突っぱねられた事に腹がたったのだろう。

翠は眉間に皺を寄せて、むっとしている。

そんな翠を見て見ぬふりをして、おれは黙々と足元を平らし続けた。

向こうでは健吾もプロテクターを身に付け始めていた。

その時、ついに翠が豹変した。

「何よ! 野球馬鹿! 野球病にかかってくたばれ!」

般若のように怖い顔をして、翠はフェンスを思いっきり蹴っ飛ばした。

翠の後ろを通って行く女子生徒が怯えたように小さくなって、そそくさと下校して行った。

「……翠」

呆れた溜息混じりの声で、おれは穏やかに彼女の名前を口にした。

「あのさ、翠」

「何よ!」

「話なら明日ゆっくり聞くから。とにかく今は野球に集中させてくれよ。な?」

なんて、カッコつけて突き放しつつも、きっぱりと突き放せないのは何故だろうか。

いつも、だ。

いつも、おれは翠に対して強く出る事ができない。

健吾なら、帰れ、邪魔だ、ときっぱりと突き放すに違いない。

でも、おれにはそれができないのだ。

足元も平らし終えて、投球前に肩を馴らすストレッチを始めたおれの真横で、翠はフェンスに食い込むように前のめりになった。

「でもさあ……明日じゃ遅いかもしれないから」

「え? 何だって?」

「手遅れになってからじゃ、あたしはどうにもできないもん」

それだけは絶対嫌、と翠は言った。

拍子抜けしてしまった。

あの爆裂で豪快な物腰の翠は、一体どこへ行ってしまったのだろうか。

ほんの僅か数秒前の翠とは打ってかわって、ただそこら辺にごろごろ転がっている、普通の女に見えた。

おれは戸惑った。

翠がへんなのだ。

いつも釣り上げている目は力なく垂れているし、艶やかな唇はひよこのように尖って輝きを失っている。

こんな悲しそうな表情の翠を見たのは、初めてだ。

「明日じゃ遅いのか?」

おれが訊くと、

「うん。明日には人生変わってるかもしれないんだよ……うちら」

と弱気な口調で翠は返してきた。

その弱気な物腰が、おれの気を惹き付けて離そうとしなかった。