「阿呆、よく見ろ。あれはカーテンだ。日直とかが閉め忘れたんだろ」

見ろ、とおれは言い、縮こまっている健吾を引きずり立たせた。

幽霊なんかいるもんか。

「あら、まあ。本当だわあー、夏井さんちの奥さん」

と健吾は幽霊疑惑が解決したとたんに、ひょうきんに笑った。

「誰が奥さんじゃ! 早く自転車とってこいよ」

「おう」

と言って、健吾が自転車をとりに向かおうとした時、後ろが騒がしくなった。

同学年の部員達が一塊になって、ぞろぞろと駐輪場に向かって来た。

「おーう! 響也、健吾。まだ居たのか」

「おう、岸野(きしの)! お疲れ」

お疲れ、と練習の疲れさえ見せずに笑って返してきたのは、岸野健(きしのたける)だった。

岸野はショートを守備位置とする、強肩、駿足、の期待の1年だ。

この秋からベンチ入りしていて、すでにナインにも加わっている重役である。

ちなみに花菜の彼氏という、これまた重役だ。

目がきりっとした一重まぶたで、背丈はおれより少し高いくらいだ。

「じゃあな、お疲れ」

「明日も明後日も、日々野球人生ブラボー!」

なんて叫びながら帰って行く部員達は、みんな野球馬鹿である。

こんな南高校野球部のみんなが、おれはたまらなく大好きだ。

最後に現れたのは花菜で、今日も岸野の自転車の後ろに乗って帰るらしい。

みんなが帰って行く中残ったのは、おれと健吾、岸野と花菜、の4人だった。

健吾が自転車の鍵を無くした、と騒ぎ出してから5分以上経っていた。

「鞄の中、確認してみろよ」

半ば諦めて、おれは言った。

「何回もしたって! あー、無え」

「諦めんな、絶対ある! おれも一緒に探すから」

「岸野様あー!」

岸野は絵に描いたような優しい性格で、困っているやつを見ると放ってはおけないお人好しだ。

基本的に、根っからの世話好きなのだ。

自分の事のように健吾を心配して、一緒になって必死に鍵を探している。

そんな中、こそこそとおれに話掛けてきたのは、少し難しい顔つきの花菜だった。



「翠ちゃんから聞いたよ。あと、お兄ちゃんからもメール来た」

「何を?」

鍵探しに没頭している健吾と岸野をちらりと確認した後、花菜は続けた。

「涼子さんて人と、アドレス交換したんだってね」

「あ、ああ。した」

すっかり忘れていた問題だった。

おれは何だか妙に気まずくなり、じっと見つめてくる花菜の視線から逃げるように、目を游がせた。

できれば、その話題にこれ以上深く突っ込まれたくない。

それでも花菜は、おれの顔色をじろじろと覗き込んで来た。

相澤先輩と瓜二つの大きな目を、暗闇できらきら輝かせている。

「翠ちゃんは? いいの?」

「別に……たぶん、もう無理だし」

「無理って?」

「まあ、年上の女もいいかなって」

とおれは言った。

でも、それは真っ赤な嘘で、そんな事は全くこれっぽっちも思ってはいなかった。

本心なんかじゃなかった。

「本当に? それが響也の本当の気持ち?」

花菜が怪訝な面持ちで訊き、やや考えたふりをしておれは答えた。

「ああ。涼子さんからメールで告られた。考えてみようかと思って」

なんて言ってはみたものの、勘の鋭いマネージャーの花菜にはあっさりと見破られてしまった。

花菜はおれの自転車のかごに詰め込まれたスポーツバッグを、バシバシ乱暴に叩いた。

「嘘ばっかり! 嘘つき補欠エース」

「……何だよ。花菜まで翠に影響されたのか」

翠以外の人間に、補欠エースと呼ばれたのは初めてだった。

「別にー。ねえ、いい事、教えてあげようか?」

と花菜は言い、ふんわりと穏やかに微笑んだ。

「実は、先週の日曜日にね、練習の後、翠ちゃんと駅前で遊んだんだけどね」

