「翠は今年の春から病院に通院していて、主治医がおれの父さんなんだ」

春、か。

おれが馬鹿になったみたいに野球しか見えてなかった頃だ。

翠と海に行った頃だろうか。

それとも、相澤先輩が卒業した頃だろうか。

「たまたま、父さんに用事があって病院に行ったら、翠に会ってさ。翠が言うんだ」





―絶対、言わないで、響也に。健吾にも。結衣にも明里にも―





「言ったらぶっ殺す、って言われたよ」





―響也は次期エースなんだから、あたしが邪魔してらんないの!―






「そう言ってきかないんだよ。いつかはバレるんだから、夏井くんに言えって何度も説得したんだけどね」

翠の強情さにはお手上げだったよ、と蓮は言い、肩をすくませた。

「そっか。お前にまで気使わせてたんだな。おれ、野球ばっかで。何も知らなくて……ごめん」

「いや、仕方ない事だよ。おれこそ、誤解させてごめん……夏井くん?」

「あ……悪い」

泣きたかったんだ、と涙を流して初めて気付いたおれは、宇宙一の大馬鹿野郎だ。

「翠の全てなんだよ、夏井くんは」

今日くらい野球休めよ、そう言って、蓮は泣くおれの肩を抱いた。

「今日1日くらい休んでも、罰は当たらないだろ。翠のとこに行ってやれよ」

涙雨に霞んで消えてさまいそうな校庭に目を落とし、おれは以前テレビで見た光景を思い出していた。

例えば、東京のスクランブル交差点。

あれは交差点というだけあって、ちゃんと交わっているのに。

おれはその交わっているど真ん中に立ち尽くして、目が回りそうなほど人が行き交う中で、必死になって翠を探しているのだった。

居ない。

翠がどこに居るのかさえ、スクランブル交差点の中では分からなくなっていた。




おれの家の庭に咲いていたトルコギキョウが萎れて、涙雨に打たれていた。

晩夏の空を仰ぐトルコギキョウが、枯れてしまった。