「あっ」


ハッとした。


翠の迫力に押されていたおれは、携帯電話も持たずに出掛けていたのだった。


「けどさ、まあ、近場だし、必要ないし。それよか翠は? 母さんも居ないの?」


ややあって、父さんがおれの顔を見た。


その顔を見たとたん、寒気がした。


おれはソファーから立ち上がり、床にぺたりと座り込んだ。


父さんの目が、濡れていたからだ。


「父さん……何、泣いて」


「響也。救急車と行き違っただろう? 翠ちゃんが倒れて、運ばれた」


お前が出たあと直ぐに倒れた、と父さんは言い、目頭に指を当てて声を押し殺した。


「何度も……何度も、お前の携帯に電話したんだぞ! 母さんが、一緒に乗って行った」


「……」


「冴子さんには、もう連絡したから。真っ直ぐ病院に向かうそうだ」


「嘘つくなよ! 翠はもう治ったんだぜ! バカみたいに元気だっただろ?」


床が冷たくて、ケツを上げたくても上げれない。


窓の隙間からは霧雨の静かな音が迷い込んでいるばかりで、おれの頭はますます回らなくなった。


「嘘ついてどうするんだ。着替えなさい。一緒に病院に行こう」


父さんは言い、腰を抜かしたように動かないおれに手を差しのべた。


大きな手だ。


父さんは左利きで、おれはやっぱり父さんの息子だ。


「嫌だ! 意味が分かんねえよ! 再発したって言うのかよ」


「響也」


「翠は、完治したんだ! なんで倒れんだよ!」


「響也! ただ、倒れただけだ。貧血かもしれないだろ。決め付けるんじゃない」


涙に濡れた声で怒鳴られると、ますます怒りが込み上げた。


「意味わかんねえよ!」