「へえ」

でね、と花菜が何かを言いかけた時、おれは確かにその音を聞いた。

バンッ、と戸か何かが力任せに勢い良く閉まる音を。

「ひゃっ」

花菜は体をギクリと強張らせ、その音がした方に顔を向けた。

閉まったのは3階のあのカーテンがパタパタはためいていた、教室の窓だった。

でも、閉まった窓からは情けなくカーテンの端がはみ出していた。



「何? 誰か居るのかな……こんな時間に。怖っ」

と花菜は言い、睨み付けるように少しはみ出しているカーテンを見つめた。

「ああ、あそこ、さっきから開いててさ。当直の先生が見回りでもして、閉めたんじゃねえかな」

おれが言うと、花菜はほっとした様子で表情を緩ませた。

「ふうん……あれ? あそこって、響也達の教室だね」

「あ、まじだ」

花菜に言われてから気付いたが、見てみると確かにおれ達の教室の窓だった。

しかも、窓際後ろから2番目と3番目辺りの。

「あったー! 鍵がありましたがな」

ようやく鍵を見つけたらしく、健吾が駐輪場から大声を上げた。

制服のポケットに入っていたというのだから、呆れてしまった。

「いやいやいや、すいませんなあ、みなさん」

それでもおれは何か不思議な胸騒ぎを覚えて、窓からはみ出したままのカーテンから目を離せずにいた。

それは、花菜も同じだったようだ。

「ねえ、響也……人が居るっぽくない?」

「確かに」

真っ暗な窓辺にぼんやりと浮かび上がって見えたのは、暗闇でも鮮やかに見える金色だった。

それは月明かりに照らされていて、微かに滲んで見えた。

金色の頭をした人影は、はみ出したカーテンをすっと室内に引き入れ、再び窓を閉めた。

おれと花菜は同時に何かを感じ、見て、お互いに笑った。

「なあ、あれってさ……花菜はどう思う?」

「たぶん……だよね?」

「だよな」

「うん。やっぱり、ちょっと変わってる子だよね。夜の教室で何やってんだろうね」

怖くないのかな、そう言って、花菜はくふくふと笑った。

「たいした変わり者だよ」

とおれも笑った。

しばらく2人で笑って、今度は花菜から話し出した。

「何でだと思う?」

「何が」

「翠ちゃんが球技大会で、バスケから野球に変更したの」

先週の日曜にその理由を聞いたの、と花菜は意味深に言った。

「さあ、知らね。あいつ、気分屋だから」

とおれが返すと、だろうね、なんてまるで昔からおれを知り尽くしているかのように花菜は言い、続けた。



「球技大会の前日の放課後、響也達のクラスに涼子さんが行ったらしいのよ」

「は?」

「夏井くん居ますかー、って」

「あ、そうなの? 涼子さんが?」

何で? 、とおれが問うと花菜は呆れ顔をして、また続けた。

あの、窓際後ろから2番目と3番目のある窓辺を、優しい目で見つめながら。

後ろで健吾がうるさかったけど、花菜の声は素直におれの耳にすんなりと入ってきた。

「涼子さんね、たまたま近くに居た翠ちゃんに訊いたらしくてさ。響也に彼女居るのかって」

「はあ、翠に?」

「翠ちゃんとひと悶着あったらしいのよ。それで、翠ちゃんは危機を感じて野球に変更したってわけ。女の勘てやつね」

「危機、ね……何で?」

とおれが訊き、花菜はおれの背中にチョップをお見舞いした。

「馬鹿じゃないの? 響也って、本当に野球しか頭にないわけ?」

信じられない、と花菜は溜息混じりの声で荒げ、お手上げポーズをした。

「何! 未来の大切な投手に乱暴するマネージャーなんて、初めて聞いたぜ」

「何で分からないの? 普通さあ、彼女居るのか訊かれたらピンと来るでしょ」

「えー……」

「翠ちゃんは、響也に誰も近付けさせたくないの! 分かる? もう、いいから行け! 健吾はあたしと健が預かる」

