「うわっ! いきなり何するんだよ! 離せ、バカッ」

「嫌じゃー!」

首に遠慮なく巻き付く翠の細っこい腕からは、やっぱり甘ったるい香りがした。

でも、決してきつくなく、然り気無く。

甘い食べ物や飲み物は好きな方ではないけれど、この香りは嫌いじゃない。

翠の第一印象は、こんなものだった。

明るくて、人懐っこくて、天真爛漫で。

悩みなんか1つもなさそうで、羨ましい限りだ。

そう思った。

しばらく沈黙が続いた時、然り気無く翠が言った言葉は、なぜかおれの心のど真ん中を鷲掴みにした。

確かに、心が震えた。

実際に体験した事はないけど、心臓を素手でぎりりと掴まれたような気分だった。

「ねえ、補欠エース」

「あのさ、その補欠ってやめてくれない?」

「何で? 本当の事じゃん。どうせ、まだ補欠のくせに」

返せる言葉が、おれには無かった。

翠の言っている事に間違いは1つもないのだから。

確かに、おれは補欠だ。

「でも、いずれエースになるだろうから。あんたは今日から、補欠エース」

なんてむちゃくちゃな理由なんだろう。

「何だよ、それ」

「何よ! 文句あるの? エースってつけてもらえただけでも有難いでしょ」

悪びれる事もなく、天真爛漫な翠が作った言葉には、度肝を抜かれた。

補欠エース。

まるで、パッチワークのような言葉だ。

色も模様もてんで違う布切れを何とか縫い合わせたような、ちぐはぐな言葉だ。

補欠なのに、エースだなんて。

なんて矛盾だらけのネーミングなんだろうか。

おれはたまらず笑ってしまった。

クスクス、肩を震わせながら笑っていると、尾てい骨に振動が走った。

後ろで、翠がおれが座っている椅子の脚を蹴っ飛ばしてきた。

「ちょっと、聞いてんのかよ、補欠エース」

「だから……補欠、補欠、って言うなよ。てか、馴れ馴れしい女だなあ」

溜息を多目に含んだ声で、おれは言った。

言ってから、後ろの席に座っている翠を怪訝な面持ちで振り返った。