そう言って、蓮はおれを後ろから羽交い締めにした。

「うるせえ! 倒れてんのに、このままにしとけるか」

「待って、夏井くん、翠を動かすな」

「離せ!」

おれを力ずくで押さえ付ける蓮の腕を振り払っていると、翠のクラス担任が血相を変えて走ってきた。

50歳半ばくらいの、中肉中背の男だ。

「貧血か? 誰か保健室の戸田(とだ)先生呼んできてくれ」

大人のくせに大したことないな、とおれは思った。

大人のくせに、先生のくせにおどおどしやがって。

何が教師だ。

「おれが運ぶ」

そっと翠を抱き上げようとした時、蓮がさっきよりも強い力でおれを押さえ込んだ。

「夏井くん!」

「何だよ、さっきから。ふざけんな! 離せ」

怒り狂うおれを押さえつけたままの蓮は、まるで医者のようにテキパキとクラス担任に言った。

「先生、これは貧血じゃないよ! 救急車! 早く呼んで」

「どういうことだ?」

「後で説明します。先生、早くして」

押さえ込んでくる蓮の腕の中で、おれは訳がわからなくなった。

翠が倒れている現実も。

右も左も、上も下も。

そこに健吾が居て、おれの左腕を掴んでいる事も。

一体、自分が誰なのかさえ、うまく説明できないほど頭が回らなかった。

おれが抵抗するのを止めると、蓮は翠の蝶ネクタイとワイシャツの首元を緩めた。

翠の担任と、今駆け付けたばかりの戸田先生は、蓮の話を聞いて慌てて救急車を呼びに行った。

野次馬になっている生徒達を残っていた先生達が退場させている中、どさくさに紛れて蓮が告げた。

おれにだけ聞こえるように、そっと顔を近付けて。

「貧血とかそんな軽いものじゃない。失いたくなかったら、動かすな」

「どういうことだよ」

「翠は……」

そう言いかけて、蓮は口をつぐんだ。

でも、意を決したのかしっかりとした口調で言い直した。

「翠の主治医は、おれの父さんなんだよ」

初めて、蓮の目を見た。

真っ黒な瞳孔を、暗がりに居る猫のように大きく開いていた。

「何……意味が分かんないんだけど」