「何言って……」

花菜はおれを睨み付けて、勢い良く3階のあの窓を指差した。

「翠ちゃんと響也は両想いなんだよ!」

と花菜は言い、おれを自転車から引きずり降ろした。

固いアスファルトに足を着いた瞬間、おれはもう、いてもたってもいられなくなった。

あれは、翠に違いない。

翠に惚れてるおれが、間違うはずない。

夜の暗い教室に、翠は居る。

「花菜、ありがとな! ごめん」

「いいから、早く行って」

ローファーの底でアスファルトを思いっきり蹴り、おれは走り出した。

あの、窓際後ろから2番目と3番目を見つめながら。

濃い群青色の夜空に、北斗七星が輝いていた。




感情まかせに走り出したものの、おれは完全に補欠だった。

夜の正面玄関が閉まっている事くらい、分かっていたくせに。

人間の突発的な感情とは、恐ろしいものだ。

無我夢中になると、我を忘れる。

正面玄関の鍵が閉まっている事すら忘れてしまうほど、おれの感情は高ぶっていた。

「クソ、閉まってる」

ガン、と硝子戸を蹴っ飛ばし、校舎裏の非常口へ回った。

そこから夜の校舎に飛び込んだ。

暗すぎる漆黒の廊下はひんやりと冷たくて、非常ベルの真っ赤な明かりがぼんやりと滲んでいた。

「うへっ、不気味ー……」

ぼそりと呟いた声はしんなりと廊下を駆け抜け、暗闇のずっと向こうに吸い込まれて消えた。

この学校には3つの階段がある。

普段、あまり使用されない東階段と、来客専用の西階段、それから主に使用されている中央階段。

おれは中央階段に向かい、一度も立ち止まる事なく、3階まで一段飛ばしで一気に駆け登った。

上履きに履き替える事も忘れ、ローファーの少しやわらかいカツカツという音を響かせて。

きつい練習で疲れ火照った体は、それでも、思ったよりも軽くて良く動いてくれた。

3階の踊り場に到着したところでようやく息を整え、おれは教室へ向かって歩き出した。

あれは、きっと。

いや、絶対だ。

翠だった。

力任せに窓を豪快に閉めるような女は、夜の不気味な校舎に居るような変わった女は、吉田翠しかいないだろう。

おれは1年B組の手前で立ち止まり、静かに一つ息を吐き出した。

新しく吸った空気をごくりと飲み干し、暗くてただっ広く感じる教室に入った。

「そこ、おれの席なんだけど」

おれは言い、失敗した、と頭を掻いた。

なんとも情けない声を出してしまった。

走り疲れたからではなく、不意に口を突いて出た声はなぜだかとてつもなく情けなく、半分裏返った。

真っ暗だろう、と想像していた教室は、思っていたよりぼんやりと薄明るかった。

カーテンが開いた窓辺から、丸く太った半月の細い一筋の光が教室に射し込んでいた。



陽炎のように、でも、温く濃い黄色の月明かりに浮き彫りになっている、机と椅子たち。

教卓の上に飾られていた白いかすみ草まで、ほんのりと月色に染まっていた。

ビードロのような硝子細工の花瓶の中で月光がプリズムし、質素な黒板を際立たせていた。

月明かりで浮き彫りとなった薄明かるい教室の、窓際後ろから3番目の席。

月光の眩しさのせいでシルエットになった翠が、机に伏せていた体を起こした。

教室の入り口で突っ立っているおれを、翠は幽霊に遭遇したかのように目を丸くして見つめた。

翠は毎日カラーコンタクトレンズをしていて、今日はブルーグレイ色の瞳をしていた。

「補欠? 何で居んのよ」

「それはこっちの台詞。翠こそ、こんな時間まで何してんの?」

おれが訊くと、翠は黒板の真上に掛けられている壁時計に視線を流した。

カツコツ、と絶え間なく響く時計の秒針の、繊細な音。

翠は言った。

「今日ね、スペシャルな日なの」

