を上げた。

「見投げ……翠をそこまで落ち込ませたやつはどんなやつ?」

と笑い返してやると、突然、翠はおれの首に飛び付いてきた。

「ベッドローック! 誰が補欠なんかに教えるかってえの」

月明かりに照らされた翠の腕は、白く細い神聖な蛇のようだった。

「バカ! 苦しい! 殺す気かよ、離せ」

「殺してやる! ぶっ殺すー!」

「まじで勘弁! おれ、甲子園行くまで死にたくねえもん」

とおれは言いながら、翠の腕からすり抜けようとした。

でも、離そうとすればするほど首を締める力は強くなり、白く優しい蛇のように絡みついてきた。

「翠?」

翠が泣いている事に気付いたのは、その力が不意に緩んだ時のことだった。

翠の爪の先が真冬の冷たさに耐えているかのように、ぷるぷると震えていた。

「じゃあ甲子園連れてけよ! あたしを甲子園に連れてけ!」

涙混じりの湿っぽい翠の声は、月明かりに溶け出してますます湿度を上げた。

やっとだった。

やっとの思いでおれは声を出した。

余分な肉が一切ついていない、今にもポキリといきそうな翠の細い手を、おれは握り締めた。

きれいな爪には小花が几帳面に咲き乱れ、細かい粒のように輝いていた。

「いいよ」

おれは言い、細い腕をそっとすり抜けて、翠の座っている席の横に立った。

フランス人形のような金髪は月光に照らされて、細かい繊維のように乱反射していた。

ただでさえ細くて華奢なくせに、その小さな肩をすくませてうつ向き、翠はひくひくと泣いている。

机の上に乗せられている翠の右手を左手で握り締め、おれは覚悟を決めた。

「翠、おれと一緒に甲子園行こう」

「嘘ついたら、まじでぶっ殺すけど」

泣いているくせに、翠は強気な口調で言った。

そんな翠に思わず愛しさが溢れて、おれは笑った。

「まあ、確かに今は補欠だし。保証はできないけど」