もうすっかりグラウンド整備も終わっている。


「ちょっと! 何でいつも不意打ちなのよ」


翠が顔を赤くして、鼻の穴を広げて怒った。


翠はいつも隙のない女だけど。


「フランス人形はいつも隙だらけだから」


翠はフンッと鼻を鳴らして、そっぽを向いた。


真っ赤な顔をして。


「なあ、まだー?」


相澤先輩が目を閉じたまま、飽き飽きした声を出した。


「ああ、もういいっす。すいませんでした」


真っ赤な顔の翠を見た相澤先輩が、吹き出して笑った。


「おっと。青春だなあ」


「先輩。ぶっ殺すよ」


翠に睨まれた相澤先輩はたじたじになりながら、クスクス笑った。


「6回、始まるから。また後でな」


そう言って、翠の指を優しくほどき、おれは首に「必勝」のお守りを下げた。


お守りをぎゅっと左手で握りしめたあと、深呼吸をして、それをユニフォームの中へ忍ばせた。


お守りなんて、ただの気休めにしか思っていなかった。


だから、今まで身に付けたことがない。


でも、このお守りには何か強烈な力があるんじゃないかって思う。


「相澤先輩。翠をお願いします」


相澤先輩は翠を抱き抱えたまま「確かに、お預かりします」と笑った。


「けど、ちゃんと返してくださいね」


おれが言うと、


「生意気なんだよ。しっしっ」


と野良犬を追い払うかのように、手の甲でおれを払う仕草をした。


「補欠、あんたが笑顔でマウンド降りるの、待っててあげるから」


そう言った翠に背を向けて、おれは帽子を深くかぶり直した。


「行ってくる」


そう言って、おれはベンチに向かって全力失踪した。


暑い暑い風をぐんぐん切り開いて。