「スペシャル?」

「会いたい幽霊が居るの」

そう言って微笑んだ翠の横顔を見て、おれは息の根を止められた思いをした。

泣いていたのだろうか。

翠はブルーグレイの瞳を少し潤ませて、月明かりに照らされた目を手の甲でごしごし拭った。

「翠……?」

「てか、別に席間違えたわけじゃないから。勘違いすんなよ」

借りただけだから、そう言って、翠はおれの席からガタリと立ち上がり、一つ後ろの自分の席に座った。

「お前、帰ったんじゃなかったの? 結衣が帰ったって言ってたけど」

と言いながら、おれは月明かりが射し込む自分の席に腰を降ろした。

そして、机の上に視線を落としてギョッとした。

月明かりに照らされた机の上に、3、4 粒の水滴が点々と輝いている。

おれには後ろを振り返る余裕も勇気もなかった。

いつも元気で明るくて、天真爛漫で笑ってばかりで。

そんな翠が泣いているような気がして、怖かった。

しばらく沈黙が続いた後、背後から翠がいつもと同じ明るい口調で話し掛けてきた。

「帰ってないし! 便所にこもってたんだよ! あ、下痢だ、下痢」


それで、おれはようやくほっと胸を撫で下ろした。

「うわ……女のくせして下痢とか言うなよ」

とおれがクックッと肩で笑うと、翠はいつもの如くおれが座っている椅子の脚をガスガス蹴っ飛ばした。

「てかさあ、補欠こそ何でここに来たわけ?」

「あー、うん」

「あ! 補欠も下痢か?」

「んなわきゃねえだろ! 帰ろうとしたら、健吾が教室に幽霊居るとか言うから」

野球部代表で偵察に、なんておれは嘘を言った。

「で、翠は何でこんな時間まで残ってるわけ? 電気も付けてないし」

「だから、会いたい幽霊がいるって言ったじゃん」

「へえ……で? 会えたか? その幽霊に」

そう言って翠の方を振り返ろうとした時、

「こっち見ないでよ、スケベ! あたしのこの美しい顔を拝もうなんざ、5万年早い」

と翠は言い、おれの後頭部を平手打ちした。

おれは叩かれた後頭部を掻くように撫で回し、窓の外に視線を游がせた。

真っ暗だ。

なのに、教室は月明かりのおかげで仄明るい。

その時、背後から翠がぼそぼそと訊いてきた。

「ねえ、補欠。あの年上の女と付き合うの?」

「えっ」

おれの心臓はぎくりと音を立て、急激に鼓動の速度を早めた。

「付き合うの?」

翠の声が僅かに震えていて、次振り向いた時、翠が居ないような気がして怖くてたまらなかった。

「答えろよ、補欠」

「……付き合わねえよ。涼子さんとは付き合う気ないから」

「何で?」

「おれ、好きなやついるから」

そうなんだ、と翠は言い、馬鹿じゃないの、と今度は強気な口調でおれを攻撃してきた。

「補欠の好きなやつって美人? あたしも知ってる人? あゆより美人?」

「さあ……でも、フランス人形みたいなへんな女」

とおれが笑うと、つられてしまったのか翠も笑った。

「ほう、フランス人形?」

「そう。翠は? 好きなやつ居る?」

「教えない。てか、あたしはさあ、基本的にイケメンが好き」

「例えば?」

「タッキーとか山ピーみたいな王子様! これ、必須条件」

翠は珍しく穏やかでゆったりとした口調で言い、鼻をすすった。

「けどさあ、現実は違った。超へこんだし……あたし、何でこんなやつに惚れたんだろって」

まじで見投げしてろうかと思った、と翠は言い、暗く静寂した廊下にまで筒抜ける笑い声を上げた。

「見投げ……翠をそこまで落ち込ませたやつはどんなやつ?」

と笑い返してやると、突然、翠はおれの首に飛び付いてきた。

「ベッドローック! 誰が補欠なんかに教えるかってえの」

月明かりに照らされた翠の腕は、白く細い神聖な蛇のようだった。

