あれは確か、翠が中学1年生の夏、とさえちゃんは言い、話してくれた。


その日は梅雨明け間近の熱帯夜で、夜の学校に忍び込んだ帰り、翠の父さんがどこから取ってきたのか分からないタチアオイを、両手いっぱいに抱えて帰ってきたらしかった。


汗みどろになりながら、子供よりも無邪気な笑顔だったらしい。


―どうだ! これ―


―きれいだろ―


―翠にぴったりだと思ってな。冴子にも似合うと思って―


ウチの妻と娘が1番可愛い、なんて、鼻の下を伸ばして。


大量のタチアオイを見た翠は、呆れ顔をしながら、でも、嬉しそうに笑ったらしい。


―この花、たっちゃんみたい! 背がでかくて、カッコいいじゃん!―


―あたし、大人になったらたっちゃんの嫁になる!―


―ブーケはこの花にしよう―


―たっちゃん、大好き―





「もう、私も歳なのかな。最近は、たっちゃんの顔も忘れちゃいそうなの」


そう言って、さえちゃんは少し泣き虫になった。


「翠、たっちゃんのお嫁さんになるのが夢だったんだよ」


「うん、知ってる」


初めて会った日、さえちゃんが教えてくれたから。


「タチアオイは、吉田家の特別な花なの」


「そうだったの? ごめん、知らなくて」


「やっぱりきれいな花」


そう言って、さえちゃんはしくしく泣いた。


年上の女の慰め方がバカなおれには分からなくて、とりあえず、さえちゃんの頭を撫でた。


「泣くな、さえちゃん」


しかも、そんなありきたりの言葉しかかけてやれなかった。


さえちゃんはしばらく泣き虫を続けたけれど、突然、人が変わったように元気に笑った。