幽香の庵

「……それって、どんどん薄れていったら、死んじゃう的な……?」

 恐る恐る尋ねると、凪さんは飄々と答えた。

「なきにしもあらずだけど記憶はあるんでしょ? 自分の事も他人の事もハッキリ覚えてるなら、まだ大丈夫」

「でも、誰にも認識されないなら、助けてもらえないじゃないですか」

 私は困り果て、力なく椅子の背もたれに身を預ける。

 すると彼女は私に顔を近づけ、目を閉じてスンスンと匂いを嗅いでくる。

「千秋はいい匂いがするね。それもとっておきの香りだ」

「香水はつけてますけど、夜だし、ほとんど香りは消えてますよ」

「香水じゃなくて千秋の魂が発する匂いだ。迷い人は君の匂いに惹かれているんだよ」

 困惑した私は自分の匂いを嗅いでみる。

「自分の匂いは分からないよ。勿論、現世の人にも分からない。もし嗅げるとすれば、二重に迷い込んだ人か霊感がある人かな」

「……迷い人って何なんですか?」

「分かりやすく言えば死者だね。千秋から見れば幽霊」

「うぇえ……」

 ぞわっと鳥肌を立てた私は、両手で自分を抱き締め、二の腕をさする。

「死んだ人って成仏しないんですか?」

「全員がそうではないね。心霊ドラマやホラー映画のセオリーだけど、心残りがある霊は現世に留まって何かを求めるだろ?」

「悪い幽霊ってそんなに大勢いるんですか?」

「死んだあとはお迎えが来る。それに応えたら天国に行けるけど、遺された家族が気になるから現世に留まる人もいる。でも一回きりのお迎えだから、断れば家族が死者になったあとも、ずっと二重を彷徨わなければならない」

 私は真剣に凪さんの話を聞く。

「無害な人は普通に雑踏の中にいるし、なんなら映画館とか遊園地とか、楽しい思い出のある場所にも行く。でも暗い感情を持っている人は、明るい場所にいる気持ちにならない。静かで人の来ない所でジッとして、負の感情と向き合っているんだ」

「じゃあ、廃墟とかトンネルとかが心霊スポットになってるのって……」

「ああいう場所にいる人たちは一人になりたいタイプだね。危険だから近づかないほうが身のため。……まぁ、幽霊も元は人だし、人の数だけ色んな事情があるもんだよ」

 想像もつかなかった死後の世界の話を聞き、私は溜め息をつく。

「……外にいる人たちに捕まったらどうなるんですか?」

「〝食われる〟ね。彼らは生者の匂いに惹かれている。それを自分のものにすれば救われると思っているんだ。今の千秋は魂が剥き出しになった状態だから、彼らに食われれば、いずれ肉体も死んでしまう」

「そんなの嫌です!」

 私は悲鳴じみた声を上げ、前のめりになって尋ねる。

「〝私〟がどこにいるか分かりますか?」