「バカ! 苦しい! 殺す気かよ、離せ」

「殺してやる! ぶっ殺すー!」

「まじで勘弁! おれ、甲子園行くまで死にたくねえもん」

とおれは言いながら、翠の腕からすり抜けようとした。

でも、離そうとすればするほど首を締める力は強くなり、白く優しい蛇のように絡みついてきた。

「翠?」

翠が泣いている事に気付いたのは、その力が不意に緩んだ時のことだった。

翠の爪の先が真冬の冷たさに耐えているかのように、ぷるぷると震えていた。

「じゃあ甲子園連れてけよ! あたしを甲子園に連れてけ!」

涙混じりの湿っぽい翠の声は、月明かりに溶け出してますます湿度を上げた。

やっとだった。

やっとの思いでおれは声を出した。

余分な肉が一切ついていない、今にもポキリといきそうな翠の細い手を、おれは握り締めた。

きれいな爪には小花が几帳面に咲き乱れ、細かい粒のように輝いていた。

「いいよ」

おれは言い、細い腕をそっとすり抜けて、翠の座っている席の横に立った。

フランス人形のような金髪は月光に照らされて、細かい繊維のように乱反射していた。

ただでさえ細くて華奢なくせに、その小さな肩をすくませてうつ向き、翠はひくひくと泣いている。

机の上に乗せられている翠の右手を左手で握り締め、おれは覚悟を決めた。

「翠、おれと一緒に甲子園行こう」

「嘘ついたら、まじでぶっ殺すけど」

泣いているくせに、翠は強気な口調で言った。

そんな翠に思わず愛しさが溢れて、おれは笑った。

「まあ、確かに今は補欠だし。保証はできないけど」


うつ向き、静かに泣き続ける翠の机には直径3センチにも及ぶ、小さな水溜まりができていた。

おれは翠の手を握り、その力をそっと強めた。

本当にポキリといきそうな白い手だ。

「好きです。付き合ってください」

そう言っておきながら、おれは胸の内のど真ん中で翠に謝った。

ごめん、翠。

ありきたりな告白しかできない補欠で。

きっと、相澤先輩あたりなら、もっとカッコいい言葉で告白をするんだろうけれど。

でも、所詮補欠エースでしかないおれには、これが精一杯で。

けれど、全力投球の告白だった。

この月明かりに照らされているただ広い地球上のあちらこちらに、ごろごろ転がっている言葉だったのかもしれない。

ありふれた告白だったかもしれない。

でも、それが、この広い宇宙の片隅のちっぽけでしかない、補欠エースの全力投球だった。

こんなありふれた言葉しか言えなくて、ごめん。

「ぶっ殺す」

「えーっ……」

せっかく、一世一代の告白をしたのに、まさか、ぶっ殺す、という返事が返ってくるとは。

おれはこれっぽっちも考えていなかった。

そして、泣いておもちゃを欲しがる子供のようにわんわん泣きながら、抱き付かれるなんて。

まったく想定外のことに、頭がついて行かなかった。

笑い方話し方以外にも、翠は泣き方まで豪快そのものだった。

抱きつかれたときの力に負けて翠を受け止めたものの、情けないおれは後ろの机や椅子にぶつかりながら、翠ごと倒れてしまった。

ガアン、ギイー、と机や椅子がぶっ飛ぶような音が、3階フロアーに長く木霊した。

「痛ってえ……まともに抱き付いて来れないのかよ、お前は」

これじゃ、はちゃめちゃな告白劇場だ、とおれは軽く落ち込んだ。

でも、翠はそんな事はお構い無しで、赤子のようにギャアギャアと泣きわめいた。

「分かった! とにかく泣きやんでよ、お願いします」

とほほのほ、だ。

せったくの告白も、これじゃ台無しだ。

とんだ喜劇だ。

これじゃ、赤子をあやす補欠である。

「よしよし、泣くな!」

あやし続けていると、突然、おれの腕の中で翠が泣き叫んだ。