その横で花菜はどぎまぎした面持ちで、スコアブックに向かっていた。

5番打者を敬遠して、6番打者を打ち取るか。

5番打者へ、全力で勝負にでるか。

4回裏、あの悲劇の二の舞なはなりなくない。

あの回、おれはこの5番打者から見事なスリーランホームランを浴びている。

勝負に出るなら、今あるおれの全てをかけなければ、きっと、また負ける。

もしかしたら、サヨナラだってありえるのだ。

「響也、大事に行こう」

「そうだな」

おれと健吾は勝ちに行くための、逃げ切りを狙った。

その時、今まで平然としていた監督が初めて声を出した。

「夏井! 岩渕! 逃げるな! 勝負してみろ」

敬遠は無しだ、監督は鬼のような形相で、マウンドに突っ立っているおれ達に怒鳴った。

「……だってよ。勝負しするか」

健吾が言った。

「そうするしかねえみたいだな」

「おし」

健吾は笑っておれのグローブにボールを入れ、ホームベースに駆けて行った。

あいつの名前を胸の内でこっそり、唱えてみる。

修司。

バックスタンドに向かって、風が吹いてる。

お前が教えてくれたことを信じて、直球はやめておくよ。

修司。

お前はやっぱり、いつまで経っても最高の仲間なんだろうか。

でも、ライバルだ。

健吾からのサインは、スライダーだった。

おれは左手にロジンの袋を乗せ、2、3回トントンと転がした。

マウンドの上にロジンの袋をぼとりと落とすと、白い粉が細い霧のように舞い上がった。

冬に、この街を白く色付ける粉雪のようだ。

秋の渇いた粉雪は、バックスタンドに向かって流れて消えた。

おれは大きく振りかぶって、一球に魂を込めた。

おれのスライダーは水平に秋風を切り開き、右方向へ曲がって滑った。

キィン。

「嘘だろ」

その瞬間に、目頭がひどく熱くなった。

汗が染み込んだ野球帽を取り、おれはマウンドに立ち尽くした。

あそこまで大きな半楕円形の弧を描く白球を見たのは、生まれて初めてだった。