「これ、使わなくなって、ずいぶんになるのですがね。ほら、こうして布をかけてみると、なかなかいいものでしょう」


おれは、黙って頷いた。


木で造られた2人掛けの椅子に、支配人は赤い絨毯のような布を敷いてくれた。


よく時代劇ドラマに出てくる、一休み茶屋のあのベンチのようで、まさしく風情だ。


その椅子を軒下に置いて、


「明日も試合があるんだってね。風邪、引かないでね」


そう言って、館内に戻って行った。


椅子に腰掛け、背後のガラス張りにもたれて、左手をぎゅっと握ってみる。


「はあ……」


実感、わかねえや。


選抜予選も、地区大会も、まともに勝ち進んだ事がないはずの南高が、ここまでのしあがった。


これは、夢なのか現実なのか、降り続く雨の音がそれをますます分からなくさせる。


もう一度、左手を軽く握って、開いて、また握り、静かに瞼を閉じた。


聞こえて来るのは、池の水面に落ちて弾ける、雨音。


漂って来るのは、塩素を含んだ辛い雨の匂いと、濡れる木々のこうばしくて瑞々しい香り。


なぜだろう。


なぜ、あの一場面が、しつこい残像となって、瞼の裏から剥がれないのだろう。


北工業のエースがマウンドに泣き崩れ落ち、土砂降りに打たれている姿だ。


まるで、予知夢の中の自分でも見ているような感覚に陥った。


あれは、もしかしたら、おれだったんじゃないだろうか。


いや、もしくは。


明日、おれも北工業のエースと同じになるかもしれない。


修司に、土壇場で打ちのめされるかもしれない。


勝手に、体がぶるぶる震えた。


勝利する事はこの上無く喜ばしい事で、胸を張ってもいい事なはずなのに。


1つ勝ち進み駒を進める毎に、おれは恐怖に追われている。


明日は、夢にまでみた準決勝だ。


苦しんで、踏ん張って、ここまで来れたからこそ、負けたくねえ。