冷や汗も出ない。


時間が止まり、おれたちだけがこの世界で唯一動いているような、摩訶不思議な感覚だった。


勇気の足か、桜花の好速球が先か。


あと、2メートル。


あと、1メートル。


「イヤーッ!」


花菜が、もう見てらんない!、と両手で目をふさいだ。


激しい音がした。


桜花の捕手と、大輝が正面衝突した。


ホームベース付近で、砂ぼこりがもくもくと沸き上がっていた。


砂ぼこりの中から、南高校のヘルメットがゴロゴロと転がる。


「いやああっ……どっち?」


目をふさぎながら、花菜が半べその泣き声を出した。


声が出なかった。


さすがの健吾も、おしゃべりなイガでさえ。


主審でさえ、ジャッジをしない。


セーフか、アウトか。


場内が音を失っていた。


ベッドスライディングした大輝の両手は、桜花のキャッチャーのミットに押さえ付けられているものの、しっかりベースに触れている。


大輝はうつぶせでそこにべったりと這いつくばったまま、動かない。


桜花のエースが叫んだ。


「後ろっ!」


タッチアウトだと思われていた一瞬が、一変した。


桜花のキャッチャーのミットに、白球はおさまっていない。


縦縞ユニフォーム、背番号2の足元を、砂ぼこりで茶色く染まりかけたボールが転がっていた。


主審が、奇声を上げた。


「セーフ!」


大輝が、興奮した顔で頭を上げた。


化け物だ。


1塁側応援スタンドが悲鳴ではなく、歓声とは程遠い、怪物のような鳴き声を上げ、揺れた。


その間に、遠藤は3塁に進む。


「うおっしゃああーっ!」


歓喜の雄叫びを上げて、大輝がヘルメットを抱えてベンチに突っ込んできた。


1人1人とハイタッチしていく大輝を、監督がメガホンでバコッと叩く。


「バカタレが!」