叶うのなら、早くナインに入って憧れのマウンドに立ちたい。

エース番号を堂々と背負って。

おれの夢だ。

おそらく細いだろうと思われる腰骨辺りに手をあてがい、偉そうにふんぞり返っている翠は、やっぱりおれの天敵だ。

「うるさいわね。野球のルールくらい知ってるし! ボール投げて、打つスポーツでしょ。ほ、け、つ」

と翠は自信満々に言い、おれの品祖な耳たぶをその細っこい指で摘まみ、ぎゅうっと引っ張った。

その力は強く、やはり手加減はこれっぽっちも無かった。

「痛てえ! 離せよ、ちぎれる」

そう言っておれが立ち上がると、翠は楽しそうにきゃあきゃあ騒ぎながら走り去った。

机と机の狭い通路を器用にすり抜け、障害物を巧みにかわしながら。

「補欠エースが怒ったぞー! 全員待避! 殴られるー」

「殴らねえよ、阿呆! 痛えなあ……何なんだよ」

何か恨みでもあるんだろうか。

いつも、何かにつけて、翠はこんなふうにおれをおちょくる。

甘ったるい匂いのする香水を、翠は好んで付けているらしい。

彼女が触れた耳たぶから、その移り香が仄かに香った。

蜂蜜漬けのアプリコットのような、それでいて、甘いストロベリーキャンディーのような香り。

耳たぶをしきりに気にしながら、おれは再び椅子に腰を下ろした。

「響也、今日も見事な惨敗でしたな」

健吾は嫌味たっぷりに笑い、新品のベースボールマガジンを勝手に拝借して、さっさと自分の席へと戻って行く。

「健吾! それ、まだ見てないんだからな」

まだ、を強調して、窓際の席から廊下側の健吾の席まで届くように、大きな声で言った。

「帰りまでに返せよな」

「おーう、サンキュー」

と健吾は言い、おれに背を向けたまま右手をひらひら振り、席に着いて早速ベースボールマガジンに目を落とした。

もうそろそろ、午後の授業が始まる。

5時限目はおれの苦手な数学だ。

チャイムの音ってどうしてこう、個性が無いんだろう。

リズムも、響き具合も。