「分かったから。もう、いいから」


おれはなんて不謹慎な男なんだろうと、叱責した。


こんな状況だってのに、なんて可愛い女なんだろうと思っているおれは、ドが付くほど相当不謹慎だ。


翠の左頬を伝い落ちる涙を指でそっとすくい、そこに静かに口付けをした。


「早く、いつもの翠になれ」


「うん」


翠の返事を待って、もう一度、今度は右の頬に口付けをした。


「野球部引退したら、毎日、一緒にいような」


翠は、またぽろぽろと涙をこぼしながら、頷いて笑った。


西陽が、翠の涙を琥珀色の宝石にしていた。


きれいだ。


西風がカーテンをオーロラのようになびかせる。


翠の瞳は、カラーコンタクトレンズをしていなくても、美しかった。


夕陽に照らされながら、翠が目を閉じた。


「ほら、早くしなさいよ」


人形のように長い睫毛。


陶器のような色白の肌に、ほんのり紅い唇。


「なにが?」


おれが訊いても、翠は目を閉じたままで言った。


「キス」


「は?」


さすがに、戸惑った。


だって、翠は人差し指でその唇を差したからだ。


「バカ。ここ、病院だし」


さすがにちょっと、とおれが笑うと、翠は唇をへの字にさせて、不機嫌な口調で言った。


「世界一美人な眠り姫は、明日、決勝を控える補欠王子のキスで目覚めるのでした」


眠り姫の頬に軽く手を添えて、補欠王子は口付けをした。


カシャッ、その音を聞いて、あわてて唇を離す。


「さえちゃん!」


開いたカーテンのそこにはさえちゃんが立っていて、携帯電話をこっちに向けてにたにたしている。


顔が煮えたぎっているのが分かった。


「ちょっと、何してんのや!」


おれが声を張り上げると、さえちゃんはケタケタと肩をすくめながら笑った。


「いや、なんか……すごい絵になってたから。記念に一枚」