ぶうぶう、文句ばかりたれる翠の頭を軽く叩いて、おれは笑った。

「あっ! 殴ったね? はい、殴った! 慰謝料発生、5千万円くれ」

「アホか! 無理」

その時、げらげらと涙目で笑いながら、おれ達に近寄って来たのは、相澤先輩だった。

「夏井、岩渕。この子、野球部に入れとけば? 4番になれるかもよ」

おれのスライダーを打った女は初めてだ、と相澤先輩は言い、翠に握手を求めた。

「きみ、最高」

翠は偉そうにふんぞり返って、当たり前じゃん、と生意気に相澤先輩と握手を交わした。

その直後だ。

「この試合、お前らに勝利譲るわ」

と相澤先輩は言い、ぎょっとしているおれと健吾に微笑んだ。

「いや、でも、点数入ってないっすよ?」

「いい! いい! おまけにしとくよ」

相澤先輩の広いお心使いのおかげで、おれ達のクラスは異例の勝利をおさめた。

無得点の勝利。

次の試合で2年生と当たって、完全なる敗北を遂げてしまったけれど。

景品はクラス人数分のスポーツドリンクだった。









放課後になり、おれ達はまたグラウンドで野球に没頭していた。

ブルペンで無心のまま投球練習をしていた際に、さりげなく笑って入って来たのは花菜だった。

今日も首からホイッスルをぶら下げていた。

「響也、どうしたの?」

「何が?」

「今日、球走ってるじゃん。特に、低めが決まってる」

「そうか?」

「うん。あの子のおかげ?」

と花菜は言い、ほら、とブルペン横のフェンス越しに遠くを指さした。

子供のような小さな手だ。

爪は身近く、手入れされていて艶があった。

「あの子って?」

おれは流れ落ちる汗をアンダーシャツの袖で拭いながら、花菜が指さす方向に視線を游がせた。

フェンスを取り囲むようにして、秋桜が蕾を膨らませている。

やや涼しい優風にさらさらと揺れている。

その先には下校して行く生徒達がぞろぞろと列をなして、正門へ向かっている。

1人、2人、3人、と次々に帰って行くのが見える。

おれの真横で、花菜はフフッと小さく笑った。

「響也、好きなんでしょ?」