「負けんなや! おれがいる! 負けんなや!」


中学生の健吾は今よりも、一回りも二回りも小さな体だった。


「響也の球は、おれしか捕れないって決まってんだ! 負けんなや!」


小さな健吾の背中に両手を回して、あの日、夕焼け色の橋の下で、おれは健吾ににしがみついて泣いた。


「ごめんな! 健吾」


「謝んな! その代わりに、おれと野球するって誓え!」


健吾と、野球するんだ。


一緒に、甲子園球場に行くんだ。


あの日が存在していなければ、おれは野球を辞めていた。


今日、この場に立っていなかった。


絶対に、そうだ。


陽射しで発光しているバックスタンドの電光掲示板の時計は、14時40分を回ろうとしていた。


ボールを握り、セットポジションに入る。


投じた一球が、バットに弾かれた。


ショートの深いところで岸野が捕ったものの、間に合わず、ツーアウト満塁になった。


1塁側応援スタンドが、深い溜め息で沈んだ。


さすがに、もう嫌になってくる。


でも、おれは諦めるわけにはいかなかった。


挫折、苦悩、葛藤。


今まで、何度も何度も経験してきた。


何度も、スランプをさ迷った。


だから、もう経験したくはない。


もう、マウンド上で呆けたように立ち尽くし、崩れ落ちるのは御免だ。


次打者が、意気揚々としてバッターボックスに入ってくる。


サヨナラを狙っているのが、手にとるように分かった。


こんな気持ちになったのは、野球を始めてから初めてだ。


ここまで窮地に追い込まれたのは、初めてだ。


最終回。


ツーアウト、満塁。


スイッチヒッター、5番打者。


本気なのだと分かる。


左打ちもできる打者が、右のバッターボックスに立っている。


サヨナラを狙っている。


誰もが、西工業のサヨナラを期待し、確信しているのだろう。


まるで、ビッグウェーブのような大歓声が場内を揺らした。